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乳がんを乗り越える、というより「並走」して生きています

乳がんで闘病中の小林麻央さん。日々綴るブログとともに報道され、大きな注目を集めている。麻央さんのニュースは世の女性たちに、検診へ行くきっかけを与えたと思う。とはいえ、まだ乳がんという病気への理解は浸透しているとはいえない。今、改めて体験者から話を聞いてみたい。

乳がんを乗り越える、というより「並走」して生きています

北斗晶さんに川村カオリさん、小林麻央さん――全員乳がんで報道されたことがある人たちです。女性の12人に1人はかかるといわれる、決して珍しくない病気にもかかわらず、その実情についてはあまり知られていません。

そこで今回、乳がん体験者でがん患者のサポートを行っている「乳がん体験者コーディネーター」の資格を持つフリーライター・北林あいさんにお話を聞きました。

■まさか私が……? 37歳で乳がんに


――まずは北林さんご自身のことを伺いたいと思います。異変を感じたのはいつのことでしょうか。

37歳のときです。最初は右胸にハリを感じていたのですが放置していたんですね。そんなとき、仕事でピンクリボンのイベントに行き、乳腺外科医の話を聞いているうちに乳がんじゃないかと思い始めて検査へ。結果は「乳腺のハリ」とのことで大丈夫だったのですが、左胸に石灰化が見つかりました。これが怪しいということでマンモグラフィーやエコー、そして細胞診を経て、医師から「悪いものでした」と言われたんです。

――どの程度進行されていたのでしょうか。

幸いにもステージⅠという早期発見で、9割以上の確率で治癒する状態でした。MRIやCTで調べた結果、転移もありませんでした。

ただ、石灰化があると言われても乳がんかもしれないという実感は薄く、「もしかして」よりも「まさか」という気持ちが勝っている状態。だから最初に「悪いものでした」とがんを宣告されたとき、どんな言葉も追いつかないくらい絶望感を感じました。そのときは今のように乳がんの知識がなく、がん=死というイメージが先行していたので、初めて命の危険を感じましたね。

手術が必要と言われたときは、診察室で号泣しました。乳房にメスが入るということは、つまり女性性を失うこと、と感じていたので。自分のなかで「乳がん」を受け入れる準備ができていなかったんです。このときの気持ちは、未だに表す言葉が見つからないですね。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言いますが、今もあのときの衝撃は忘れられません。

――本当に「まさか」だったのですね。手術は発覚後、いつされたのですか?

1ヶ月後です。乳房温存手術だったのですが、「メスが入る」というだけでショックでした。主治医からは「必ず満足していただけるように手術します」と言われ、実際とてもきれいに手術してもらいました。でも、多少なりとも乳房の形が変わるという現実を受け入れるには、時間がかかりました。

――手術後の治療はどのようなことをされたのですか?

ステージごとに治療方法が違いますし、同じステージでも人によって治療方法が変わります。

まず私の場合、万が一取り残したがんをたたくために、術後に放射線療法を行い、25回の照射を行いました。半年くらいで元に戻るのですが、放射線療法では皮膚が赤黒くなるんですね。さらにまだ、手術の傷が生々しい状態だったので、最初は鏡で自分の体を見たときに「汚い」と感じてしまいました。でも、次第に肌が再生していくんです。そのとき「体はこんなにがんばっているのに、自分が自分のことを嫌いになってはダメなんだ。この体を愛してあげないといけないんだ」と感じました。

私の乳がんは、「ホルモン感受性乳がん」というホルモン療法が有効なタイプでした。

そのため放射線の後、ホルモン療法を7年間行いました。人により5年から10年かかるそうです。この治療では更年期障害と似た症状が、副作用として起こります。ホットフラッシュや関節痛のほか、無月経にもなりました。このときも「女性性が失われる」という喪失感を再び感じていました。

■病気とは打ち克つ、よりも「並走」している感覚

――そういった落ち込みからどうやって前向きな思考に変わっていったのでしょうか。きっかけなどありましたか?

手術から5年目に心境の変化があり、病気のことを悲劇としてとらえることがなくなりました。やっと自分の病気を客観視できるようになりましたね。

変化が起きたきっかけとしては、「正しい知識を得られたこと」と「私自身を支えてくれる人に恵まれたこと」が大きいです。ステージ、病状、再発……それぞれについて、科学的根拠に基づいた情報を得たことで「漠然とした不安」に陥らないようになりました。知識を得るためにも、「乳がん体験者コーディネーター」の存在はプラスに働きましたね。

また乳がんになった不安をひとりで抱えきれなかった私は、よく友人に話をしていました。そのときに一緒に泣いてくれる人がいたんです。不安がゼロになることはありませんが、一人ではないと思えたことで前を向けました。

――「病気とつきあう」とよく言われますが、「つきあう」って具体的にはどういうことを指すのでしょうか。

「病気とつきあう」というのは、経験としてとらえられるようになることなのではないでしょうか。私は乳がん=悲劇でなくなった時点で、不安を含め、乳がんが人生の一部になりました。病気に打ち克つ、乗り越えるという感覚ではなく、並走している感じなんですね。

そう考えると「つきあう」とは、病気にかかったことや不安だと思うことを認めて、否定しないことなのかもしれません。自分の状態を受け止めることができる、冷静な視点ができてくることなのだと思います。

(#2へ続く)

北林あいさん
CNJ認定 乳がん体験者コーディネーター/フリーライター。医療・ヘルスケアの取材・執筆をしながら、乳がん体験者コーディネーターとして医療法人湘和会 湘南記念病院乳がんセンターなどで患者さんの相談活動に従事。また、女性疾病の予防活動を行う「ココカラプロジェクト」実行委員会メンバーとしても活動している。乳がんのこと.comを運営。
http://www.nyugan-nokoto.com/

Text/Photo=ミノシマタカコ

DRESS編集部

いろいろな顔を持つ女性たちへ。人の多面性を大切にするウェブメディア「DRESS」公式アカウントです。インタビューや対談を配信。

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