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今日も仕事で快感を得ている

同じ言語を話す人同士でも、共通の体験やカルチャーが基盤にないと、意思疎通の難易度は上がる。そんななか、圧倒的なパワーを持つ共通言語となるのは仕事だ。一つの同じ目的に向かう全ての人と自分とをつなぐ、最高にして最強のコミュニケーションツール。

今日も仕事で快感を得ている

■努力に酔うと洗脳されやすくなる

“ある行為を我慢するという形の努力をすると、ヒトは快感を得ます。そして、自己評価が高まってしまい、かえって逸脱した行動をとるようになってしまうのです”

これは脳科学者、中野信子さんの著書『努力不要論』という本の中の一節だ。猪突猛進かつ快楽主義者の私にはあまりにも身に覚えがありすぎる。

難しい仕事が山積していて苦しい、できることなら放り出して楽しいことだけやっていたい、そう思いながらも歯を食いしばって仕事と向き合う、ときに眠くても寝ない、そうしていると次第に妙な高揚感に襲われて、なんか私、実はすごいんじゃないかみたいな気になって、挙句急にふと世の真理が見えたように錯覚し、「人間って◯◯」とか「文章って◯◯」とか結果中身スカスカの格言をTwitterに連投……とここまでが1セット。

これらは全て脳の働きによるものだそうで、何でも人間の我慢できる量には限度があり、一定量我慢すると、「これだけ我慢したんだからこれくらいは許されるはず」と脳が無意識に判断するのだという。常軌を逸した深夜のツイートは脳が無意識にそうさせていたのかと思うと大いに救われる思いである。

さらに中野さんの仰るところによれば、人は努力している自分の状態に陶酔すると他者から洗脳されやすくなったり、搾取されることに不満を感じなくなったりもするという。21世紀のこのご時世、常軌を逸したスパルタ部活が未だ存在するのも、ときに死者をも出すブラック企業が潰れないのも、共に人間の脳の構造のせいだったのだ。

■私は正しく努力している?

『努力不要論』によると努力には、自分を気持ちよくさせるだけで何も実らせない誤った努力と、正しい努力との2パターンがあるそうで、正しい努力には(1)目標を設定し、(2)戦略を立て、(3)実行する、という3つが不可欠だという。

これを読んで真っ先に気になったのは私の仕事における、ときに快感を伴うほどの努力が正しい努力なのかどうか、という点である。何しろ私の場合、フリーランスとして働いているということもあり、仕事を増やすも減らすも私次第。シングルマザーである以上、当然ながら収入はより多い方が良いと思い、あれこれ仕事を請けてしまう。一方で私の友人の中には少なからず、生活にかかるコストを最低まで下げることで、仕事の量を最小限に抑えるような生き方を選ぶ人もいる。実際私も、原稿の納品ならメールでできるわけだし、子どもたちと家賃のかからない福岡の実家に引っ越すことだってやろうと思えばできるのだ。

「仕事したくない」「仕事嫌い」を公言する人たちを前にすると、私はなぜそうまでして働くのか、ひいては東京に住み続けることを選ぶのか。もしかして目的も曖昧なまま脳内麻薬をひとりキメ込み、「仕事に追われる自分」に酔っているだけなのではないか、と不安な気持ちになってしまう。

そんなあるとき。友人の年下男子から、とある仕事の相談を受けた。近く大きなプレゼンをやるので、準備を手伝ってほしいと言うのだ。普段から親しくしている子だったのでふたつ返事で快諾、早速話を聞いて段取りを固め、次回までに君はこれとこれの資料を準備しきてね、ということを話した。で、迎えた次の打ち合わせの席で事件は起きた。なんと、前回約束した資料の準備が全くできていなかったのだ。

コミュニケーションは問題なく取れていると思ったのに、一体どうしてこうなったと愕然とした。期日は迫っているのに資料は人に見せられる状態ではない。ついやんわり怒り口調になりながら、ここはこう、ここはこう、と一つひとつ、約5時間かけて一緒に資料を修正していく。で、完成まで残り3割という時点で後は本人に任せ、その日は解散することとなった。

一抹の不安とともに迎えたプレゼン当日の朝。彼から共有されてきた資料を見て、私は「おおお」と思わず声をあげた。初回からは想像できないほど、文句なしの資料に仕上げてあったのだ。その日のプレゼンも大成功し、彼は大きな案件を勝ち取った。一仕事終えた彼は自信溢れる表情で「あのとき、明子さんがお尻を叩いてくれてなかったらできてなかったと思います」と言ってくれ、それはもう、大変に感動したのだった。

■仕事は最強の「共通言語」

なぜ働くのか。そのことついてあれこれ考えていたけれど、友人の一件を機に、答えは私の中で一気に明確になった。仕事とは、それそのものが私にとって、唯一無二のコミュニケーションツールなのだ。

私は結局、生身の人の喜怒哀楽、リアルなドラマに何よりも興味がある。人がどんなことに悲しんだり、喜んだりするのか。どんなふうに愛したり、憎んだり、成長したり、踏み外したりするのか、いつだってそういうことを知りたいと思うし、念願叶うと物すごく興奮する(本質的にはゲスな人間なんだろう……)。

けれども、いくら同じ言語を話す人同士でも、ある程度共通する体験や文化が根底になければ、本質的なコミュニケーションは成立しない。双方に同じ受容体がなければ、同じ情報を同じように把握できない。

その点、同じ会社で働く、一つのプロジェクトを共有する、あるいは敵対する、でもいい。人生の限られた時間を、複数人と同じ目的のために費やす「仕事」って、関わる人と自分とをつなぐ、すごくシンプルな共通言語。最強のコミュニケーションツールなのだ(これに勝るものというと、結婚か宗教くらいしか思いつかない)。

ましてやエッセイを書くなんていうのは、それがより直接的に作用する仕事なのであって、読んだ人が自分の体験に照らし合わせて感情を動かしてくれたり、それを受けた自分の話を私に返してくれたりする。

生身の誰かの生き様という最高の情報を、ときに間近で、ともすれば自分も渦中の人物となって味わう。最高のエンターテインメントを味わうために、私は今日も仕事をする。

無駄道に努力しないために戦略が大事。……わかっていても、やっぱりときには眉間に皺を寄せて、難しいことを考えなきゃいけないときもある。でも大丈夫。そんなときには私たちの気の利く脳がたちまち快感を促してくれる。それによって発生する逸脱した行動の偉大なる受け皿として、インターネットではTwitterが私を待ち受けている。

Twitterがなければ果たしてどんな逸脱した行動をとっていただろう。いやほんと、つくづくこの時代に生まれてよかった。

紫原 明子

エッセイスト。1982年福岡県生。二児を育てるシングルマザー。個人ブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。『家族無計画』『りこんのこども』(cakes)、『世界は一人の女を受け止められる』(SOLO)など連載多...

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