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「三十路のオンナに価値はない」は、全力で蹴り飛ばすことにした

女はこうあるべきとか、30代はこうなっているべきとか、誰が決めたのかわからないルールを押し付けられるときがある。何もかも否定する人や、周りと同じであることを求めてくる人は、もう放っておこう。私たちはもっと自由に、軽やかに生きられるから。

「三十路のオンナに価値はない」は、全力で蹴り飛ばすことにした

「本当に、無責任ですよね」

朝、なんとなく流していたニュース番組。
テレビ画面の向こうからは、どこか憤ったタレントの声。あぁ、またか……そう思った。

今、世間を騒がせているのは、人気女性アイドルグループの元メンバーで今は政治家の女性と、同じく政界で議員として活動している男性の不倫報道。

「何回手をつないだんですか?」という野暮な質問をする記者。

「辞職すべきなんじゃないですか」とふんぞり返って話すコメンテーター。

あぁ、またか……。
そう思った。不倫というものに対してではなく、人々の反応に。

昨年も同じような光景を見た。人気女性タレントと男性ミュージシャンの不倫。それまで彼女に対して「ひまわりのような笑顔が好き」と言っていた人たちは、「なんかね、いい子すぎると思っていたんです」と一気に手のひら返しをした。

ゲスという言葉を面白がって使う人たちが爆発的に増えた。世間はとても、楽しそうだった。

人間の何よりの好物は、他人の不幸なんだなって。

■「正義」という名の「否定」を振りかざす人たち

誰かの過ちを「間違っている」と指摘することは悪いことじゃない。でも、それを自分の「正義」を振りかざすタネにするのはいかがなものか。

真実なんて本人にしかわからない。ましてや立場や環境が違えば、相手への感情なんて、イメージから勝手につくられる。政治家でもタレントでもない私たちも、ただひとりの自分でしかない。それ以上でも以下でもない。

それに、たった一度も間違ったことがない人なんて、この世にいるのだろうか。

「無責任」と言っていることこそ、もはや無責任じゃないだろうか。ねえ、あなたはその人になったことがあるの? と(愚問であるとわかってはいるけれど)問いたい。正義の剣はむやみに振り回すと、誰かを犠牲にしてしまう。

「せいぎ」と「ぎせい」は紙一重だ。

誰かをここぞとばかりに否定する人は、相手をそれだけ下げないと自分を確立できない人なのだと思う。相手を無理やりに引きずり下ろすことで、自分が上にいられるから。

そうして、「この人よりも不幸じゃない。下にいない。よかった」と胸を撫で下ろす。

そんなのは錯覚で、自分自身の位置は何も変わっていないのに。

毎日に一生懸命なら、他人の生き方に口出しをしない。そんな暇なんてない。すぐに誰かを否定する人は、自身の人生を放ったらかしにしているのと同じだ。自信がないから、偉そうな態度で攻撃をして、相手が弱っていく姿を味わう。

そうすれば、強くなる努力をしなくていいから。そして、そんな大人たちが子供に、「イジメはいけないことだよ」と諭す。無責任なのはいったいどっちなんだろう?

■他人がつくった理論の中で生きるのはもう終わり

「同じ」をデフォルトにすることも、もうやめましょう。とくに、女性は「同じ」であることを求められがちだ。

25歳を過ぎたら売れ残りだという「クリスマス理論」

31歳を超えたらもう女性として終わりだという「大みそか理論」

みんなそうだよって、それがいったい何なのだ。

「僕のためにサラダを取り分けてくれる“女子力”」なんて言う男がいる。やれやれと思ってしまう。女のパワーはキミを満足させるためのものじゃない(と言うと反論されるのかもしれないけれど)。

私たちは他人がつくった理論の上を生きなければならないの?

誰かを「同じ」という小さな枠の中に入れて、カテゴライズして縛りつけて、馬鹿にしたような目で見る。そんな人に振り回されるなんてあまりにも馬鹿げてる。「同じ」を押し付けてくる人たちは、そうしないと自分が安心できないだけ。

「同じ」という場所から外れてかわいそうだねって言ってくるのなら、「同じ」という世界でしか生きられないあなたには興味ないのよって潔く手を振ろう。サヨウナラ。

■強くしなやかな女性でいよう

昨年、ニューヨークのシェアハウスで知り合ったアメリカ人女性のカミーユは「Take your time.」とよく言ってくれた。ゆっくりでいいよという意味。

「もうすぐ着くね」とメッセージしたとき、「少し考えさせてね」と伝えたとき、いろいろな場面で登場するそれは、好きな言葉のひとつになった。

「あなたと私は違う人間だからいいのよ」

まるでそんな風に言われているような感覚で。やさしいフレーズだなと思えた。

この世界は異なる人間たちの集まりだ。

私もあなたもあの子も“ニンゲン”というカテゴリに生まれてはきたけれど、まったく違う生き物なのだ。

島国の日本にいると、どこにいてもほとんどが「日本人」だから、つい、ニンゲンはみんな同じ生き物だと思っているような気がする。私たちはみんな一緒じゃないし、否定する権利だって、同じ檻に閉じ込められる道理だって、どこにもないはず。

とは言っても、1億人以上が生きているこの国で、ガラリと状況が変わることはどうしても難しい。他人を変えることも、正直、簡単じゃない。

それならば、私たち一人ひとりが強くあろう。しなやかでいよう。誰かに否定されたなら「あなたは私のことを下げないと自信が持てないのね」と心の中で思い、やわらかく笑えばいい。相手が拍子抜けするくらいに。

私たちはそんなにヤワじゃない。

ゲスじゃないし、女々しくもない。

取り巻く環境や誰かの小言に負けないで、強く生きていけたらいい。

あやか

ライター/物書き

1988年生まれ。 「仕事」「生き方」についてよく書きます。 言葉をつむぐことで、日々の温度をすこしあげられたら。 空を眺めることとお散歩が好き。

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