1. DRESS [ドレス]トップ
  2. ファッション
  3. 肌を露出するということ。彼女が脚を出す理由

肌を露出するということ。彼女が脚を出す理由

このデザインが好きだから。暑いから。社会へのカウンターとして。色がお気に入りだから。ゼロ年代のギャルになりたいから。なんとなく肌を出していきたいからーー。人がその服を着たい理由にはグラデーションがある。

肌を露出するということ。彼女が脚を出す理由

すこし前、ネットでギャルブランドのキャミソールを買った。パッド入りの、1枚でそのまま着られるやつだ。洋服は9割がた試着してから買うのだけれど、バーチャルモデルの女の子が派手なキャミにローライズのデニムを合わせている写真をインスタで見た深夜、かわいい! と興奮して即注文した。

届いたキャミソールはピアノの鍵盤を覆う布みたいな深い赤で、身につけていたTシャツとブラジャーを脱ぎ捨ててそれを着てみると、思っていたよりも生地に厚みがあった。頼もしい。

鏡の前に立って初めて、背骨の2/3が見えるくらいに背中がガバッと開いていることに気づく。しまった、といつもなら思うのだけれど、私はこの夏をグッドなバイブスで乗り切ろうと決めていて、グッドなバイブスの定義のなかには「遠慮せずに肌を露出する」というのも含まれているので、むしろ、いいぞいいぞ! と思った。

■「エロいなって思ったら、どうすればいい?」

大学生のころはショートパンツが好きで、ポケットの裏の生地が見えるくらい短いデニムショーパンをしょっちゅう履いていた。

当時は短めのボトムスが流行っていたこともあってそこまで浮いたりはしなかったけれど、Tシャツにショートパンツでキャンパスを歩いていると、ときどき男子学生や男性の教職員から、「目のやり場に困るから……」と言われることがあった。もっとストレートに、「エロいね!」とか声をかけられる日もあった。

そういう反応を受けてショートパンツをやめたかというと、馬鹿らしくてそんなこと当然しなかった。だって、ドレスコードが規定されているわけではない場において、男性はふつうにハーフパンツを履いたりタンクトップを着たりしているのに、女性だけが脚や腕を出すことに配慮しなきゃいけないというのはアンフェアだ(なかには男性に対して「ハーフパンツは生理的に苦手」みたいなことを言う女性もいるけれど、それは女性の露出に対する抑圧とまったく同じく無礼なことなので、即刻やめてほしいと思う)。

だからそのまま脚や腕を出して大学を、街のなかを歩き続けた。露出が多いとそのぶん性被害に遭うリスクが高まるのでは、と言ってくる人もいたけれど、女性の多くがおそらく知っているとおり、たいがいの痴漢や露出狂は、相手の女性が肌をどれだけ露出しているかは二の次で、気が弱そうか否か、つまりとっさに通報できそうなタイプか否かでターゲットを選んでいる。個人的な経験で言えば、金髪や茶髪にショートパンツで電車に乗っているときよりも、黒髪で露出の少ない服装でいるときのほうが圧倒的に痴漢には遭った。

そんな話を男性の知人にしたら、「性被害には遭わないとしても、肌を露出してる女性を見たら正直『エロいな』って思っちゃう。それはどうすればいい?」と聞かれたことがある。

答えは当然、「思っても相手に伝えないでください」だ。女性だって、というかおそらくどのような性自認の人間だって、性欲がある限り、露出の有無に関係なく他者に欲情することはある。でも、それは当人が頭のなかで解決すべき問題であって、相手の気持ちを聞く前に自分の欲望を一方的にぶつける行為は、暴力にほかならない。ほんとうは2019年にもなって、こんな当たり前のことを言うのに文字数を割きたくないのだけど。

■彼女が脚を出す理由

もっと、これからのことについて話したい。

最初に大学時代の話をしたけれど、私は25歳を過ぎてからの2年弱、ショートパンツやミニスカートをほぼ履かなかった。異性の目という問題はクリアしていても、それ以上に大きくシンプルな問題として、「自分の美意識(のようなもの)に自分の体が見合わない」という悩みがあった。

私は脚が太いほうで、大学のころはギリギリ「肉感的」みたいな言葉で形容できた自分の両脚が、歳を重ねるにつれてむくむことが多くなり、あんまり露出をしたいと思えるパーツじゃなくなってきた。

ジムに通ったり履く靴を選んだりすることで悩みの一部は解決されたのだけど、もともとの骨格の問題もあるのか、自分の思う理想的な脚にはなかなか近づけない。仕方ないから脚を出さないファッションでいることが増えて、そうなると自然、クローゼットからは短い丈のスカートやパンツが減っていった。

けれど最近、さまざまな体型の女性が脚の露出に対する自分の胸中を語る――というVOGUE JAPANの動画をたまたま見ていたら、そのなかのひとりの女性が「脚は人の歴史が見える素晴らしい部分」だと言っていて、わあ! と思った。たしかに、陸上部だった人の脚のかたちや、スポーツを一切してこなかった人(私だ)の脚のかたちはそれぞれにばらばらで、もしかすると体のなかでいちばん個性が光るパーツかもしれない。

私はまだ自分の脚を「素晴らしい部分」だとは言いきれないけれど、それでもすこしだけ考えが上向いたのを感じて、その週末は久しぶりにロングじゃないスカートを履いて出かけた。写真とか撮るたびにちょっと恥ずかしかったけど、たぶん、だんだん慣れていくと思う。

■グラデーションを受け入れる

恥ずかしい思いをしてまで肌を露出する必要なんかある? そもそもなんで肌なんか出したいの? と思う人もいるかもしれない。

知人の俳優は、あるときから脇の毛を剃らなくなった。その話を人にすると「どうして?」と絶対に聞かれるらしいのだけど、彼女自身の答えはシンプルで、「剃らないのが自然だなって思ったから」。

「特に強い思想とか信念とかあってやってるわけじゃないんですけど、なんか生えてくる毛をそのままにしてたらすごい反社会的な人みたいに見られるんです」。彼女はそう言って笑いながらちょっと困った顔をしていた。

ミックスバーで働いている友達は、お店に立つときは必ず女装をしている。胸元が大きく空いたセクシーなミニドレスをいつも着ていて、終電を逃しちゃって一緒に回転寿司を食べに行った朝も、彼女はそのドレスで街を歩いた。
写真撮影を頼まれたりするたびにいいわよ、と胸を寄せてポーズをとる友達は、自分の理想とする女の子像を体現するためにそのファッションをしているという。もともとのバストが大きいのがチャームポイントだとあるとき気づいて、だんだんとそれを生かした服を着るようになったのだと教えてくれた。女装は「女の子として生きる手段」だと彼女は言う。



たぶん、露出をする、ということにも彼女たちと同じようにスタンスや信念のグラデーションがある。なんとなく腕や脚を出すのを自然に感じるという人もいれば、社会へのカウンターとしてそうしている人もいるし、自分のなかのファッションの美学としてそうしている人もいる。

というかなんなら、ひとりの人間のなかでさえその気分は毎日入れ替わる。私自身、「なんで今年の夏は肌出したいの?」と聞かれたら、「暑い日にラクそうだから」と答える日もあるし、「ゼロ年代のギャルになりたいから」とか答える日もあるだろう。

キャミソールでも、ハーフパンツでもミニドレスでも、あるいは民族衣装とか着ぐるみとかであっても、全員ができるだけ肩肘を張らずに着られる社会であってほしい。だから、身近な人がもしいつもと違う雰囲気のファッションをしてきても、言葉はかけないままで「似合うね」って思っていたい。

『偏屈女のやっかいな日々』の連載一覧はこちらから

※この記事は2019年7月15日に公開されたものです

生湯葉 シホ

1992年生まれ、ライター。室内が好き。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』(PAPER PAPER)。

関連するキーワード

関連記事

Latest Article