おんなともだち

会うたびにないがしろにされ、何かを横取りされたような気もちになる……そんな女友達がいたとしても、10年後、20年後には「私もあなたも、よくやったよね」と言い合える日が来る。それが女友達というもの。

おんなともだち

 先日、六本木のとあるレストランで原稿を書いていた。隣のテーブルに座った女子大生の会話が筒抜けだったのだが、9割方を片方の女子が喋り倒している。就活中らしく、一流企業と有名大学の名前が頻出するその会話は、まさに東京の恵まれた数少ない「勝ち組」女子のもの。

 見ればステラ・マッカートニーのバッグやらグッチの財布やら、二人とも20年前の女子大生並みの高単価な身なりであった。大学生の半分が奨学金で学んでいるというこの時代に、1800円もするランチを食べながら就活話をできるのは貴族と言ってもいいくらい超少数派だろう。

 で、その喋り倒し女子はたぶん就活が順調なのだろう。総合職に決まればいいなあなどと言って友人を圧倒し、やがてあの男子はどこそこに決まったらしい、あの子の彼氏は商社に落ちた、という話に。世のめぼしい男たちはこの段階で目利きの女子に押さえられているのだから、いい男がいないとこぼす女性が多いわけだ。

 ほぼ相づちしか打っていないもう一人の女子は、やや大人しめの印象で、曖昧な笑みを浮かべている。帰宅後にこの鬱屈をどうするのだろうかと気がかりだ。お腹の中の副音声で、ハイテンションの友人に結構なキツいツッコミを入れてそうな感じもする。

 きっと就活を器用に勝ち抜くのは喋り倒し女子の方なのであろう、そして稼ぎのいい男をがっちり持っていくのも。この先の二人の微妙な関係を勝手に想像して、なんだか私まで喋り倒し女子に圧倒されてしまう。

 そうそう、相手に不戦敗の気分を味わわせるのが上手な女というのがいるのだ。戦ってもいないのに、なぜか一方的に勝利宣言された気がしてしまう、そんな後味を残すのがとっても上手な女。この手の人と話していて何に傷つくって、相手の弾丸トークにじゃなくて、それに「負けた」って思ってしまった自分の心の動きに傷つくのだ。
 勝ち負けじゃないわ、人と比べても不毛でしょ、ってわかっているのに、なぜか話が終わると惨めな気分になっている。そんな自分の弱さが見えてしまって、自己嫌悪に陥るのだ。

 マウンティングとは似ているようでちょっと違う、独り勝利宣言女子。この手の人が、もしかしたら一番強いのかもしれない。執拗に相手をねじ伏せようとするマウンティング女子のどす黒いオーラとは違う、ある種の無邪気さがある。そのぶん、失敗したときに弱いのだが、その程度の純粋さを持ち合わせているのがまた、根っからの極悪人というわけでもなさそうで呪い切れない。そう、一緒にいればいるほど、彼女に対する行き場のない負の感情にぶすぶすと身を焦がされてしまうのだ。

 すいませーん、写真撮ってくださーいと彼女は店員さんにスマホを渡す。もう1枚お願いしまーすと2枚撮った写真を確認するとその場で1枚消して、満足げに友人に見せる。あとでFacebookやInstagramにあげるのだろう。

 ああ、写真を選ぶこともできなかった相づち女子は、じゃあねと別れたあとの電車の中で、友人が絵文字だらけのコメント付きであげた画像を見て何を思うのだろう。言葉にならない、ざわざわした思いが、胸にわき上がって苦しくなるんじゃないだろうか。会うたびにないがしろにされ、何かを横取りされたような気もちになる、友達。

 というのは私が夏野菜のパスタを食べながら一人で妄想したことなので、あの二人にしたら、いい迷惑なのかもしれないが、女友達の苦しさって、こんなところにあるのかもしれないなと思う。
 
 今はまだまっさらな彼女たちの人生が、この後たくさんの笑顔と涙と嘆きと祈りに洗われて、やがて労り合いという言葉を知るようになる。私もあなたも、よくやったよね、って言える日が来るのだ。
 これまでいろんな醜い自分とも向き合ってきた。人を恨み、人生を呪い、その何倍も強い気持ちで誰かを愛した日々が、私たちを強く、そして少し哀しくしたね。二人とも目尻のシワが増えたけど、あの頃の二人よりも、ずっと親しい。

 あの二人にも、きっとそんな日が来るだろう。どうかそのとき、子どもの進学自慢なんかで、また彼女が喋り倒しませんように……。

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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