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国際的にモテるのは「いき」な女【佐藤あつこ】

「いき」という心は江戸の心。自立した、少しとらえどころのない、ミステリアスだけど、気さくであか抜けた心は、恋愛の観点から見ても世界共通である。「いき」な女について、佐藤あつこさんが綴るコラムです。

国際的にモテるのは「いき」な女【佐藤あつこ】

■「いき」ってどんなもの?

「いき」な女と聞くと、どのような印象を持ちますか? 

「いき」は江戸ことばであり、自分と相手の関係の上に成り立つ距離における緊張感です。「いき」とは、男女の関係性においての最高の褒め言葉でした。

特に、好きな男性との距離を縮めたいときには、なまめかしさ、つやっぽさ、色気など、「男にこびる態度」(媚態)が意識されます。

しかし現実に、相手が大好きで、少しでも距離を縮めたい、と思ったところで、私たちは一緒の人格ではない……特に、視覚的には縦縞模様が「いき」とされたことからも、「いき」であるとは、自分と相手の二元性において、2本の線が永久に並行していて交わることがない状態です。

「いき」とは「男に媚びる態度」(媚態)でありながら、1本になることに対して、反抗を示す強みであり、意識です。大好きであれど、1本にはならない。それはつまり、相手に頼りすぎず、意識して永遠の平行線であり続けることなのです。

「男に媚びる態度」(媚態)において、「派手」は好きな男性への積極的な媚態があり、逆に「地味」は消極的な関与があります。

でも、「派手」なら間違いなく距離を縮められるのか? というと、そんなことはありません。

「派手娘 江戸の下より京を見せ」

これは古川柳で、「江戸褄の下から加茂川の襦袢を見せる」という意味ですが、調和も統一もないただ派手なだけては、やりすぎ感ごあるだけで下品に転じるよ。だから上品であれ! 

と歌っています。

そこで派手でも地味でもない「いき」に、「シブい」というものがあります。

よく「地味」と混同して使われやすいのですが、「シブい」は「地味」よりも、より豊かな過去と現在の経験を持っていて「艶」がある状態です。

相手に対して使うときには、「地味だね」ではなく、「シブいじゃん」と言ってくださいね。

■恋は目に見えない

さて、少し海外の視点を入れてみます。

『星の王子様』のサン・テクジュペリは、「本当の物は目には見えない」と表現しました。目に見えるもののほとんどは断片的であり、断片的な部分から推理され、実像が見えてくる……情報化社会にはよくあります。

恋愛における「いき」も同じです。

目に見えるものはいわゆる外見やお金といった限られた物質ですが、恋、愛情、思いやり、フィーリング、価値観など、男性が女性に惹かれる部分は実際には目に見えないものばかりです。

目に見えない最も重要な男女間における距離と緊張感が「媚態」であり、特に恋愛関係に至るとき、女性が必ず計算することでもありますよね。

距離を縮めようとするあまり、「媚態」が全開アピールになる人と、バランスを考えながらチラ見せさせる人。両者には大きな違いがあります。

■アピール全開か、チラ見せか?

アピール全開をあえて「媚態全開」といいますが、個人の自己主張が日本よりも積極的で、あらゆる職場に進出して男女平等を主張するタフなアメリカ女性の間ではどうでしょうか?

ロングセラーである恋愛指南書『ルールズ』によると、

「男性に電話をかけ、デートに誘い、『たまたま』コンサートのチケットを2枚持っていて、最初のデートでセックスに応じる女性は、男性の動物的な欲望を逆に萎えさせている」

とされます。

つまり、心身ともに、そして経済的にも自立していて、「媚態全開」ではなく、ちょっととらえどころのないミステリアスな女性が意中の男性を射止める。

これはアメリカでも意識されていることなのです。

ただし、タフな女性が評価される社会にあいて、恋愛もただ待っているのではなく、自ら積極的に好きな男性との距離を縮めるために行動する、という意識が根づいているようです。しかし、それがワークするかどうかは別問題。

だから現実、タフに行動することを戒める恋愛指南書が、古典的なベストセラーになっているのでしょう。

■江戸の「いき」が恋愛に必要な理由

ここで「いき」をわかりやすくまとめてみます。

「いき」の原点は「苦界」、つまり遊女の務めにあるといわれています。

本当に嫌になるほど、世知辛くて、つれない浮世の洗礼を経て、何事にも動じない、しなやかで自立したさわやかな心、そしてこの世を達観した態度、つまり、現世に対する執着を離れ、未練のない心が「いき」の原点です。

そこに「男性に媚びる態度(媚態)が相互に関連し合い、「いき」は色っぽく、張りのある、あか抜けた心と定義できるようになりました。

やがて、このあか抜けている心は、媚びて1本になってしまうことへの反抗心から、「武士は食わねど高楊枝」のような武士道の理想主義へとつながり、神聖化されたのです。

「いき」という心は江戸の心。しかしローカルは普遍につながるという言葉の通り、自立した少しとらえどころのない、ミステリアスだけど、気さくであか抜けた心は、恋愛においても世界共通であると私は思うのです。

佐藤 あつこ

地方議員であり、子育てママとして日々奮闘中。地元である東京都中央区では、自民党において戦後55年体制からたった2人目の女性議員(子育てママとしては唯一)である。 2017年は地方議員として活動しながら、子どもの「お受験...

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