古い服は女の人生における戦友。堂々と着こなそう
古い服の中でも、大切に着続けてきた特別な服があるはず。常に最新の流行服を身にまとい、次々と服を消耗品のごとく買っては処分する。古い服は女を古臭く見せるから、クローゼットは新しい服で満たさなければ……そんな風に自分を追い立てて、焦ってはいないだろうか? 大人の女なら古いとっておきの服を持っていることを誇りにしてほしい。
■クローゼット内の服、「平均勤続年数」は何年?
自分の手持ちの服達をチェックするとき、今年買ったもの、去年買ったもの、それ以上前に買ったもの、という風に分類すると、どれくらいの割合で「古い服」が存在するだろうか?
最近になって私は、「古い服こそ大事にしよう、古い服の割合をジワジワ増やしていこう」と思っている。
ちょっと前まではまったく違う考え方をしていた。
古い服は女を古臭く見せてしまう。毎年新しいものを買わなくては。体はどんどん古くなる。だからこそ服ぐらいは新しいものでなくては――。
そんな脅迫観念に縛られていた。
だが、半世紀近く洋服と付き合ってきて、ここにきて考えが徐々に変わってきたのである。
■長く活躍した古い服へ抱く、戦友に対するような気持ち
この紺のパンツスーツは、私のクローゼットの勤続17年越えの優良社員である。
このスーツを新調した卒園式で、私は嗚咽してずっと泣いていた。息子を保育園に預けて仕事に復帰し、育児と家事と仕事に奔走する日々。想像を絶する怒涛の数年間に思いをはせたら、涙が止まらなかったのである。
そしてこのパンツスーツは、その後、子どもたちの入学式や卒業式に繰り返し着用し、自分自身の大切な仕事の行事の際にも着た。
まだまだ着られるので、最後は下の子の大学の卒業式に着ようと思っている。
このスーツを取り出すとき、「君、一緒によく戦ったよね……」と戦友に抱くような温かい気持ちになるのだ。
■大人の女の服には人生と同じだけ歴史が宿る
女の人生には驚くほどいろいろなことが起こる。
でも長い人生の中で、そのときどきに着ていた服やファッションがあり、それもひっくるめての思い出があり、小説のようなストーリーがあり、歴史があるはずだ。
人生のさまざまな出来事を女は一つひとつ乗り越えていく。その中でいろんなシーンで共に寄り添った服や靴、バッグ、ジュエリーがある。
物質そのものに思い出は宿らないから、と古いものをごっそり処分する断捨離が流行っているが、
長く使い続けてきたものだからこそ、あえてクローゼットに残す、という判断もあってはいいのではないかと思うのだ。
■人生の経験、共に歩んできた服を誇りに思おう
人間は自分自身で経験したことからしか、自信を得ることはできない――尊敬している仕事関係の先輩女性から聞いた言葉。
読んだ本でもなく、人から聞いた話でもなく、ドラマや映画から得たものでもなく、自分の人生に起こるすべての経験。
どれだけ多く、どれだけ真剣にそれらに向き合ってきたかで、身につく「自信」の「量と質」は決まる。
おしゃれも同じではないだろうか。
自分で選び、自分で着こなし、人生を共に歩いてきた古い服。これは! と思う服は、処分外の対象として、終身雇用の待遇にしてあげよう。
経験と自信に満ち溢れた大人の女性は、ただ若いだけの女性よりも魅力的なはずだ。歴史のある古い服を自信を持って着ることもまた、大人の女だけに許された特権なのかもしれない。