ムダや余白が涼を生む。浮き球と葉を浮かべるだけの夏インテリア
水に浮かべるだけで、目も心も涼やかになる浮き球。葉っぱと組み合わせて、夏限定のインテリアに取り入れてみよう。
有給休暇がとれたので、久しぶりに実家に帰省した。私の田舎は長野県の山奥で、つい最近まで裏山にタヌキが出た。どこまでも続くりんご畑のなかに、昔ながらの集落がある。
土間の脇の水道で、大きなスイカがたらいに入って冷やされている。それは私が小さいころ見た風景とまったく変わっていない。子どものころ、私が大好物だったスイカを、母が冷やして待っていてくれたにちがいない。
「昭和かっ!」
私は思わず笑いながら、ひんやりした感触を確かめるように玄関に素足で上がる。
昼間、外の気温は東京と変わらないのに、日本家屋は私のいるマンションよりずっと涼しい。長い廊下の先には、広い畳敷きの和室があり、その奥には書院造りの棚と、大きな掛け軸のかかった床の間が見える。
若いころ、私はこのだだっぴろい和室が好きではなかった。だいたい床の間なんて、いったい何に使うのだ? 祖父はよくその細工を自慢していたが、天井と鴨居(かもい)の間にある龍の透かし彫りが入った欄間(らんま)も、節の入った床柱も、すべてが目的のないムダに思えた。
蝉の声に誘われて、庭に面した縁側に腰を下ろす。涼しげな緑が揺れる庭には、以前と変わらず陶器の浮き球を浮かべた手水鉢があり、水草の間をメダカが泳いでいた。手水鉢や浮き球。この臼のような代物も、ただプカプカ浮かんでいるだけの玉も、若い私には意味不明だったものの一つである。
でも、今の私になら少しはわかる。このたくさんのムダがあるから、ここは豊かなんだということが。
最近、流行りの断捨離本を読み、自宅にあった年季の入った椅子、食器、たまにしか使わない花瓶など、いろいろなものを処分した。確かにスッキリはしたけれど、マンションの部屋は四角くそっけない箱のように見え、なんだか少し後悔した。
線香花火や風鈴など、日本の夏には、合理的に考えると何の役に立つのかよくわからないものがあふれている。だけど、そういうムダや余白があるから、ときどきいっぱいになってしまう人の心を、優しく癒してくれるのだ。
「ねえ、この浮き球少しちょうだい。私の家にも飾るから」
うちわを手に縁側に出てきた母を振り返り、私はそう言った。
+++ もなみのちょい足しポイント +++
「浮き球」というのは、もともと漁業用の道具で、漁網を浮かせる目的や目印として使われているものです。最近はインテリア用として、ガラスでなく、陶器でできた浮き球も見かけるようになりました。
文中の写真は「もしマンンションの部屋で浮き球を楽しむとしたら?」というイメージで撮影しました。ガラスの食器などに水を入れ、浮き球とドウダンツツジの葉っぱを少しちぎったものを浮かべて、ダイニングテーブルに置いただけのお手軽な夏インテリアです。浮き球がぶつかるとカラカラと涼しげな音もして、清涼感ある夏の風情を味わえます。