自分の「嫌だ」を大事にする。「LEBECCA boutique」赤澤えるが考える自分らしい装い
赤いワンピースに、赤い髪色のボブカット――。それが今の私らしさ。
服も情報も溢れる世の中。
その大海に浮かべば、自分の“好き”も“嫌い”も迷子になる。
いろいろなモノが生まれては消費される現代において、わたしたちは何に自分らしさを見出せばよいのだろう。
そんな悩みにヒントをくれそうな女性に話を聞いてみることにした。
彼女の名前は、赤澤えるさん。
古着とそれに着想を得たオリジナルアイテムのお店「LEBECCA boutique」の代表をしている彼女は、いつでもどこでも、赤い髪色のボブカットに赤いワンピースという装い。そこには揺るぎないポリシーがあるようにも見える。
彼女のライフヒストリーをひも解きながら、「自分らしい装い」の糸口を探る。
■アパレル業界に入るのは、どちらかと言えば「嫌」だった
――えるさんは最初に入られた会社から今まで、ずっとファッションに携わるお仕事をされてきていますよね? 小さいころから服が好きだったんですか?
好きでしたけど、今の「好き」とは違っていました。小学校高学年のときに「エンジェルブルー」や「メゾピアノ」といったブランドの服がものすごく流行っていたんですね。
そんなに裕福な家ではなかったんですけど、お祝い事があるたびにメゾピアノの服を買ってもらって、すごくうれしかったのは覚えています。今は赤が好きですけど、当時はピンクが大好きで、コートも中のシャツもスカートも靴下もピンクでした(笑)。
「好きな服を着られて楽しい」くらいだったんですけど、そのころから色で統一するのが好きだったりとか、全部同じブランドで揃えたいという気持ちが強かったりして。今思えば、そういう気持ちがエシカルな思想や自分のブランドのことを大事にするということに繋がっているのかなと思います。
――では、「将来はファッションに携わりたい」という気持ちも強くはなかった、ということでしょうか?
どちらかというと「嫌だ」に近かったかもしれないです。アパレル業界に対して私が抱いていたイメージって、1日中立ち仕事で残業も多いし、いつまでも給料が安いという感じだったんですよ。自分が将来関わる業界だと思ってなかったので、実態を知る機会もなかったですし。
最初に入った会社は、大規模なファッションショーを運営している会社で、次に入った会社はファッションブランドのプレスで、その次は古着屋さん、そして今の会社と、ずっとアパレル畑にいるのですが、すべて知人の紹介など偶然が重なって働くことになったものばかりで自分でも驚いています。父の影響で、小さいころから音楽を聴くのが好きで、「私はいつ音楽業界に行くんだろう」って漠然と思っていたくらいだったので(笑)。
大学も中退してしまったこともあって、最初の会社は特に、生活のために入社したようなところもあります。
――大規模なファッションショーを運営する会社や、ファッションブランドのプレスなんて、みんなの憧れを集めるお仕事なのに、生活のためだったというのは意外でした。
みんなが憧れるような職業だということも知らないくらい、アパレルに疎かったんですよ。むしろファッションに携わる仕事に就いて「高卒でどうなるかと思ったけど、ちゃんと働いているんだね」と言ってもらえるようになったことのほうが、私にとっては大事なことだったかもしれません。
――入り口はそうだったかもしれませんが、えるさんの服への思い入れをSNSで拝見していると、ファッションに携わるべくして携わった人だと思えてならなくて……。自分にこの仕事が向いているなと感じた瞬間があれば教えてほしいです。
小学校の頃の話にも繋がるのですが、私は「これ」って決めたものに染まりたいと思うところがあって。
前職では、仕事中もプライベートでも、そのブランドの服を着ていました。
友達に「その服いいね」と言われたら、自分の仕事の話をするのが好きで。今は全くと言って良いほど穿かないですけど、そのころはデニムばかり穿いていたんですよ。こういうと「社畜」みたいに聞こえるかもしれませんが、私生活までどっぷり浸かるのが自分の仕事、という意識がありました。
1日や1週間のほとんどを仕事しながら過ごすわけじゃないですか。それが好きになれなかったら、しんどいなって。もちろん無理して好きになったわけではないんですが、その仕事に自然と染まれるほど好きになれたから今までやってこられたのかなって思ってます。
■「ファストファッションを良いとは思いません」
――今の会社に入ったのも、社長に声をかけられたことがきっかけでしたっけ?
はい。初めてお目にかかったとき、最初は誰かもわからずに話していました。「ファストファッションについてどう思う?」って聞かれたとき、酔っていたこともあったんですけど「私は嫌いだし、買わないし、持っている人のこともいいと思わない。たとえば、earth music&ecologyとか超嫌いです」って言っちゃったんですよ。
そしたら、その人がearth music&ecologyを運営しているストライプインターナショナル(当時はクロスカンパニー)という会社の社長・石川康晴さんだったっていう(笑)。
その場でも気付くことなく会場を後にして、酔い覚ましに本屋さんにフラフラ入って、ビジネス本のコーナーを見ていたら、さっきまで話していた人が載っているんです。そのときに石川さんだってことに気づいて慌てて連絡したんです。「すみませんでした! そんなつもりなかったです! でも嫌いなのは本当です!」って(笑)。
そしたら「これからも生の意見交換をしてくれるなら仲良くしよう」と言ってくださって、その後に更にご縁がありカメラマンとして入社させていただきました。それからしばらくして「ブランドをやらないか」って声をかけていただいたという感じです。
■「仕方ないことなんか、何ひとつないと思ってる」
――ドラマみたいな展開を経て、今の仕事に就くことになったんですね。
本当にありがたいですよね。
ただ、ブランドをやらないかって声をかけてもらったときは、正直自信がなくて。ブランドの立ち上げなんて、私よりフォロワーがいるような有名な人がやってもうまくいかないことがある。だから、「LEBECCA boutique」も1年くらいで終わってしまうんだろうなと思っていましたし、葛藤もありました。私がブランドをつくっても、社会的な価値なんて生まれないと思っていたんです。
これは他の取材でもよく話していることですが、いざブランドを立ち上げることを決めて、買い付け先のアメリカで服の山を見たときも、ショックと絶望で熱が出てしまって……。
もう人生でないくらいの絶望を味わいましたし、怒りましたし、「もうやめたい」と社長にも何度も伝えましたね。
赤澤えるさんがブランドを始めてから、アメリカへ買い付けに行ったとき見た光景。ショックからその場で泣き崩れてしまった赤澤さんは、「やっぱり服を作るのをやめよう」と考えたそう。
――そうしたら、社長は何とおっしゃったんですか?
私が激情していても、社長はニコニコしていました。恐らく私が壁にぶち当たることをわかっていたんでしょうね。ものすごく忙しい方なのに時間をとって話を聞いてくれて、質問に対して全部隠さずに答えてくれて、それでも私が納得いかないときは担当者とつないでくれて、私の疑問を徹底的に解決してくれました。
廃棄を限りなくゼロに近づけていることや、それでもコストを考慮した仕事のやり方をしなくてはいけないことなどを聞かせてもらって一応解決はしたんです。でも、結局モノを多く作りすぎていることには変わりないですし、仕方ないと言われたって私はそこには全然納得できていないので、話を聞いているときも嫌な顔をしていたかもしれません(笑)。
だって仕方なくないじゃないですか、何も。
――それだけ納得していない中でもブランドを続けていこうと思って続けられている理由にはどんなことがあるでしょうか?
まず、社長に恩返ししたいという気持ちがあります。私が感情にまかせて責め立てるように質問しても、時間をつくって全力で答えてくれたので。
それから、私が独立して細々とやっていくよりも、こういった規模の大きな会社で「私がこういうことをやっている」と話していくほうが、より多くの人に声を届けられると思ったからですね。
今の会社がここまで大きくなったのは、今までの社員さんたちの努力の積み重ねで、今の私ひとりではなし得ないことなので、ここに置かせてもらえる限りは続けようと思っています。
■服の知識も発信力もなかった、だから「言葉」を武器にした
――LEBECCA boutiqueは、Instagramのハッシュタグ「レベッカブティックのこと」で綴られる文章やワンピースの名前など、言葉に特徴があると思うのですが、こういったコンセプトで走り出した理由にはどんなものがあるのでしょうか?
「負けたくない」という気持ちが強かったんだと思います。最初にお話をいただいたときも、適任じゃないと思って何度もお断りしていたくらいなので。始まった当初も、きっと1年くらいで終わってしまうような気もしていたんです。私には服の知識も、発信力もなかったので。
LEBECCA boutiqueでは古着が7割、オリジナルアイテムが3割の比率で商品が構成されている。オリジナルアイテムには、特徴的な名前が付けられており、エピソードを読み進めていくとその意味が回収されるという仕掛けになっている。先日販売された浴衣には「夢にまで咲く花柄浴衣」という名前が。
でも、いつ終わるかわからないと思っているからこそ、自分が納得して一生懸命やれる形を探したし、やるなら負けたくなかったんです。例えば「ダサい」とか「服を勉強してきていない奴がやってもね」と言われたとしても、「わたしにはこういう想いがあって、それを形にしてこうなった」ということを説明できれば、勝ち負けがあったとしてもただの負けにはならないような気がして。
――えるさんが伝えたかった想いというのは、どんなものなのでしょうか?
私が「LEBECCA boutique」をつくるとき、「うちの服を手に取る人には、服を大切にしてほしい」という願いを込めたんです。「言葉」はこの想いを伝えるための、強い武器になっている気がします。
――実際に、その想いが届いているなと実感した瞬間はありますか?
たくさんあります! 「外に出られるようになった」とか「失恋したけど、この服を着て告白できてよかった」とか、極端な例で言えば、「死にたいと思っていたけれど、生きられるようになった」とかも。
そうした感想が書かれた長文のお手紙やDMもたくさんいただくんですけど、極力お返事を返すようにしています。メッセージを書くのにずいぶんと時間がかかったはずだから、私も同じ熱量で返さなきゃって。
――LEBECCA boutiqueの服はえるさんの“想い”と“思い出”が込められたオリジナル商品と、各地で “救済”してきた古着で構成されていると思うのですが、買い付ける際の基準などはありますか?
バイヤーは私以外にふたりいるんですけど、その子たちにはよく「自分がプライベートで着たいと思えないものは買わないで」と伝えています。「なんとなく可愛い」とか、「お店に置いておいたら誰かしら買いそう」とかっていうものって、推すポイントもなくて店頭に残っちゃうんですよ。
もちろん、そればかりを基準にしてしまうと、私の場合は赤いワンピースばかりになってしまうし、背の高い子なら丈の長いものばかりになってしまうので、あくまで「極力」の話なんですけど。買い付けの段階からも「服を大切にしてほしい」という気持ちは変わりませんね。
■「自分の中で1番許せないこと」が1番の自分らしさになる
――現在はLEBECCA boutiqueの活動とは別に「えぶり号」というキャンピングカーで日本一周をされているんですよね。普段のお仕事をされながら全国を回るのって大変そうなイメージなのですが、どうして始めることにしたんですか?
服を含めてモノづくりに共通する話だと思うのですが、私は生産者に興味があるんです。「エブリデニム」の山脇・島田兄弟がしている旅はまさに生産者を訪ねて巡る旅なので、それを聞いたとき、迷わず「一緒に乗せて」と言いました。
車中泊をしているときは髪のセットも大変だし、冷房も効かないので地獄のような暑さだし、そういう意味でけっこう大変なんですけど、それを超える生産者の方との出会いがあるんですよ。
桃の農家さんを訪ねたときは「桃でワンピースを染めたら素敵だな」とか、魚の生産者さんを訪ねたときは漁で使った網がゴミになるんだったら、「その網を糸にして服が作れないかな」とか、アイデアのタネをもらって帰ってくることもありますし。実際に新たな事業として動き出している部分もあります。
――ワクワクしますね! その新たな事業について、もう少し詳しく聞かせていただけますか?
私は糸をつむぐところから縫製するところまで、すべての生産者の顔が見えるモノづくりをやりたいと思っていて。私が私の言葉で「あなたのつくっているものが素晴らしいから協力してほしい」と伝えていって、最終的にひとつのワンピースをつくるのが目標なんですね。
今はそれを叶える場所としてブランドをつくるところまで話が進んでいて、最終的にはそこでつくった服をLEBECCA boutiqueに卸すところまで行きつくのが直近の目標です。
――お話を伺っていて、えるさんには何があってもブレない強さと一貫性があると感じました。たとえば誰かに嫌なことを言われたときなんかは心が揺らぐ瞬間もあるかなと思うのですが、それでも信念が折れないことにはどんな理由があるのでしょうか?
――ありがとうございます。最後に、えるさんの考える「自分らしさ」とはどんなものか、教えていただけますか?
取材・Text/佐々木ののか
Photo/池田博美
赤澤えるプロフィール
LEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、さまざまな分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。自身が撮りおろし、福島県と共同制作したZINE「夢にまで」発売中。
いろいろな顔を持つ女性たちへ。人の多面性を大切にするウェブメディア「DRESS」公式アカウントです。インタビューや対談を配信。