夫婦喧嘩の仲直りにプレゼントは不要。妻がほしいのは言葉
夫婦喧嘩後に何かプレゼントして、仲直りを試みるのはずるい。妻たちがほしがっているのは物ではなく、言葉なのに、どうしてそれをわかってもらえないのか。
20代半ば頃、友人3人で食事に出かけた。私と昔からの女友達と、その彼女の友人である男性。
料理の注文を終えて、ふっと息をついたとき、男性が何やらバッグをごそごそとし始めた。そして、シンプルな包みを取り出し、友人に差し出す。
「この前、旅行に行ったからおみやげ」
中身はなんだったか思い出せないけど、お茶だったかお菓子だったか……。
友人は「ありがとう」と笑顔でお礼を言った。彼は照れながら「いや、喜ぶかと思って」と答える。そのやりとりを聞いていた私は思わず冗談交じりに言葉を投げかける。
「えっ、ちょっ、私にはないんですか」
「だって君に渡す義理はないし」
義理とかそういうんじゃなくて、好意があからさますぎやしませんか、君が彼女に想いを寄せているのは存知あげていますけども、日本人には社交辞令とかあるじゃないですか、ねえ! もしくはフォローとか! いや別にお土産がほしかったとかそういうんじゃなくって。
……という言葉をゴクリと飲みこんで、「ああ、そっか、そうだよね」とひきつった笑顔を浮かべながら言った。
■プレゼント下手な夫
ちなみに、この好意があからさますぎる男性が今では私の夫である。人生何が起こるかわからない。紆余曲折あってそうなったんだけど、まあそこはいい。
お土産にしろ、記念日のプレゼントにしろ、ただモノを渡すというだけではなく、シチュエーションやタイミングというのはとても大事だ。
当時、夫のことを「なんだ、贈り物下手か!」と思っていたのだけれど、興味のない人間はどうでもいい、というタイプなだけで、プレゼントを選ぶのにはそれなりにこだわっているようだった。
記念日には小さなブーケをくれるし、誕生日やクリスマスなどはそれなりに豪勢だ。
しかし、結婚して年数を重ねてくると、「そんなに盛大にやっていただかなくても……」という気になってくる。
我が家は財布は別だが、私にプレゼントをしてくれる分、少しでも貯金をしておいてくれたほうがいい。そう伝えると、夫は申し訳なさそうにこう答えた。
「だって、俺は家事ができないから。これぐらいしかできないから」
やはり、夫はプレゼント下手だった。
■夫婦喧嘩後の仲直りのプレゼントをどう捉えるか
振り返ってみれば、彼は喧嘩をする度に、仕事帰りにお土産を買ってきた。
大したものではない。ケーキとかアイスとか、私が気にかけていたおまけ付きのお菓子やら。でも、当の私はというと、素直ではないのでそれを受け取ることができない。
違う、そういうものがほしいんじゃなくて、ただ「ありがとう」と「ごめんね」がほしいのだ。
モノで誤魔化されてしまったなあと感じる。普段自分がしている家事はこの程度のものなのかと思い知らされている気もする。
何気ない日のプレゼントはあんなに嬉しいのに、夫婦喧嘩後の仲直りを意図したプレゼントはなんとも苦い。きっと違うのだろうけれど、「500円あげるから許してよ」と言われているような気分になるのだ。
■プレゼントは金額ではない、という今さらな気づき
確かに、ほしいと思っていたものを突然プレゼントされれば嬉しい。いわゆるサプライズ、というやつだ。
しかし、何が一番嬉しいかというと、相手が自分のことを考えて、悩んで、喜ぶ顔が見たいと思って選んでくれたこと、という事実なのだ。
贈られたものを見て、「そういえば、○○で夫婦喧嘩したときにくれたものだっけ」と思い出したくない。
たとえば、もし、彼は浮気したときにブランド物のバッグをプレゼントして、許してくれ、というのだろうか。そういう仲直りの方法もあるのかもしれないけれど。
プレゼントは笑顔を作る。喧嘩の仲直りは笑顔を取り戻す。
どちらも、相手の心をどうやって盛り上げるか、というのがネックだ。贈り物をするのが下手な人は、もしかすると、喧嘩の仲直りも下手なのかもしれない。
ほんの少し見方を変えるだけで、手元のプレゼントはきっと素敵なものに変身するはずなのに。