私が変わるきっかけをくれたのは子どもだった
子どもが産まれると人生は変わるのか? 「そう変わっていないんじゃないか」と思っていた佐々木希世さんでしたが、人生を構成する何気ない日々の中での選択基準がおおいに変化したことに気づくのでした。
「子どもができて人生が大きく変わった」という意見を目にすることは少なくない。私も子どもを持つ身だが、自分はどうだろうか、人生というと大げさかもしれないが、いろいろと変わったことはあるのか、と考えてみた。
結論からいうと、「家族が増えた」という物理的なこと以外はさほど変わっていないと思う。だって、生きる上での価値観は以前と変わらないし、好きな食べ物も、本も、映画も変わっていない。「この人となら友達になれるな」という基準も変わらない(だからママ友ができないのか)。
子なし時代に大好きだった食べ・飲み歩きや映画鑑賞も完全に諦めたわけではない。だって母が笑顔でいきいきと生活していなければ、子どもも楽しくないと思うから、自分の楽しみもちゃんと追求している。
ただ、生活の優先順位は変わった。当然子どもが小さい間は、彼らが健やかに育つ環境づくりが優先順位のトップを占める。それによって生活や仕事で選ぶ選択肢も前とは違うものになってきたし、時間の使い方も変わった。
意外とベビーフレンドリーではなかった東京での生活で、どうすれば乳児を連れてやりたいことができるかと、いろいろな場面でお願いしたり、謝ったり、脅したり(!)することで、以前よりさらに図々しくもなった。
……そうか、これを変わったというのか。
繰り返しになるが、人生というと大きすぎるものの、振り返ってみると日々の生活の仕方や考え方や態度で、子どもが生まれてから明らかに変わったことはある。
■出かけられないから、おうちを「最高な空間」に整えるようになった
それは自宅でいかに楽しく過ごせるか、が重要な事柄になったことだろう。よく雑誌の特集などで「極上引きこもり生活を実現するために!」(適当に作りました)のように“自宅を充実させましょう”という企画があるけれど、はっきり言うとそれとは全然次元が違う。
かたや旅行や外食など様々な選択肢がある中で、あえて自宅を目的地に設定しましょうという提案。引き換えこちらは他に選択肢なく、おうち生活が楽しくなければ産後ウツを患ってしまうかも、という切実な理由があってのことである。乳児にかかりきりで外に出られないなら、おうちがレストランであり、映画館であり、リラクゼーション・サロンでなければいけないのだ!
とはいえ、最初からそう思っていたわけではない。きっかけは初めて乳児を夫に預けて飲み会に出かけたときのことだった。笑顔で送り出してくれた夫に感謝しながら居酒屋に遅れて到着し、さあみんな揃ったところでカンパーイ! その直後、文字通りジョッキに口をつけた途端に夫からの着信。
どうしたのかな? 出てみると「全然泣きやまないよ! 泣きすぎて吐きそうになってるよ! 顔もデビルマンみたいになってる! 帰ってきて!」と絶叫された。泡を食って帰ってみると、子どもはデビルマンの面影を残しつつ泣き疲れて寝ている。呆れて言葉も出ず、私たちも黙って寝た。
夫は反省したらしく(しかし乳児のお世話もまだ自信がなく)、「うちをレストランにしたらどうだろうか」という提案をしてきた。かなり懐疑的ではあったが試さずには始まるまいと、高級食材やお酒を買い、とっておきの食器を出して、乳児が寝るタイミングから「おうちレストラン」敢行。
これがなかなか良かった。夫婦でよく食べ歩き、飲み歩いていたのが功を奏したか、舌で覚えた料理を再現するのはさほど難しくなかった。夫の株は持ち直し、調子に乗って、酒好きの私たちは「おうちバー」も充実させようと決めた(乳児持ちには制限つきだが)。
お酒好きにはわかってもらえると思うが、自分の家の酒棚に様々な種類のお酒が並ぶのを見るのはとても気持ちが良い。充実感ありすぎで人にも宣伝していたら、おうちバー目当てに友人の来訪が目に見えて増えた。
もちろん、どうしても外出したいときもある。そういうときは我慢せずに子どもを夫(その後成長し、シッターとして稼働できるようになった)に預けて外出もする。けれど、おうちが居心地の良い空間になったおかげで、以前のように「街に出て遊べなきゃ家出してやる!」とは思わなくなった。
■思い通りにいかない赤ちゃんと接して、あきらめが良くなった
子どもができる前は、人生ゴネれば大抵のことは言い分が通ると思っていた。相手が家族でも、上司でも、サービスの悪い航空会社のチェックイン係でも。はい、そんなのは子どもができなくても反省しなきゃいけない態度です。でも、私の場合は子どもができるまで気づけないおバカさんだった。
言わずとも明らかだが、乳児は話が通じないし説得できない。ゴネる前に、ゴネられてしまう。だって赤ちゃんだから。予定は立たないし、やろうと思った段取りはことごとく泣かれるか、吐かれて終わり。「今日の予定」どころか、ここ数時間の予定を立てることすら危うい。
というわけで、ダメなら潔く撤退する=あきらめることを学んだ。最初は計画や予定通りに事が運ばないと、結構な敗北感に打ちのめされたが、「もー! でも、できないって言うなら、しょうがないや」と思うようになった。
余談だが、意外なところで今、あきらめが良くなったことが幸いしている。それは、今住んでいるイタリアでの生活だ。旅行などで訪れる方はご存知だと思うが、イタリアには2〜3時間のお昼休みがあって、商店やレストランはもちろん、役所でも病院でも郵便局でも、大体午後1時〜4時くらいまで閉まってしまう。
「今日は午前中のどこかで郵便局に行って、それから銀行に行ってお金を下ろして、スーパーに寄って買物して……」などという日本人的な(私のことですが)、複数の用事を済ませようという計画は、「イタリア人の昼休み」の壁の前に崩れ去ってしまうのだ。子どもがぐずって家を出る時間が遅れたら、下手をすると用事は一つもクリアできない、なんてことも珍しくない。
しかし、私はもう打ちのめされることはない。あきらめが良くなったから。ちなみに、イタリア人もあきらめの良い人たちです。
■(さらに)図々しくなった
これは子どもというより、年齢的なこともあるのかもしれない……と今、ふと思ったが、以前に比べて恥じらいがなくなってしまった。いや、度胸がついたと言った方が聞こえがいいですね。
前述の通り、予定が立てられなくなってしまった日々の生活において、買物に行かれる、役所に書類を提出できる、一人で外食できる、仕事に束の間打ち込める、などのすべては「得難い機会」と化してしまう。すべては一期一会な人生。これもちょっと大げさだけど。
だから、そんなチャンスに遭遇すると、この機会を逃すまじと「目的達成スイッチ」とでも呼ぶべきものが作動してしまい、必要とあらば大いにゴネて目的達成を目指してしまう。正確に言うと、ゴネるのをやめたわけではなく、時と場所を選んでゴネるようになっただけだった。
さらにここに、「子どものため」という一言が加わると、図々しさはパワーアップしてしまう。
こんなことがあった。イタリアに来て間もない頃、保育園の入園手続きの仕方がわからず、困っていたときのこと。どこかの役所に行かねばならないのはわかるが、どこの役所の何課に行けばいいのだろう? そもそも当時住んでいたミラノ市の行政区画もよくわからない。そんなことを考えつつ散歩していたら、保育園の前を通りかかった。
すかさず「目的達成スイッチ」が入り、イタリア語はほぼ話せないに等しいが、とりあえず門をくぐり、先生とおぼしき人に手続きについて質問した。そして該当の役所を教えてもらうと、そこにもアポなしで行き、英語が通じる人がいたのでここぞとばかりにゴネて相談させてもらい、登録手続きを済ませた。
呆れと少しの羨望(?)が入り交じった表情で私を見る夫に、物理的にも心理的にも「なんだか遠くまで来てしまったなぁ……」という感慨を覚えたのを記憶している。
ここまで書いてきてみると、やはり子どもができてから人生は変わったんだなあと思い直さざるを得ない。なぜなら「人生」を構成している、日々向かい合う生活や仕事での選択や、一つひとつの選択肢を選ぶ背景にある考え方がこんなにも変化しているのだから。
とはいえ、子どもができてもできなくても、生き方や考え方は年を経れば変わるものだ。子どもができた人だけが、人生の変化を経験するわけでは当然ない。ただ私の場合は子どもがいたからこそ、こんなふうに自分が変わるための舵を切ることができた。
行く手に何が待っているかはまだわからない。けれど、この方角に人生の舳先を向けられたことを、とても幸せに思っている。
Text=佐々木 希世(ささき きよ)
10代半ばで渡米。大学卒業後にウォール街の金融会社に勤務し、計10年を米国で過ごす。帰国後、外資系コンサルティング会社やヘッドハンター、人材育成サービスなどの企業で、一貫して「ヒト」に関わる仕事に従事。数年前、イタリアに居を移したことをきっかけに独立。以前から続けていた執筆活動を中心に活動している。そしてビジネスや海外生活、社会貢献や育児など、幅広い分野での発信を通じて、「どんな国でも、どんな状況でも、どんな人とでもやりがいを持って働ける」社会人づくりを応援している。
イタリア子育てレポート(Glolea!)
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