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あのとき上京しなかったら「女子プロレスラー・藤本つかさ」は生まれなかった

東京を生活の拠点にする理由は人それぞれ。藤本つかささん(女子プロレス団体「アイスリボン」取締役・選手代表)は就職のために上京した。教員志望から広告業界への方向転換、突如舞い込んできた芸能活動からのプロレスラー転身……流れに身を委ねるうちに、自分の大切な居場所と出会った彼女の東京物語とはーー。

あのとき上京しなかったら「女子プロレスラー・藤本つかさ」は生まれなかった

藤本つかさ、35歳。アイスリボンという団体に所属する女子プロレスラーです。8月にデビュー10周年を迎えます。

宮城から22歳で上京して、早13年。教員になりたくて福祉大学に入ったけれど、紆余曲折を経て入社したのは広告代理店。東京の本社配属でした。

最初は嫌々やってきた東京。「土日だけ芸能活動をしませんか」。そんな誘いにイエスと言った瞬間、夢に向かって歩き始めていました。

あのときノーと返していたら、まずプロレスラーになっていなかったし、30歳くらいで結婚して、子どもを産んでいたんじゃないかって思います。

今も結婚願望はありますよ。周りからはなぜか「いやー、ないでしょ?」って決めつけられます。たしかに予定はありませんが、願望がないわけではないんです(笑)。

■宮城県から出たくなかった

もともと東京に来るつもりはありませんでした。地元・宮城県から出たくなかった、というのが大きいです。

大学で社会科の教員免許を取得したあと、教員採用面接の練習として、一般企業の面接を何社も受けていました。でも、マスコミや広告代理店の面接を受けていると面白くなって、そういう業界に興味がわいてきたんです。

結局、入社したのは廣済堂。営業職でした。宮城県内で勤めるつもりでしたが、勤務地が東京になって、仕方ないなと思いながら上京。

最初に衝撃を受けたのは、渋谷スクランブル交差点を通行する人の量。宮城にいたころは、人とあまりすれ違わないし、すれ違ったとしても、必ず「こんにちは」と挨拶をするんです。

でも、スクランブル交差点を目の前にして、どうやって挨拶するんだろう? できないかも? と戸惑いました。挨拶はおろか、目すら合わせず通り過ぎていく人たちを見て、最初は寂しかったのを覚えています(笑)。

新宿歌舞伎町を初めて歩いた時の事も記憶にあります。賑やかで、華やかで「今日、お祭りなんですか?」と、近くにいた人に聞きました(笑)。びっくりされたと思います。東京という街の人の多さ、盛り上がりに、ただひたすら驚いていた22歳でした。

■こっそり始めた芸能活動が会社バレした日

はじめは戸惑うことも多かったですけど、1週間も経つころには、「東京、楽しい!」となっていました。宮城から共に上京した同期ふたりとは、会社の借り上げマンションで隣室に住んでいて、作りすぎた料理をおすそ分けしたり、ベランダ越しに喋ったりする日々。

1年半で退職したものの、広告営業の仕事もやり甲斐がありました。転機は業務で参加した出版記念パーティで、芸能事務所の社長からスカウトされたこと。副業は禁止でしたが「土日だけでも」という言葉を受けて、こっそりタレント活動を始めました。

そんななか加入したのが芸能人女子フットサルチームのひとつ「南葛シューターズ」。運動が好きで、スキーやクロスカントリーの経験もあった私には合っていて、本気で楽しんでいたんです。

活動の模様が『ヤングジャンプ』に載っているのを上司が見つけ、ものすごい剣幕で怒られたのは今でも覚えています。後日、改めて呼び出され「他の部下の手前、怒らないといけなかったけど、どういうこと?」と聞かれました。

当時、会社員を続けるか、芸能の道へ進むか迷っていて、悩んでいることを伝えると、その上司が応援してくれて。父にも相談すると「楽しそうじゃん。会社やめちゃえば?」と背中を押してくれて、会社を円満に“卒業”することに。今でも会社の送別会に呼ばれたり、試合を観に来てくれたりしますよ。

■どんなに痛くても、プロレスを続ける理由

プロレスと出会ったのは、プロレスを題材にした映画『スリーカウント』のオーディションに参加したときでした。出演の条件は「プロレスラーデビューすること」だったので、オーディション後、プロレスの練習に参加したんですね。最初100人いたのが50人……とどんどん脱落して、最後に8人がデビューしました。今、プロレス界に残っているのは、私を含めてうち3人です。

格闘技とプロレスの違いもわからないまま、練習に参加していたプロレスですが、もっと早く出会っていれば良かった!と思うくらい、最初から楽しかったのを覚えています。打撃や蹴りを受けたり、投げられたりするわけですから、もちろん痛みを感じます。ホントに超痛いです。痣もできますし。

それでも楽しくて続けられるのはお客さんがいるから。これに尽きます。痛みや負けたときの悔しさ、勝ったときの喜び……お客さんはすべてを同じ空間で共有してくれるし、直に反応をくれるから、10年やってこられたと思っています。リングで技を受け続けても立ち上がる私を見て、「自分もがんばろう」と感じてもらえたら本望です。

振り返ってみるとあっという間の10年でした。プロレスをしていると、毎日が文化祭のような非日常で、終わりがありません。大きな大会がようやく終わった……と思っても、余韻に浸ったり、失敗して凹んだりする暇もなく、「次!」と気持ちを切り替えないと、やっていけないですから。

とはいえ、東京に来て泣いたことも数知れずあります。あるとき、ダンプ松本選手が控室で、「アイスリボンの選手はメインイベントに立つ器じゃない」と話しているのを偶然耳にしたんですね。

あまりにも悔しくて、帰りのクルマの中で号泣しました。でも結果を出していけば、そういう状況は変わると信じてやっているうちに、ダンプさんが興行に呼んでくださったり、アイスリボンの選手をメインイベントに起用してくださったりするようになったんです。

■東京で出会った家族と師匠

人生の師といえる人に出会ったのも、東京に出てきてからのこと。デビュー30年で引退した、元女子レスラーの豊田真奈美さんです。初めて試合を組ませていただいたのは2009年11月3日。負けが続けていて悶々としていた時期でした。

この日も負けたのですが、悔しい気持ちはありながらも、負けた瞬間から「こういう人になりたい」と、豊田さんが明確な目標になったんです。2017年同じ11月3日、豊田さんが引退興行をされて、最後の対戦相手として選んでいただけたのは嬉しかったですね。

出会って以来、弟子として可愛がってくださり、衣装や技もいただきました。そんな豊田さんとは、女子プロ界を全盛期に戻すこと、結婚して子どもを持つことを約束しました。どちらもこの先、叶えていきたいです。

師匠はもちろんですが、今や「東京の家族」と言えるのが、所属するアイスリボンのメンバーたち。一人ひとりがどんな人間か、他己紹介するのは得意です。選手として、また取締役として、みんなと向き合ってきましたし。それぞれの魅力をリング上で出してもらいたいので。

「家族」だからこそ、遠慮なくぶつかり合うこともあります。先日も、同期の星ハム子選手と松本都選手と、道場の最寄り駅にあるロイヤルホテルで、お茶を飲みながらバトルしました(笑)。8月26日の横浜文化体育館大会について話し合っていて、けっこうな言い合いになりました。

この3人は思ったことがあると溜め込まずに、その場で言うタイプなんですね。そのぶんしょっちゅう激しい議論をします。一方で、面白いことがあってもすぐ共有して、みんなで思いっきり笑う。本当に大切な、東京の家族たちです。

みんなで目指しているのは、アイスリボンの大会に一歩足を踏み入れたら、夢の世界、非日常を感じてもらって、明日からがんばろうと思ってもらえるエンタテインメント場を提供すること。がんばった自分へのご褒美に食べる、ちょっと高級感のあるアイス——アイスリボンがそんな存在になるために、まだまだ東京でがんばっていきます。

Text/池田園子
Photo/タカハシアキラ

藤本つかささん
1983年、宮城県利府町生まれ。女子プロレス団体「アイスリボン」取締役・選手代表。プロレスデビュー10周年。宮城はらからPR大使を務める。
https://twitter.com/tsukka0730

アイスリボン横浜文化体育館大会

2018年8月26日(日)15時〜
会場:横浜文化体育館
神奈川県横浜市中区不老町2丁目7
TEL:045-641-5741
チケット料金:
■最前列 完売
■特別RS 8000円
■RS 6000円
■1階指定席 5000円
◆2階最前列 6000円
◆2階指定席 5000円
◆2階自由席 4000円
◆3階自由席 3000円
■レディースシート:5000円
3枚セット:通常15000円→12000円
※チケットご購入は男性でも可能。
なお、お席のご利用は女性限定となります。

詳しくはこちらから

DRESSでは8月特集「東京の君へ」と題して、夢や希望を持って上京し、東京で活躍する「表現者」たちの“東京物語”をお届けしていきます。

DRESS編集部

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