別に君を求めてないけど 横にいられると思い出す
君のドルチェ&ガッバーナの その香水のせいだよ
別れる予定の恋人にラブレターを書く、たったひとつの理由
昔の交際相手の顔なんて見たくもない、思い出したくもないという人もいれば、思い出に罪はないし、自分たちの過去を否定したくない──という人もいるはず。雨あがりの少女さんは、本音を言えば別れた人とも“お互いちょっと好き”な状態でいたいと語ります。そんな彼女が綴る“元カレ”について。
■呪いのラブレター、ついに発見される
8年前に仕込んだラブレターの返事が来た。かつて彼氏だった人から。結婚することになり、そのための引っ越し準備中、私の手紙を見つけたらしい。「あんなところに入ってるなんて、今まで気づかなかった」だって。貸したままになっていた小説『カラマーゾフの兄弟』の第4巻に手紙を挟んでおいたのだ。登場人物が多いし難しい小説だからどうせ読み終わらないだろう、いつか片付けのときにでも見つけるかもしれない、という当時の予想が当たった。
たしかあの手紙を書いたころにはもう別れようと思っていたし、実際、2週間後くらいに我々は交際を終えている。それでもあれは「別れ話の手紙」ではなくて、あくまで「未来の彼にあてたラブレター」だった。旅先で一緒に食べた蕎麦が美味しかったとか、あなたの無神経だけど親切なところが好きだったとか、私を好きでいてくれてうれしかったとか、一つひとつにたいした意味はないけれど、ただひたすら願っていたのは、私のことを忘れないでいてほしい、あわよくばずっと好きでいてほしい、ということだった。
この気持ちはたぶん、愛というより、呪いに近い。
■別れてもずっと私を好きでいて
元カレ。絶対に関わりたくないという人もいれば、あるいは素敵になって見返したいとか、また好きになってほしいとか、人によって複雑な事情、いろんな思いがあるだろう。私はというと、交際関係そのものはもう終わりでいいけれど、でも一度でも愛しあったのだから、「お互いちょっと好き」な状態でいたい。できれば永遠に。もちろん他の人を好きになるのは仕方ないけれど、正直なところ、私のことも好きでいてほしい。
いや、わかってはいる。別れ際にあえて嫌われてあげることが一種の優しさになりうる、ということも。わかっていながら到底できないのだ。だから、あいまいな言葉で別れたり、なんとなく惰性でセックスに応じてしまったりもする。相手に「ズルい」って言われることもあって、本当にそのとおりで申し訳ないと思うのだけれど、でも「『ズルい』って言ってくれるってことは、まだ私のこと好きなんだ」と安心してしまうのもまた事実なのだ。
■たとえばドルチェ&ガッバーナの香水のように
彼からの連絡は、近況報告(結婚や引っ越しのこと)と「手紙ありがとう、懐かしいね。おれたちも大人になっちゃったね」という返事だけで、私も簡潔に先方の結婚を祝った。大切にしたい人ができて、その人と永遠の愛を誓いあえて、よかったね、と心から思う。
私とはできなかったことを他の誰かとするなんて当然のことだろう。それでもやっぱりまだ私のことを忘れないでいてほしいし、じつはこれまた貸しっぱなしの(借りパクされている)小説『失われた時を求めて』にも小さなラブレターを仕込んでいる。
ところで、『失われた時を求めて』は「記憶」がテーマの長い物語だ。紅茶にひたしたマドレーヌを食べた瞬間、急にその香りから幼少期を思い出すシーンはあまりに有名で、同様のできごとは作者の名をとって「プルースト現象」と名づけられている。最近、瑛人の『香水』という歌が流行ったが、それも一種のプルースト現象についてうたったものだと思う。
もうその人と具体的な関係を持つことを望んではいないし、何もかもが変わってしまったけれど、香りを嗅ぐとどうしても甘い記憶がよみがえり、懐かしくなってしまう。そういう意味でこの「ドルチェ&ガッバーナの香水」は未来に向けた呪いだ。いつかまた思い出してほしい、ほのかに好きでいてほしい、そんな淡い願いをこめて香水をつけておくのとたぶん同じような意味で、私は別れ際にラブレターを書くのだと思う。
時はあまりに無慈悲に過ぎ去って、記憶はあまりに儚く消えていくけれど、だからこそ一瞬一瞬は尊いし、それを共有した人の記憶に残りたくてたまらない。ああ、隙あらばあなたの記憶の片隅で、今夜も蕎麦を食べていたい。