サイズ神話からフリーになろう
パンツのサイズを切り替えた大草直子さん。そんなときに周囲からのふとした一言。サイズ神話について考えたことを綴ります。服は着る人に合わせて作られている。人の体格や価値観に無理やり合わせて服を選ぶ必要なんてない。
昨年の冬、パンツのサイズをイタリアサイズで40に替えた。
日本サイズでいうと、9号から11号へ。
私自身、大切なのは、体重計の目盛や、パンツのタグに記されたサイズ――数字ではないと思っているので、そのことを別に嘆いたり、ショックに感じたりはしなかってけれど。このエピソードを、1カ月に1度は訪れる小さなコンセプトストアのスタッフに話したら、「え、大草さんって、11号なんですか?」と軽く驚かれた。
その裏には、9号が基準、ベーシック。それを超えた11号は、女性としてイレギュラー、というようなニュアンスが、少なからずあったように思う。彼女は意図していなかったとしても。日本のサイズ神話は、今でも実在している。実際、パンツを試着している女性が、スタッフの「サイズを1つ上げられたほうが」というアドバイスに、顔を真っ赤にして起こっているシーンにも遭遇したことがあるし。「私は9号サイズです!!」と。
サイズは、メーカーが、限られた数のデータを基に作ったもので、私たちの要望で決定されたものではない。しかも、物心ついた頃からあるから、恐らく、ずいぶん前に決まったことなのだ。少し無理のある数字設定に一喜一憂するのも、時間の無駄だし、何より、服の規格に自分を無理やり押し込めなくてもいいと思う。
服は、「着る人」のためにあり、「着る人」に引き寄せて着るべきなのだから。いっそ、サイズ表記を、無機質な数字ではなく、「Kate」や「Becky」、「Amy」などのような、可愛らしいネーミングにすればいいのに!