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夢を見つけられなかった少女を変えた奇跡の出会い

人生を変えるような出会いは、いつも唐突に訪れる。それを活かすも殺すも、その人次第。島根で生まれ育った生越千晴さんは、そんなチャンスを掴み取り、気鋭の女優としての道のりを歩んでいる人物だ。しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。夢が見つからなかった少女時代から女優として輝くまで――そんな彼女の東京物語に迫る。

夢を見つけられなかった少女を変えた奇跡の出会い

生越千晴、25歳。現在、劇団「モダンスイマーズ」の一員として舞台作品を中心に活躍する一方で、CMやドラマ、映画などの映像作品への出演も急増している、気鋭の若手女優だ。しかし、幼少期の生越さんは、「女優になる」などと考えたことすらなかったという。

「幼い頃は常にショートカットで、近所の男の子たちと駆け回って遊んでいるようなタイプだったんです。外で遊んでばかりで、ドラマや映画を観る機会も少なくて。だから女優になるなんてことはもちろん考えたこともなかったですし、そもそも、将来の夢さえも見つけられていなかったんです」


中学生の頃には、イジメにも遭った。靴を隠されたり、グループの輪に入れてもらえなかったり……。しかし、生越さんはそれでも学校に通うことはやめなかった。

「両親からは『無理をしてまで学校に行かなくてもいいよ』って言われていたんです。でも、他人のせいで自分の将来が閉ざされてしまうのだけは嫌だった。だから意地でも通っていました。やがてイジメもなくなって、進学した高校で芸術方面に進もうかなと思うようになったんです」

芸大に進学し、アート方面の仕事がしたい。これが生越さんにとっての、初めての夢だった。

「高校2年生の頃に美術部に入って、それから必死で絵の勉強をして。画塾にも通って、なんとか広島の芸大に合格することができました。でも、いざ入学してみると、周囲の子たちと温度差があることを痛感したんです。周りの子たちは『マンガ家になりたい』『イラストで食べていきたい』という明確な目標を持っているのに、私はなんとなくアートに携わりたいとしか考えていなくて。そこでまた、夢を見失ってしまいました」

自分の将来が見えない。それは焦りにも似た感覚だっただろう。そんなとき、生越さんは広島で開催されていた「THINK」というトークイベントで、現代アーティストの鈴木康広氏と出会う。そして、そこで言われた意外な一言が、彼女の人生を大きく変えることとなった。

「鈴木さんから、『舞台を観てみたら?』と言われたんです。『舞台も総合美術だから』って。それで、東京に遊びに行ったときに、カンパニー・フィリップ・ジャンティの『動かぬ旅人』という舞台を観たんですけど、ハッとしました。物作りではなく、身体を使った表現方法もあるのか、と。そしてその瞬間、私も芝居をやってみたい、と直感的に思ったんです」

■ようやく見つけた「女優」という夢。しかし……

広島に戻ってからも、芝居への熱は冷めなかった。

そこで知ったのが、広島市文化財団が運営する演劇引力廣島の第11回プロデュース公演『デンキ島~松田リカ編~(広島版)』だった。本公演で出演者を決めるワークショップ形式のオーディションが開催されることを知った生越さんは、迷わず参加したという。

「オーディション自体初めてでしたし、そもそも芝居の経験さえなかったから不安もあったんですけど、大学の友人がスタッフとして参加していたこともあって、とにかく受けてみようって。会場には本気で芝居が好きな人たちが集まっていて、その空気に圧倒されながらも、よくわからないまま2日間のオーディションに挑戦しました」


結果は見事合格。しかも、主演に抜擢された。

「オーディションの一週間後くらいに合格通知が届いたんですけど、まさか主役に選ばれるとは思っていなかったのでとにかく驚きました。私がやるなんて大丈夫なのかなって。でも、そのときはまだ冷静さもあって、なんとかなるだろうとも思っていたんです」


そんな想いは、すぐに打ち砕かれることになる。

「稽古中は『セリフで芝居をするな』って怒られてばかりだったんですけど、その意味もわからなくて。なんとかなるだろうなんて甘い考えはすぐに消えて、どうすればいいのかわからない焦りにとらわれていました。

でも、そんな私の様子を見ていた演出家の蓬莱竜太さんに、『周りの人たちのことをもっと見てごらん』って言われたんです。

それで、お父さん役、お兄さん役の方々の芝居だけじゃなく、普段の様子に目を向けてみたら、愛おしさにも似た家族愛のような感情が芽生えてきて。その感情が芝居にもつながる感覚があって、自然と涙が出たり怒ったりできるようになったんです。共演者の人間性を知ることで、芝居が変わる。蓬莱さんに教えられたことは、いまだに大切にしています」


初めての体験に苦悩し、涙し、それでもやり遂げた公演。わずか5日間という公演期間だったが、彼女の人生を決めるには充分だった。その後、すぐに生越さんは上京を決意する。もちろん、女優になるため、芝居をするためだ。

「大学4年生を迎える頃のことだったので、『せっかくだから卒業してから上京したら』と言われることもあったんですけど、一日でも早く芝居の世界に飛び込みたかった。ステージ上で体感した衝撃を、もっともっと味わいたかったんです」


そんな生越さんの決意を知った蓬莱氏は、彼女を「モダンスイマーズ」という劇団へと誘った。それは彼女にとっても念願だったこと。こうして生越さんは、ようやく見つけた「女優になる」という夢に向かい、東京へと移り住むことになったのだ。

■世田谷区役所の広場で佇む、お気に入りの時間

生越さんが住むのは、世田谷線が走る小さな街。

その街の雰囲気に、「ほぼ一目惚れでした」と笑いながら話す。

「家探しで東京に来たときに、たまたま三軒茶屋で降りて、あてもなくフラフラと歩いてみたんです。路面電車を歩いてみたら、いい意味で東京っぽくなくて。なんとなく落ち着けそうな空気が漂っていました。そしてたどり着いたのが、世田谷区役所の広場。まるで日本ではないどこか別の国のような、独特の雰囲気に惚れ込んでしまって、そのまま住むことを決めたんです」

生越さんにとって、世田谷区役所の広場は、いまでもお気に入りのスポットだ。東京に来たばかりの頃には、友人と座り込んで延々と話し込むこともあった。買い物に行くときも必ず広場を通り、建物を見上げては癒やされているそうだ。

また、島根出身の人が経営する「えんとつ」というカフェにも、よく遊びに行く。

「そこでは島根の食材を使ったご飯が食べられるんです。サバサバしたお姉さんが切り盛りしていて、仕事の相談をすることもしょっちゅう。まったく異なる職種だからなのか、想像もしなかったような答えをくれることもあって、心の拠り所になっているお店ですね」

■唯一の友人を失った日に感じた孤独感

お気に入りの場所を見つけ、行きつけのお店もできた。やっと見つけた女優という夢に対しても、着実に前進できている。まるで順風満帆のようにも見える生越さん。しかし、東京に来たばかりの頃は、ひどくつらい目にも遭った。

「東京に来てまだ一年目の頃、同じ夢を持って頑張っている唯一の友人とトラブルがあったんです。いまでも思い出すだけで胸が痛くなるようなことで……。当時、人を信じることができなくなって、どのように人と接すればいいのかさえもわからなくなってしまったんです」

島根からたったひとりで上京してきた少女にとって、唯一の友人を失うことがどれほどの痛みだったのか、それは想像に難くない。

けれど、生越さんはその経験をプラスにとらえている。

「私自身も子どもだったと思います。世の中には悪い人なんていないものだと思っていて、世間知らずだったのかもしれない。だけど、そんな経験をしたおかげで、人間として成長できたとも思っていて。

もちろん、なるべくなら哀しい想いなんてしたくないです。でも、そういう出来事に遭遇してしまったのであれば、いつまでもネガティブにクヨクヨするのではなく、そんな経験も活かしていこうと前向きにとらえることで人生が変わっていくと思うんですよね」


そう話す生越さんの目には、やさしさのなかに凛とした強さが滲む。

振り返ってみれば、夢が見つけられなかった焦りや、学生時代のイジメ体験からも、生越さんは逃げずに真正面から立ち向かってきた。そういった姿勢があれば、東京でも生きていける。弱冠25歳の彼女は、自らの生き方をもってそれを体現している人だ。

■「好きなもの」が心の拠り所になることを知った

それでも、と生越さんは続ける。

「学生時代も、東京に来てからも、つらいことをなんとか自力で乗り越えてきましたけど、もっと楽しいことや好きなものを見つける努力をしていれば楽だったのかなとも思うんです。それに気づかせてくれたのが、『スーパーオーガニズム』というバンドとの出会いでした」


友人経由で「スーパーオーガニズム」を知ったという生越さん。

彼らの曲を初めて耳にしたとき、それまでに感じたことのないような感覚に包まれた。

「初めて聴いたのは、『something for your MIND』という曲。聴いていると、自然と身体がのるというか、不思議な感覚になるんですよね。

そして、彼らの創作に対する姿勢も好きで。『自分たちがいいと思う曲だけを作る』って公言されているんですけど、それってすごく正しい気がするんです。彼らに出会って、音楽が心の支えになることを教わりました。だから、もしも過去の自分と出会えることがあれば、『もっと夢中になれるものを探した方がいいよ』って教えてあげたい。

音楽に限らず、マンガや映画でもなんでもいい。そういったものが心を救うことにつながると思うんです」

最後に、東京という街がどんな存在なのかを尋ねてみた。すると生越さんは、複雑な表情を浮かべながら口を開く。

「最初はつらいことも経験したせいで、東京に対するイメージはどんどん悪くなっていきました。でも、あれから新しい友人もできて、決して悪い場所ではないのかもしれないと思うようになりましたね。

ここにはいろんな人がいて、なかには甘いことや危ういことばかりを言う人もいます。でも、絶望を感じて閉ざしてしまうのはもったいない。やっぱり友人と一緒にいると楽しいですし、心の持ちようでクルクルと変化する街なのかもしれないと感じます」



生越さんが話す通り、東京という街には危うい側面がある。

誘惑にのってしまい、道を踏み外す人も少なくない。だからこそ、そんな街で成功しようと思うのならば、誰にも負けない“強さ”が求められる。しかし、強さと孤独とは隣合わせだ。それでも自分を貫き通せる人が、どれだけいるだろうか。

そんななか、生越さんは自分を信じ、強くいられる稀有な人だ。凛とした佇まいの裏側には、きっと想像を超えるような苦労があったはず。けれど、それを感じさせまいと柔らかく笑う。その横顔には、この街で強く生きていくという決意が滲んでいた。彼女が第一線で活躍する日も、そう遠くはないだろう。

Text/五十嵐 大
Photo/池田博美

生越千晴プロフィール

1992年11月9日生まれ、島根県出身。女優。A.L.C.Atlantis、モダンスイマーズ所属。2014年、『デンキ島~松田リカ編~(広島版)』にて女優デビュー。その後、『悲しみよ消えないでくれ』『何が格好いいのか、まだ分からない。』などの舞台のほか、CMやドラマ、映画への出演も重ねている。

DRESSでは8月特集「東京の君へ」と題して、夢や希望を持って上京し、東京で活躍する「表現者」たちの“東京物語”をお届けしていきます。

DRESS編集部

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