私たちには日本の四季を慈しむ、華やかな感性がある【高田賢三】
四季のある日本。私たち日本人は季節の行事を大事にして過ごしてきた。その過程で自然と身につけてきたのは、華やかな感性ではないだろうか。それを誇りに感じたい。
大晦日の夜。遠くから聞こえる除夜の鐘。人には108の煩悩(ぼんのう)があると言われ、その煩悩を祓うために、除夜の鐘をつく回数は108回とされているのだと小さい頃、母から聞かされた。
年越しそばを食べ、そして新年を迎える。新たな年の始まりにいつもワクワクしていた。
おせち料理の一品一品にも、昔から伝わる意味が含まれていることも教えられた。お正月はいつも忙しいお母さんが、家族とゆっくりできる時間を過ごすために考えられたおせち。料理にも日本らしい配慮があるんだなと子供心に思っていた。ゆったりとした時間に鏡餅、お飾り、7日には七草がゆ、11日には鏡開き。日本ならではの風習はある意味独特で、懐かしくも思う。
最近は、お正月も普段と変わらない生活になっていると思うけれど、僕たちの時代、お正月はコマ回し・羽根つき・福笑いなど、本当に純粋な遊びをしていた。お年玉もとても楽しみだった。今のように、街にはコンビニもなく、元旦はお店も閉まり、静かな時間が流れていた。普段でもその当時は、お手玉・紙芝居・千代紙などの日本の遊びが楽しかったことを思い出す。携帯ゲームも何もないなか、僕たちは、自分たちで遊びを考え、生み出していたような気がする。
■四季のなかで過ごす私たちは、子供の頃から華やかな感性を身につけている
日本には四季がある。それぞれの季節にふれながら、節分・ひな祭り・お花見・端午の節句・七夕・お月見など、古来から受け継がれてきた行事の数々を大切にしてきた。日々の生活のなかで、それらの特別な行事は、自然と僕たちに心のゆとりや感性を与えてくれる。そして、それは日本の風習を楽しむ華やかさなのだと思う。
日本固有の演劇・伝統芸能としての歌舞伎・お能・浄瑠璃なども、華やかな日本の文化であり象徴だろう。きっと初めて見た人でも何か懐かしい気持ちがするのは、自分の内側にある、気づかなかった心・精神にふれられる瞬間なのかもしれない。演じている方の粋と意気が舞台空間に溶け込み、現代人である私たちのなかに、自然と入り込んでくるのかもしれない。静寂のなかにも艶やかな美学を感じられる。とくに衣装(きもの)には、華やかな日本を感じる。
僕たちは、日本人としての美=華やかな感性を子どもの頃から自然と身につけているのではないだろうか。華やか×日本。それは日本の伝統文化が醸し出す侘・寂の「美しさ」なのかもしれない。