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セーラームーンとサッカー少女【子ども向け番組のジェンダーバイアス問題を考える #2】

アニメ作品の中には明らかに「女の子向け」「男の子向け」のものがあって、それは社会が性別で子どもたちの世界を引き裂いていくひとつの仕掛けになっている――中野円佳さんが自身の「セーラームーンを観なかった」ことによる記憶を振り返りながら考えます。

セーラームーンとサッカー少女【子ども向け番組のジェンダーバイアス問題を考える #2】

前回のコラム「アニメの中の大人は『女性=ママ』」で、アニメで描かれる大人の男女に対する子どもの反応を書きました。私自身の子ども時代は、いわゆるセーラームーン世代。ところが実は私は幼少時、女の子たちの間で大流行していたセーラームーンを見せてもらえませんでした。このことがその後の私を大きく方向づける出来事になったと感じています。

私は、親から「女の子らしくしなさい」というようなことを言われたことがありません。小さいころの写真を見ると「スカートのときは足を開かない」という最低限のお行儀すらできておらず、一応スカートを履いていることはあってもまったく女の子らしくない子どもでした。ショートカットでしょっちゅう男の子に間違われていました。

加えて、浮上したのが「セーラームーン問題」です。当時、女の子たちの間で大変流行っていたアニメだったので、何となく主人公の名前とか有名なセリフ、主題歌くらいは知っているけれどストーリーや役回りはわからない……。

ある日、小学校に入った直後に、昼休みに幼稚園から一緒で仲の良かった女の子が何人かを集めて「セーラームーンごっこしよう」と言いました。そのときの置いてきぼり感と、ふと窓の外を見たときの光景を今でも強烈に覚えています。

校庭では、男の子たちがサッカーをしていました。兄がいたこともあり、父と兄とボールを蹴ることには慣れていて、男の子たちのいる校庭は「女の子たちと室内にいること」よりもずっと居心地のいい空間に思えました。

そこから、小学校6年間、昼休み(加えて朝、放課後)の私の基本的な過ごし方は「男の子たちに混ざってサッカーをする」ことになります。小学生だとそこまで体力差もないですし、2~3人私と混ざってサッカーをしていた女の子たちもいました。複数の試合が並行して行われている中で衝突して今でも膝に痕が残る傷を作ったり、雪が降った日はツルツル滑る校庭の脇でボールを蹴ったり、やんちゃな小学生時代を過ごしました。

その後、私は中学で一度サッカーから少し遠ざかるものの、高校では女子サッカー(フットサル)部を作るに至ります。私たちの代が創設した部活は15年以上続いており、今や「女子サッカー部があるからこの高校を受けた」という子までいるという有名な(?)部活になっています。

その後、私はどちらかというと「名誉男性」化し、女友達よりも男友達が多く、社会人になって結婚・妊娠するまで男女の様々な不均衡に気づかない――という状況に陥ります。それについては拙著『「育休世代」のジレンマ』のあとがきなどに書いており、ご参照いただければ幸いですが、それはそれで「女の子らしさ」とは別の意味での男性中心社会への媚び的な問題を含んでいたと思います。

いずれにせよ、私を女の子コミュニティから遠ざけるきっかけは「女の子がみるアニメ」「男の子の遊び」というふうにジェンダーで子どもの世界が分けられている状況でした。アニメなどの中の男女の描かれ方そのものではなく、「女の子向け」「男の子向け」で「見るもの」「やること」が分かれていること自体が、そこに断絶を生んでいると思います。

自分の子どもを見ていても、3歳くらいまでは男女仲良く遊んでいたのに、急速に「女の子たちはおままごとしてるから、入れないの」と距離を置き始める。一方で男子たちはやたらと戦いたがる、威嚇するといった行動をするので女の子からも敬遠されるという現象が見られます。

我が子を見ていると、興味関心の矛先など男女というのは生まれもった性質の差もあるのではと思わざるを得ないシーンも多いのですが、それを少なくとも間違いなく増長し、性別で子どもたちの世界を引き裂いていく社会の様々な仕掛けに暗澹たる気持ちがします。次回は戦隊モノにはまっていく我が子について書きたいと思います。

中野 円佳

女性活用ジャーナリスト/研究者。『「育休世代」のジレンマ』(光文社新書)著者。東京大学教育学部卒業後、日本経済新聞社入社。金融機関を中心とする大企業の財務や経営、厚生労働政策などを担当。14年、育休中に立命館大学大学院先端総...

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