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「嫌いな人間」のことを考え尽くしたら発見があった

嫌いな人間ができるたびに、いけない気がして封じ込めてきた。しかし、好きも嫌いも、人間だからこそわき出る自然な感情だ。嫌いという感情と向き合い、とことん考え尽くすことで、見えてくるものがあると知ってほしい。

「嫌いな人間」のことを考え尽くしたら発見があった

「嫌いな人間」を作ってはいけないと思っていた。

自分も誰かに嫌われたくないし、自分がされたら嫌なことは、人に対してしてはいけない。それは裏を返せば、できるだけ多くの人に好かれたい、ということなのかもしれない。

とにかく「嫌い」という感情を抑え込んでいた。

「嫌い」を抑え込むと、比較的どんな人とでもフラットに付き合えるようになり、人付き合いもやりやすくなった、気がした。20代半ばぐらいまでは、それでうまくいっていた。いや、うまくいっている気になっていた。

■嫌いな人間がいる、ということ

誰かを嫌いになるということは、とてもパワーが必要になる。だから、これまでの人生の大半をとても省エネに生きていた、ということなのかもしれない。

30前になっても、変わらず「嫌い」を封じ込めて、なんとなく合わないな、と思う人に対しては「苦手」という便利な言葉で処理していた。

しかし、苦手、苦手とごまかしていたのに、どうにも説明ができない感情が沸き上がるような相手と出会ってしまった。

気がつけば、その人のことばかり考えているし、その人の一挙一動をチェックして嫌なところを探しているし、その人との共通点を見つけては潰していく自分がいる。

恋ではないのに、こんなにも他人について考えることがあるのだろうか、と愕然とした。それでも、嫌いとは言いたくはない。その人を自分の特別にしてしたくなかったのだ。

そして何より、長い間、「嫌い」から逃げていたせいで、誰かを嫌う自分に欠陥があるように感じてしまっていたからだ。

■嫌いな理由を考え尽くしたら「自分がそうなりたくない姿」が見えてきた

「あの人のことを嫌いになるなんて、自分はなんて嫌な人間なんだろう」

嫌いだと認めないばかりに、その相手のせいで、自己嫌悪にまで陥るようになった。なんたる時間の無駄だろう。

でも、そんな気分になった人は久しぶりだった。それなら、その人に対してなぜ嫌悪を覚えるのだろう、と考えてみた。

本当に好きな人のことなら、嫌いなところも10個挙げられるはずだ、という話を聞いたことがあるけれど、それは確かだと思う。

粗探しじゃないけれど、嫌いなところをひとつ見つけると、芋づる式で見つけてしまう。なんとなくそりの合わない嫁と姑が時間を重ねても仲が悪くなる一方なのもわかる気がした。

いっそのこと、とことん久しぶりに「嫌い」な人について考えてみることにした。途端にとても嫌な気分になったけれど、それはひとつの快感でもあった。

考え尽くした末、嫌いな人に「自分が決してなりたくはない姿」を見出すようになった。

■嫌いな人間がいるのはおかしいことじゃない

どこが嫌いなのかを分析したら、途端にその人のことを忘れられた。

なぜ好きなのかわからなければ、ときめきは増すけれど、なぜ嫌いなのかがわからないのは、ただ苛立ちが増すだけだ。自分の中にある感情から逃げても何も得はしないのだと、身に染みて感じ入る。

嫌いになるのは悪いことではない。年を重ねて、人を受け入れられるキャパシティが狭くなったのかと思ったけれど、そうじゃない。

きっと、人格が本格的に形成されて自分がなりたくない自分を見つけられた証拠なのだ。

嫌いなら嫌いと言えばいい。自覚することで、またひとつ、自分が形成されていく。

ふくだ りょうこ

シナリオライター。1982生まれ、大阪府出身。大学卒業後、2006年よりライターとして活動を始める。現在は胃が虚弱な痩せ型男性と暮らしながらラブストーリーについて考える日々。焼き鳥とハイボールと小説、好きなアイドルのライブに...

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