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【前を向いて生きるということ #2】ぼくが2ヶ月半休んでも、会社は回っていた。そう思うとラクになれた
30代半ばの働き盛りのときに、胆管がん(ステージ4)の宣告を受けた西口洋平さん。仕事と家庭を大事にしながら、自身と同じ「子どもを持つがん患者」をサポートするWebサービス「キャンサーペアレンツ」を立ち上げ、普及させる取り組みを行っています。「今、できること」と向き合い、行動する西口さんの不定期連載をお届けします。
前回コラム「【前を向いて生きるということ #1】胆管がんステージ4だと告知された日」
手術前、医師からは、非常に難しい手術であるため、12時間ぐらいかかるかもしれない。そのため、朝に手術室に入り、終わるのは夜になるため、付き添ってくれていた家族も、家で待機するかたちになる。そんな感じの話がされていた。
胆管は上は肝臓、下はすい臓と重要な臓器と接している。拡大して切除する必要があり、肝臓とすい臓の一部までもとらなければならない。手術の難易度は高く、体力を大きく消耗し、入院期間も長引く。それでも、がん細胞を取り除けるのであればという思いで、大一番に挑むことになった。
朝イチで手術室に入る。テレビで見たような光景。ベッドで仰向けになり、手術台の上に運ばれ、目の前には無数の照明。手術着をきたたくさんの人、たくさんの機材、たくさんの会話。緊張感は高まる。気が付いたら終わってますから、という言葉を最後に麻酔が入り、そこからはまったく覚えていない。
■目が覚めたとき、ステージ4と告げられた
意識がまだもうろうとした中で目を開けると、なぜか明るい。照明の明るさというより、太陽の光のような感じ。メガネを外していたので、はっきりとは見えないが、時計を見ると12時から1時ぐらいを指している。
え、夜中? 昼間? 最初はわけがわからなかったが、すぐに父親が来て、声をかけてきた。声を絞り出して「いま何時?」と聞き、昼の1時だと言われたときに、何か感じるものがあった。なぜなら、あれだけ難しく、あれだけ時間がかかると言われていたのに、ものの3時間ほどで、目が覚めたのだから。
2~3日のリハビリののち、主治医から呼ばれ、手術の説明を受ける。案の定、腹膜とリンパ節への転移があり、がんがある胆管の切除はできないとのこと。切除すれば体力が低下し、転移のある場所からがん細胞が増殖する可能性があるからだ。
同時に、ステージ4(4段階で表され、そのもっとも進んだ段階)であることを告げられた。手術ができなかったことで、厳しい状況にあるのだろうとは理解していたものの、ステージ4と言われると、さすがにビビる。もうダメなのかと感じる。
ただ、主治医の目の前にいる患者のぼくは、元気だった。どう転んでも、もうすぐ死ぬ人間だとは信じられないくらい。テレビの中では、ステージ4はベッドで死ぬ間際みたいな印象だったのに。告知のときほどではないものの、それなりに大きな混乱があった。
■抗がん剤治療のワナ
ここから、唯一の治療である化学療法(抗がん剤)による闘病がはじまる。投与が始まる前には、髪の毛が抜けるだの、吐き気がするだの、食欲がなくなるだの、熱が出るだの、倦怠感があるだの、いろいろ言われたものの、この治療が避けられない以上、もうどうにでもなれと思った。心の準備も含めて、頭だけ坊主にしておいた。
1回目はさすがに緊張した。点滴が一滴ずつ落ちるたび、体に変化が出るのではないかと、ぼくは怯えていた。しかし、4~5時間に及ぶ投与が終了しても、なんのことはない。ふつう。変化なし。ただし、回数を重ねていく中で、様々な副作用が出てくるとは、このときは知ることなく、余裕をかましていた。
副作用とは吐き気やだるさ、肌荒れ、吹き出もの、においに過敏になる、などなど。でも、テレビで見るような「髪の毛が抜ける」ということはなく、唯一準備した坊主がムダになったことは、笑いのネタにもなっているのでよしとしておこう。
2月に手術、3月に入院しながら抗がん剤を開始し、投与の状態を確認し、通院でも抗がん剤が可能だと判断され、4月中旬に退院。しかし、またすぐに入院することになる。抗がん剤投与中は、免疫力が低下するため、病気にかかりやすくなる。
普通の人がかからないようなウィルスに感染したり。ぼくは肺炎になった。急な発熱で、40℃近くまで上がり、寒気で体の震えが止まらなくなった。驚いたのと同時に、手洗いやうがいなど、ばい菌を寄せ付けないことが人一倍必要であると実感した。
■会社を2ヶ月半休むなんて、考えたこともなかった
4月末の連休前には職場に復帰した。入院中から復帰するまでの間、家族や友人だけでなく、自身の病気を、職場の仲間に伝える必要があるわけで、それはもう悩みに悩んだ。どう伝えればいいだろうと。最初に伝えたのは、仲の良い友人だったが、感情があふれだし、涙してしまった。その次も、その次も。4~5回目ぐらいから、涙せずに話をすることができるようになった。ひとつ成長したわけだ。
職場の人へは慣れてきたタイミングで伝えたので、それは正解だったかもしれません。深刻になりすぎると、過度な心配をかけたり、自身が働きにくくなったりすることもあるかもしれないと思い、平然と明るく伝えることにした。もちろん、笑顔で。
話を聞いた同僚の気持ちはわからないが、笑いながら話をしている人のことを、「ステージ4のがんの人」とは思わなかったはず。そうして、同じチームのメンバーには病気のことを伝えて、職場に復帰したのである。
会社を2ヶ月半も休んだことは、自分の中では革命的な出来事だった。なぜなら、これまでの十数年の社会人生活の中で、一番長く休んだのが新婚旅行の1週間だけだったからだ。入院して1週間ほどまでは、仕事への不安が大きかったものの、それ以降はもうどうにもならないと割り切った。
よくいわれる、自分がいなくても世界は回る、会社は回る、仕事は回るという、アレだ。まさしく、回っていた。見事に。そのことで、気持ちは逆に楽になった。ゆっくり休もうと。仕事のことは忘れて、体を休めようと。ずっと休まずにやってきたから、今ぐらいはいいでしょうと。少し遅めの、人生の夏休みだった。
(つづく)
Text=西口洋平
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