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地元の田舎で押しつけられる「普通」が苦しい。だから東京で生きている

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どこで生きるか。それは、何の仕事をするか、誰と生きるか、といった課題と並んで大きく人生を左右する選択。自分の価値観にあった望む生き方ができる場所はどこだろう? それに悩んだ女性は、何を思い、どういう結論を出したのか……?

地元の田舎で押しつけられる「普通」が苦しい。だから東京で生きている

「そろそろ故郷が恋しくありませんか」

プリンターで印字された年始の挨拶の隣に、懐かしい筆跡で添えられていた一文。春の暖かさを感じながら、文庫本でいっぱいになった本棚を整理していたら、高校時代の恩師からの年賀状が出てきた。

受け取ったのは6年前。まだ独身で、東京で働きながらひとり暮らしをしていた頃だ。

当時26歳だった私の頭の中では、故郷に帰ろうかな、という思いが少し大きくなっていた。大学入学で上京してから8年。「それなりに東京は味わったし、楽しい思いもした。でも、なんか疲れたな……」。

直前に5年間付き合った恋人にフラれてしまって呆然としていたことも相まって、リセットしたい気持ちが頭をもたげていた。

そんなタイミングでそれを見透かすかのように年賀状に書かれていた恩師の一言は、私の気持ちに拍車をかけた。

■田舎町で育ち、故郷を出たくてたまらなかった中高時代

私の故郷は中国地方にある、東京から新幹線を乗り継いで5~6時間の街だ。限界集落というにはほど遠いけど、それなりに田舎で、実家の最寄り駅には在来線が1時間に2〜3本来るくらい。デパートは市内に1つ、映画館は2つ、車がないと生活は立ちゆかなくて、人口流出が止まらない、そんな街だ。

小学生くらいまでは、自分のいる環境について特に何も感じていなかった。自分の育った場所しか知らないし、テレビをつければ都会の風景が映っているけど、なんだかそれはもう別世界でしかなく、現実に暮らす場所、という感じがしない。

ところが、中学受験をするときに初めて、田舎ならではの「変わったことをすれば叩かれる文化」にぶつかる。

塾を嫌う学校の教師に嫌味を言われる、くらいはまだマシなほうで、挙げ句の果てには近所の同級生の母親が「由梨ちゃんは、悪いお友達と万引き事件を起こしたから、そういうお友達と離れるために受験するらしい」という嘘の噂を流し始めた。

万引きなんかしてないし、友達と離れたいなんて思ったことがない。田舎にも都会にも嫌な人はいるけれど、この件が、なんとなく「この街で目立ったことをすると良くないんだな」と感じ始めるきっかけになったのは確かだ。

中学、高校と私は隣県の学校に通ったので、家は寝るだけの場所で、地元の人との交流はなかったし、思春期らしく友人や好きな男の子や将来のことで頭がいっぱいだった。その頃には故郷の田舎具合もしっかり理解していて、「早く都会で暮らしたい」「親元を離れて自由に暮らしたい」とそればかり考えていた。

念願叶って東京の大学に合格したとき、市内からその大学に合格した学生が3人いたのだけれど、その全員の名前が街中に知れ渡ったのは、なんと郵便局員が触れ回ったからだった。今考えてもあり得ない。職業倫理はどうなってるんだ、これだから田舎は嫌いださようなら! と意気揚々と上京する。

■打って変わって大都会でホームシックに

そんな具合で張り切って上京したのに、田舎娘は都会の空気に圧倒された。まず渋谷駅の井の頭線ホームの入り口。ダムの放流みたいに押し流されてくる大量の人の波に窒息しそうになる。

どこへ行ってもとにかく人が多いし、満員電車は苦しいし、ワンルームは狭く、小さなキッチンで料理をしても慣れないせいかおいしくない。

……あっという間にホームシックになった。故郷の広々した空間、おいしい空気、ゆったりした時間の流れが懐かしい。あんなに田舎を嫌がっていたのに、離れた途端に恋しがるなんて現金なものである。

大学の長期休暇になると実家に帰り、ひたすらのんびりして鋭気を養う。そしてまた東京でがんばる。そんなサイクルを学生の間中、繰り返していた。

就職してからはほとんど帰省できなくなっていたが、「故郷にいつか帰ろうかな」という思いは学生時代も就職してからも自分の中のどこかにあって、それが26歳のときにいろいろな要因が重なって強くなったんだろう。ちょっとゆっくり考えたいーーそう思って、有休と連休をあわせて、少し長めに帰省してみることにした。

■「故郷で生きようか」迷う私を待っていたのは、大人になったからこそ見える田舎の暗部だった

故郷の駅に降りたつと、相変わらずゆっくりとした、新幹線の駅だとは信じがたいくらい静かな空間がそこにはあった。都会でため込んだ緊張がほどけていって、全身の細胞が深呼吸しているような、不思議な感覚に襲われる。「こっちでのんびりするのもいいな……」とまた思う。

でも、数日間過ごして、友人・知人にも会ってみて、結局私は「帰らない」と決めた。

そのとき抱いた故郷の印象は、私が幼かった頃とも、二十歳前後の頃とも別のものだった。

20代後半の私が感じたのは、年配の人たちから向けられる「そろそろ結婚?」の目線。

お盆でも年末年始でもない時期に東京にいるはずの人間が帰ってくるとご近所から「何事だろう」と訝しがられる気配。

結婚して1年経っても子供ができない女性には「仕事を辞めろ、病院にいけ」と迫ってくる義母(たった1年で……。しかもその義母の行動は非難されない)。

30代独身男女に貼られる「どっか変わっとるんやろうね」というレッテル。

DINKSに向けられる「変わってる」「かわいそう」という周囲の勝手な評価。

地元で少し名の知られている誰かが病院でいけば「癌か」と噂になる安直さとプライバシー観念の欠如。

引っ越してきた人への無遠慮な憶測。

「結婚して落ち着くのが女の幸せ」と信じて疑わない友人たち。

そして「どこに行っても知り合いばかりでやりづらい」とこぼす都会育ちの母の顔。

大学生の頃は都会の生活に気圧されすぎて、故郷の良いところばかりに目が向いていたけれど、ああなるほど、大人になったひとりの女性としての目で、生活者の目線で、「ここで暮らす」と仮定してアンテナを張ると、保守的で閉鎖的な面が見えてくる。

もちろん、これらの点は、田舎に住む良さと表裏一体だ。それはわかっている。無遠慮さやプライバシー観念の欠如は、良いふうに出れば、地域のつながりが密接で、人が世話好きであたたかみがあることにつながる。

変わったことがあると訝しがられたり噂になったりするのも、治安の良さを保つのに一役買っているともいえる。それに物価は安く、自然が多くて、満員電車に乗ることもない。

■だから今も東京で、ふたりで生きている

でも、私はここでは生きられない、と思った。いつ結婚するかもわからなかったし、その当時から「子供を産まないかもしれない」とうっすら感じていたこともあって、田舎でいわゆる「普通」とされる女の人生を歩めないだろうなという予感があったからだ。

普通でないと訝しがられ、普通でないと噂になりやすく、普通でないと普通になった方が幸せなはずだと諭される、そんな地域社会では私は生きづらいだろう。そう思った。

東京は忙しないが、自由だ。「王道」の「普通」を歩まなくても、どこかに居場所がある。そして無縁社会の心細さや寂しさを受け入れるのと引き替えに、群衆に紛れられる。

結局私は故郷に居を移すことなく、32歳の現在も東京で暮らしている。結婚はしたが子供はおらず、夫婦ふたりの生活6年目だ。

この先故郷に戻ることがあるかもしれないし、ないかもしれない。故郷でないどこか地方の街に行く可能性だってゼロじゃない。でも今は、東京に根を下ろしている。

いろいろな生き方をなんとなく受け入れてくれる都会の良さを享受しながら、東京が自分にとって「ただただがんばる都会」ではなくて、「がんばるし、疲れることもあるけど、ここでちゃんと充電もできる」と思える場所であり続けてくれるよう、日々模索しながら。

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吉原 由梨

ライター、コラムニスト。1984年生まれ。東大法学部卒。外資系IT企業勤務、教授秘書職を経て、現在は執筆活動をしながら夫と二人暮らし。 好きなものは週末のワイン、夢中になれる本とドラマ、ふなっしー。マッサージともふもふのガ...

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