Illustration / Yurikov Kawahiro
November DRESS 2015 P.130
断捨離って何? ファストファッションっておいしいの?【甘糟りり子の生涯嫁入り前】
清水の台から飛び降りなくても、ファストファッションを利用すればオシャレになれる時代。本当の豊かさとはなんだろう。
先日、九年ぶり人生六回めの引っ越しをした。いつものことだけれど、引っ越しの度に自分が所有するものの多さに驚く&反省する。特に服と靴とバッグ。ことあるごとに処分してきたつもりでも、かなりの量がクローゼットに眠っているのだ。
全部が全部、現役というわけではない。いつこんなの着るのか? というものやら、もう入らないでしょ、これ、というものやら、今の自分の年齢や生活や体型とはかけ離れた服やバッグも少なくない。五年前はもちろん、十年以上前に買ったものもある。私のワードローブは想い出アルバムと化している気がしないでもない。
本当にフランス人が十着しか服を持っていないのかどうかは知らないけれど、今の世の中、断捨離は正義だ。潔く捨てて、少ないアイテムを効果的に着回すのが「オシャレ」らしい。だとすると、私はまったくもってダサい人である。
最近でこそ、長く着られそうな質の良いシンプルなものを自然と手にとるようになったけれど、かつての私は一瞬で消えてしまいそうな流行とかモードと呼ばれるものにふり回され続けていた。しょっちゅう清水の舞台から飛び降りては、泡みたいな何かを買った。そう、その泡の結晶がいまだに私の手元に残っているというわけ。
着なくなったワードローブを処分しきれないのには、時々の自分の衝動が愛おしいからだと思う。衝動はおろかで、おろかだからこそ、そこには自分の個性がある。女性の恋愛は上書き、男性のそれは個別に保存といわれるけれど、私にとっての服やバッグは完全に個別保存。過去はたいてい美しい想い出で、名前をつけてフォルダー(=クローゼット)に保存されるべき、と信じて生きてきた……。
そんな過去をストックして、いい歳になった今、大人は流行との距離感がポイントだなあと思う。全身これ流行みたいなのはいい歳してバカっぽいし、かといってまったく世俗と乖離していると開き直ったオバサンになってしまう。時流の取り入れ方にその人の感覚が透けて見える。
迷った時に便利なのがファスト・ファッションだ。ハイブランドが放った最新ファッションの雰囲気を上手に再現していて、値段は手頃。目新しい流行をとりあえずお試しするにはもってこいである。
そういうラインは昔もあるにはあった。でも、手を出すことにはうしろめたさがつきまとった。なるべくバレないように工夫をした。ですよね? それが最近では、堂々と一分野として成立している。生きやすい世の中になったもんだなあ。
むしろ、うしろめたいどころかファスト・ファッションを上手に着こなし、無駄なお金をかけずにスタイルを成立させるほうが「オシャレ」な人といわれるぐらいだ。そういうの、センスがないと出来ないもんね。
ファスト・ファッションのお店で買い物をすると、デザイナーズ・ブランドのもの一着分でいろんなアイテムが手に入る→清水買いがばかばかしくなる→衣服にお金なんてかけないで、他のことに使ったほうが豊かになるような気になる。ん? 本当だろうか。
豊かなことって、何だろう?
それは、気持ちの高揚を味わうかどうかだと思う。自分の心がいかに動いたか。どんなにお金を使っても、いろいろな御託を並べてみても、心が動かさなければ「豊か」でも「贅沢」でもない。逆をいえば、Tシャツ一枚でも梅干しと白米だけでも、贅沢を味わえるのだ。
そのためには、やっぱり、ファスト・ファッションだけじゃダメだと思う。時々は、♪ 私以外、私じゃないのぉ、当たり前だけどねっ、と叫んでいる服に触れることは必須(話はそれますが、ゲスの極み乙女のあのフレーズは全世代の女性がうなずくのではないだろうか)。
カツオと昆布で出汁をとったことがなければ、パックの出汁の善し悪しがわからないように、本物のファッションを体験していなければ、ファスト・ファッションのありがたみもわからない。
ファッションは楽しい。右往左往すればするほど、楽しい。それを楽しむためには、断捨離がどうのこうのファスト・ファッションがどうのこうのより、もうちょっと痩せたほうがいいかもなぁ、私……。