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人も、精霊も、そこに息づく。「能・狂言」が描く美しい世界

伝統芸能のひとつである能・狂言は、よく言われるように、難しくて高尚な世界なのでしょうか。夏の観劇部イベント「体感する能」に参加した筆者(能楽鑑賞歴4年目)が、意外な能・狂言の魅力を紐解きます。

人も、精霊も、そこに息づく。「能・狂言」が描く美しい世界

能と狂言には「かわいい」と「たのしい」がたくさん詰まっている。

改めてそんな風に感じたのは、先日舞台を観てのこと。

能・狂言の話題を出すと、「ウッ、よくわからない世界だぞ」と身構えられることがけっこうあります。

それは「伝統芸能って難しそう」という先入観からだったり、「能と歌舞伎の違いがわからない」といった苦手意識があって、なんだか自分とは遠いものだと感じているからかもしれません。

でも、どうか安心してください。能も狂言も、現代に生きる私たちに共通する部分があるんです。

「能と狂言はどちらも人の心を映し出す芸能である」――先日お邪魔したイベント「体感する能」は、そんなことを教えてくれました。

■狂言『蚊相撲』に見る「お互いさま」の精神

まずは能とセットで上演される狂言についてお話しします。

能というとまず、「般若」のような能面を思い出されるかもしれません。

能面で一番メジャーなのはなんといっても「般若」でしょう

ですが、狂言では通常、面(おもて)を用いることはないんです。能で面が用いられる主な理由は、神や幽霊など霊的な存在を表すため。

その点、狂言は生きている人間同士のやりとりを中心に描いたものなので、面は必要でないことがほとんどなのです。

また狂言の多くは喜劇、コメディです。といっても、登場人物は誰かを意図的に笑わせようとしているのではなく、みんなとにかく必死。喜劇になるのはあくまでもその結果です。

一体どういうことか、この日上演された演目『蚊相撲(かずもう)』のあらすじを追ってみましょう。

狂言『蚊相撲』あらすじ

登場するのは大名、大名の従者である太郎冠者(たろうかじゃ)、そして蚊の精(!)の3人。

ある日大名は、近頃相撲が流行っているから相撲取りをたくさん召し抱えたいと太郎冠者に告げます。ところがこのお屋敷の従者は、太郎冠者ただひとり。とても多数の相撲取りなど召し抱えることはできません。

身の丈に合わない要望をする大名をなんとか説得して、ひとりだけ相撲取りを採用することにします。

リクルートに出かけた太郎冠者は、早速相撲取りを名乗る人物に出会います。ところがこの人物、実は「蚊の精」が化けた人間で、相撲が流行っているから、相撲取りのフリをして人間の血を吸ってやろうという魂胆を抱いていました。

そんなこととは露知らず、蚊の精を屋敷へ連れて帰った太郎冠者。大名はさっそく実力を見ようと自ら取り組みに乗り出しますが……。

太郎冠者がリクルートしてきた相撲取りの正体は蚊の精(左)だった。相撲の取り組み中に血を吸ってくる蚊の精に風をあおいで対抗する(撮影:伊東祐太)

登場人物はみんな必死、だから楽しい

まず蚊の精が出てくるというのが現実にはありえない設定ですが、大名も太郎冠者もその状況を平気で受け入れています。狂言では時折こういった突飛な設定が登場します。

この演目では、蚊の精という「人ではないもの」が登場するため、通常は面を用いない狂言でも「 嘘吹(うそふき)」という面を着けて登場しています。

そして、登場人物はまさしく皆必死です。

中でも、大名は見栄をはるのに必死。従者は太郎冠者ひとりしかいないのに、相撲が流行っているからといって、相撲取りをたくさん召し抱えたいと言うのですから。

こういう見栄の張り方、現代人のなかにもそこかしこにありそうで、なんだか身近に感じられませんか?

上演前の解説では、『蚊相撲』に出てくる大名と太郎冠者の関係を、ITベンチャーの社長とその秘書という現代版で再現(撮影:伊東祐太)

さて、いよいよ取り組みの場面になると、必死さの掛け算が見られます。

なんとかして人間の血を吸いたい蚊の精。

血を吸われまいと画策する大名と太郎冠者。

太郎冠者のあおぐ風にあおられて息も絶え絶えとなる蚊の精……。

血を吸うのは蚊の本能(?)だし、人間は吸われると痒くなるから吸われたくないし、あんまり強風にあおられると蚊は死活問題になるし……たしかに必死にもなりますね。

その必死さが傍から見ているとなんだか滑稽で、笑いがこぼれてしまうのです。

とはいっても、その笑いは決して登場人物たちを馬鹿にしたものではないように思います。

『蚊相撲』の登場人物はみな詰めが甘く、賢いわけでも人格的に優れているわけでもありません。それでも私たちが最後まで成り行きを見守りつい笑顔になってしまうのは、彼らの持つ愚かな部分に親しみを感じているからではないでしょうか。

そう、狂言に描かれる世界は、「あるよねーそういうこと」な世界なんです。

観客である私たちは、この喜劇の傍観者であったはずなのに、いつの間にか登場人物が織り成すシチュエーションの展開に夢中になって、まるで彼らの隣人にでもなったかのように思えてくるのです。

■人間も霊も神様も一所に 能の世界の懐の深さ

続く能は『七人猩々(しちにんしょうじょう)』という、祝言ものが上演されました。

「猩々」というのは、オランウータンの漢名です。

実は映画『もののけ姫』にも登場していました。赤い目を光らせ、人間を憎む存在として描かれていましたが、能の世界ではまた違う描かれ方をしています。

能に登場する猩々は、水に棲む精霊で、お酒が大好き。それ故か、真っ赤な髪、真っ赤な顔をして、とにかく全身赤ずくめです。

この猩々、とっても可愛らしくてあったかいなぁ……と私は思うのです。

能『七人猩々』あらすじ

中国・楊子の里に、高風(こうふう)という親孝行な男が住んでいました。
あるとき、高風は夢のお告げに導かれて市場で酒を売り始めます。すると評判になってみるみるうちに栄えていきます。

そんな高風のもとには不思議な常連客がやってきます。いくら呑んでも顔色ひとつ変わらないその男は、自分は水中にすむ「猩々」という精霊であると名乗ります。

ある夜、高風が酒を手に川のほとりで待っていると、7人の猩々が現れます。猩々たちは高風の酒を呑み、ほろ酔い加減で舞い踊るのでありました。

舞台上にずらりと赤ずくめの「猩々」が並ぶ(撮影:伊東祐太)

ストーリーはこれだけ。実にシンプルな1曲です。高風という男が栄え、精霊である猩々がその存在を愛し、祝う。

劇的な展開はひとつもありません。けれども、私はこの素朴な1曲に描かれた友情に注目したいのです。

人と人ならざる者の心の交流

先に述べた通り「猩々」とは精霊です。能の世界では、神様や精霊、幽霊など人間以外の存在がたくさん出てきます。そして、この曲の中では、人間と人間ではないものが当たり前のように友情を育んでいるのです。

毎度酒を売る高風のもとへ通ってくる猩々。

約束したわけでもないのに川のほとりで猩々を待つ高風。

高風に汲めどもつきぬ酒壺を与えた猩々。

自ら呑んで舞い踊る猩々。そしてそれを見守る高風。

曲中、高風と猩々は顔を合わせて語り合ったり、互いに手に手を取り合って喜んだりといった特別な動作は行いません(能ではそのような写実的な表現手法は用いられないのです)。

しかし、そのようなわかりやすい動作がなくても、相手のために今宵も酒を用意して待つ高風、高風を心から祝おうと酒壺を贈り舞い踊る猩々。その行動には相手への愛着が確かに感じられないでしょうか。

猩々が7人も揃いに揃って、はるばる人間の高風に会いに来ることを思うと、なんともかわいらしく見えてくるのはきっと私だけではないはずです。

自ら酒を汲む猩々たち。酒に群がり、揃って舞い踊る姿はとてもかわいい (撮影:伊東祐太)

心を癒やす、能の世界の美しさ

今回の曲のように 、能には人でないものがたくさん登場します。

神様がその土地の縁起を語るためにわざわざ人間の前に姿を現したり、幽霊が僧侶の前で自身の未練や執着を語ったりします。

しかし、能で描かれる物語では、こうした自分とは異なる存在を拒否するでもなく、いたずらに相手を「理解してあげよう」とすることもしません。ただ、静かに人ならざる者のモノローグに耳を傾けているのです。

私が能の世界を「美しい」と感じる理由のひとつはそこにあります。人間も人外のものも、そこに「在る」ことをただ許される、そんな能楽の世界が持つ懐の深さが大好きなんです。

現実に生きていると楽しいことばかりではありません。時には負の思いにとらわれてしまうこともあるでしょう。そんなときこそ、ぜひ能を観てほしいのです。

今回の猩々と高風の友情のように、能楽の世界が差し出してくれる「美しいもの」には、きっと人の心を癒やす効果がある……そんな風に私は思っています。

能は自分自身と向き合う場

能には大規模な舞台装置はなく、劇的なストーリー展開も決して多くはありません。

舞台芸術でありながら、決してエンターテインメント的要素や演劇的要素がメインではない、ということがひとつの特徴です。

「体感する能」では、能楽を楽しむひとつの方法として、せわしない日常と切り離し、自分をリセットする場所として活用してほしいと紹介されていました。

舞台上に描かれる世界の行間に想像を広げるもよし、自分自身ととことん向き合う時間にするもよし。

何かに行き詰ったときには、能楽堂で心を空っぽにすれば、また新しい発想が生み出されることもあるかもしれません。

■バックステージツアーでは能楽の裏側を覗き見

終演後には、DRESS観劇部限定のバックステージツアーへ。

今回『七人猩々』の主演を務められた宝生和英さん、同じく宝生流能楽師の今井基さんに、楽屋から舞台上をぐるっと案内してもらいました。

さっきまで見ていた舞台に降り立つとはなんとも不思議な気分です。

能の基本的な姿勢やすり足についても舞台上でレクチャーしていただきました。

舞台見学後は、最も神聖な場とされる「鏡の間(かがみのま)」で能面を着けさせていただきました。

こちらでお借りしたのは、能楽師だった今井さんのお祖父さんから譲り受けたというもの。

今回上演された『七人猩々』で使われていた能面とはまた異なる趣です。

「猩々」が使用していた面はロビーで体験させていただくことができました

今回、「体感する能」で上演された狂言『蚊相撲』と能『七人猩々』から、能・狂言の世界をご紹介してきました。

上に掲載した面ひとつをとっても、それぞれが持つ趣がまったく異なるように、今回の一側面だけでは語り尽くせないさまざまな魅力が能・狂言にはあります。

ぜひ一度能楽堂に足を運んで、その魅力を体感してみてください。

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下心のハルカ

舞台狂いが転じて、能にのぼせ上がる日々を送る会社員。 中学生の頃に、小面の能面の写真を見て心惹かれるものを感じる。社会人になってから「生きている小面が見たい」「美しいものを見たい」という一心から本格的に能楽を鑑賞しはじめ、...

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