まず胃袋をつかめと世間はいうけれど【甘糟りり子の生涯嫁入り前】

もしかしたら、私が縁遠い理由のひとつに「料理」があるかもしれない。正確にいうなら「料理の腕前のイメージ」だろうか。私のことをまあまあ知っている男意見は、まっぷたつに分れる。

まずは年々増えつつある、こちらの見方から。いわく、お店で出てくるような凝った料理が出てきそうとか、めずらしいスパイスや素材を使いこなしそうとか、そういうやつ。一方で、ほとんど料理をしなさそう、という人もいる。両方とも、私がいろいろなレストランに足を運んでいるから、が大きな理由のよう。

つまりは、これ、どちらにせよ、家庭の匂いが一切ないってことだ。生活感のない私からは、さぞ暮らしを想像しにくいことでしょう。自分で書いていて悲しい。「生活感がない」というのは、大人としてかなりのマイナスだと、元・都会の浮き草は思う。

実際の私は、そうそう外食ばかりしているわけではないし、原稿の合間の息抜き程度に料理を作るし、その程度だから大したものはできないし。他人のイメージって当てにならないものだ。

豚肉のパイ包み焼きキノコソース添えとかスパイスの調合から始める本格カレーとか、そんなの絶対に無理。作っている間にお腹がすいて、未完成のまま食べてしまうと思う。下ごしらえなしの、雑なちゃちゃっと料理が、主な私のレパートリーだ。　

しかし、そんな情けない現実に反して、好きになった男の人に手料理を食べてもらいたいという願望は、日に日に強くなっている。かつては「好きな人ができたら、あのお店でデートしたい」だったのに、「好きな人ができたら、これを作ってあげたい」と思うことのほうが、ここ数年は圧倒的に多い。

それも、やっぱり「朝食」ですね。朝ご飯を作って、一緒に食したい。誤解なきように加えておくけれど、夜を一緒に過ごした延長線上だからというわけではない。朝ランとか朝サーフィンの後でも、出勤前でもいいの。一日の始まりの、そう時間をかけるわけでもない食事を共有できれば、というささやかな希望。書きながら気がついたのだけれど、自覚以上に家庭というものに飢えているのかもね、私は。

ごく稀に、だけれど、私にだってそういうチャンスは巡ってくる。ていうか、きたこともあった。

そんな時はもう、いつもの手抜き主義を捨て、〆切も忘れて、前日から準備に没頭する。いい大人は、和洋どっちがいいかなんて、事前に聞かないよ（本当は聞くタイミングを逃しただけ）。どっちにも転べるように用意する。土鍋で炊いたご飯はおひつに移し、昆布とカツオで一番出汁をとり、サラダのドレッシングをつくり、がんばり過ぎな感じが出ないよう、漬け物やパンはお店で調達。で、迷った挙げ句、出し巻き卵と野菜のポタージュも作っとく。ポタージュといっても、健康に配慮して生クリームではなく豆乳で。

和食という私の読みは見事にはずれ、パン、サラダ、件のポタージュからの、卵料理という展開になった。

「卵、どうする？」

ベーコンも上等のやつを買ってあるし、スクランブルエッグならビルズを真似てリコッタチーズを
隠し味に使おうかなあ、なんて考えていた。

えぇえええ！　マジで、まったく予想外だった。

あわてて鍋にお湯を張り、卵を投げ入れる。ゆで上がった卵の殻を剥こうとしたら、急ぎ過ぎてボロボロになって笑われちゃった＆交代してくれた。

用意周到だったつもりが、ゆで卵で負けました。

その夜、ネットで正しい作り方を検索した。なんでも、個数に関係なく、水はお玉いっぱい分だけ、沸騰してから六分、その後は火を止めて三分蒸して冷水に浸ける、のだそう。

翌日から私は、毎日のように「ちょうどいい具合の半熟ゆで卵」を目指して、練習に練習を重ねたのだった。卵がきらいになりそうなぐらい、ゆで卵を食べ続けた。タルタルソースや卵サンドウィッチの腕前もあがったはず。

その後、練習の成果を差し出すには至らなかったけれど、これもいい花嫁修業になったと思っている。

で、身に染みてわかった。ゆで卵一個を笑う者はゆで卵一個に泣かされる。何事も基本に忠実に、ということですね。