すぐに「大好き」と言う人が嫌いだ
すぐに「大好き」と言う人は、どんな気持ちでその言葉を発しているのでしょうか。「大好き」はポジティブな言葉には違いありませんが、「あまり好きではない。いや、嫌いだ」と著者。「大好き」と言われた瞬間に、「心を安く買われたような気になる」のだとか……。
すぐに「大好き」と言う女性が好きではない。というか、むしろ嫌いだ。
大好きの対象もモノや場所、異性ならいいのだけれど、「大好きな○○ちゃん」「大好きな親友」というフレーズにはぞわっとする。
SNSで「大好きな友人たちとディナーしてきました」という写真付きの投稿を見ると、「でもそのメンバーで欠席者がいたら、その子の悪口言ってるんでしょ……」とか「あなたの言う大好きにもきっと順位があって、その子たちの中で一番好きなのは誰なのかしら、本当はあんまり好きじゃない子もいるんでしょう?」と考えてしまう。
かなりひねくれた考え方だ、とは自覚している。
■「大好き」というパワーワードの強制力
「女の友情はもろい」だなんてフレーズはもう聞き飽きた。
男の友情は熱い……! というフレーズもよく聞くけれど、男性同士だって時には嫉妬が絡んで、ひどいこじれ方をすることもある。
人間関係なんて男女問わず、脆くて儚い。だから、みんなそのつながりを大事にしようとするのだけれど、そんな友情の中で「大好き」という言葉は、とても強制力が強いような気がするのだ。
恋愛ドラマなどでときどき「こんなに好きなのにどうして裏切るの」といったセリフを聞くことがある。
「こんなに好きなのに」
「どうして」
「裏切るの」
知ったこっちゃない。どんなに好きなのかは知らないし、裏切らないと信じていたのはそっちの勝手だ(非常に乱暴な話だけれど)。
でも実際、「大好き」と言われると、なんとなく裏切ったらいけないような気になるのもまた事実。
同性の友人に「大好きだよ」と言われたらどう思うだろう。少なからず嬉しいだろうし、大好きという想いにできれば応えたいと思うのではないだろうか。なんとなく、相手の要望に応えようとしてしまわないだろうか。
なんだかちょっと今、嫌なことを言われた? と感じても「いや、この人は私のこと大好きって言ってくれたしな」と流していないだろうか。
■「大好き」は免罪符ではない
正直、女性が同性に対して言う「大好き」はとても軽いものだと思っている。
なのに、言われたほうは思いのほかそれを重く受け止めることがある。人は誰だって嫌われたくない。だから「大好きのままでいてもらおう」と無意識のうちに動いてしまうのかもしれない。
「大好き」と言われると、自分が特別な存在なんじゃないかとさえ思えてくる。全然そんなことないのに。
もちろん言ったほうだって、別に悪気があって言っているわけではないとはわかっている。でも、言われた側よりも、能動的な分、なんとなく主導権を握っている。
恋愛だと、「好き」と言ったからには「好き」を返してもらいたいという気持ちがある。でも友情において「好き」を返してもらう必要はないのだ。別に大好きでなくなったとしても、関係は切れないのだから。
「大好き」という言葉は友人との距離を縮めるかもしれない。少しだけ本音を言うようになるとか、本性を出すようになるとか。でも、大好きと言った側に、傲慢はないだろうか。「大好きって言ってあげている。だから何をしてもいい」と。そうした傲慢の上に成り立つ関係なんて私は嫌だ。
大好きを伝えるのは悪いことではない。良いことだ。ただ、「大好き」と言葉を発した時点から、相手の関係はそこから少し変化する。フラットな関係は、もうそこには存在しない。
その言葉の意味を改めてよく考えてほしい。そうすれば自然とどういう場面で、どういう相手に伝えるべき言葉なのかがわかるのではないだろうか。