「おしゃべりな猫」ただいまみいちゃん#4
文筆家・佐々木ののか/イラストレーター・ぱのが送る、コミックエッセイ『ただいまみいちゃん』がスタートします。ひとりの女性と、1匹の猫のささやかな日常をお楽しみください。
みいちゃんはよく鳴く。なんでもないようなときはひとりごとを言うように短くニャと言い、トイレに行った後は私に「見てよ」と報告するようにニャーと長めに言う。声はしゃがれていて、赤ちゃんみたいな声がする。声にはそれぞれ表情がある。まるで人間みたいに。
■みいちゃんの逆襲
この間、地元の北海道に帰省するときに、止むを得ずみいちゃんを動物病院に預けたことがあった。
エサをあげて上機嫌になったみいちゃんをカゴに押し込むのは忍びなかったけれど、放っておいては餓死してしまうのだから仕方ない。心を鬼にして、カゴに押し込める。みいちゃんはいつもよりも力強く泣く。2週に一度通院しているのに長く預けられるときはわかるみたいだ。暖かい部屋で大切に預かってもらえることが約束されているのに、まるでみかん箱に押し込めて道端に捨てるような罪悪感でいっぱいにさせられるような鳴き声だ。
子どもを産んだことはないし、子どももいないけれど、保育園に子どもを預けるときはこんな気持ちになるのかなぁと思ったりする。
今回の帰省は、母の日の翌日が母の誕生日だということで、その日に合わせて帰ることにしたのだった。家族6人が揃うのは1年と7カ月ぶりで、それはそれで楽しかったのだけど、ふとした瞬間にみいちゃんのことが思い出されて胸が苦しくなった。ちゃんとご飯を食べられているだろうか。あの後も鳴き続けていないだろうか。実家に帰ってきているというのに、私は世田谷のボロアパートを想ってホームシックになった。私の家はとっくに東京で、私の日常にはみいちゃんが切っても切り離せなくなっていた。
1泊2日の弾丸帰省を終えて、みいちゃんを迎えに行く。迎えに行ってみると、みいちゃんは明らかに機嫌が悪かった。私と目を合わせてくれることもない。たった1泊2日なのにと思う。でも、もしかすると、猫にとっての時間が人間の時間と全然違うのかもしれない。そもそも、言葉が通じていないのでいつ迎えにくるかわからなくて不安だったのかもしれない。どちらにしても、機嫌の悪いみいちゃんを見ていると胸がぎゅうっと痛くなった。
家に帰ると、みいちゃんの逆襲が始まった。部屋のあちこちにおしっこやうんちをまき散らし、ボロボロの家が揺れるような鳴き声で昼も夜も関係なくビャーと鳴き続けた。いつも一緒に眠っていたのにベッドにも近づかず、ベッドの対角線にある緑色のソファに寝転んでじいっとこちらを睨んでいる。かなしい。そんなことが三日三晩続いた。
4日目の夜、私は勇気を出してみいちゃんを抱えて、布団の中に招き入れてみた。抱えるときは少し暴れたけれど、ベッドの上に乗せると不思議なくらい自然に頬ずりをして、コロンと転がり、撫でろと言わんばかりに腹見せをした。もしかしたら、このときを待っていたのかもしれなかった。ビャーという地割れがしそうな鳴き声は「さみしい」という気持ちの表れなのかもしれなかった。もうできるだけ、遠出はしないであげたいなと思った。
別の日、家に遊びに来た友達が「この子はよく鳴くね」と言った。確かにみいちゃんはおしゃべりだ。何でもないようなときでもひとりごとのようにニャと短く鳴いている。
「きっと自分とののかちゃんが違う生き物だってことをわかってないと思うよ。人間に言葉があるというのを知らないで、鳴けば十分伝わっていると思っているんだと思うな」と言って、友達は帰って行った。
私は相変わらず、みいちゃんが何と言っているのかわからない。わからなくてもいいけれど、できればいつかわかるようになれたらいいなと思っている。
Text/佐々木ののか(@sasakinonoka)
Comic・Illust/ぱの(@panoramango)