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子どもの立場から考える、しつけと虐待の境目

子育てというのは、子どもから見ても大人から見ても、正解か不正解かは、育てている最中にはわかりにくいもの。怒鳴り説教に鉄拳制裁、厳しいしつけを辞さない「超体育会系」な家庭で育ったおおしまりえが、北海道男児行方不明事件で浮き彫りとなった「しつけと虐待の境」について大人になった今、子どもの立場で考えます。

子どもの立場から考える、しつけと虐待の境目

北海道七飯町で小学2年生の男児が行方不明になり保護された事件から、そろそろ1ヶ月が経とうとしている。今回の件について、警察より児童相談所への届け出がなされたそうで、事情を聴くなどの措置がとられている頃かもしれない。イチ外野としては、そろそろ家族みんな“通常生活”に戻ってきた頃だと願いたい。

ニュースが出た当初、父親の行為は「虐待」か「しつけ」かという点が、非常に大きな論点となった。

ある教育論者は虐待だと言い、海外メディアでも話題になった。一つひとつの事情と線引きが難しい話だから、真相は本人たちにしかわからない問題だとは思うけど、私は子ども側の立場として、この家族が今も心配でならないし、しつけってなんなんだろうな……と今でも思うことがある。それは我が家が、けっこうな体育会系の家庭だったからだ。

■今だと通報必至の「しつけ」は虐待だったのか……

今でこそ母とはしょっちゅう「あのときの子育てを今やったら、絶対通報されてるよね」なんて笑い話をするのだけれど、そのくらいウチの教育方針は厳しかった。

父と母、そこで育つ三姉妹。4対1の男女比は圧倒的に女性有利かと思いきや、ウチの父は違う。柔道黒帯、昭和の典型をいく超短気な漢は、父の中にある“父基準の筋”が通らないと、娘をはじめ学校の先生、部下やお店のスタッフにまで説教を食らわす徹底っぷり。

今でこそ“怒りのツボ”がどこにあるかは熟知できているのだが、当時は全くわからないし、これまた父譲りの直球直進する癖が私にはよく発動するのか、家族の中で1番怒りのツボを押しまくった。そして当然しつけという名の説教だ。
その説教も、まあまあすごい。まず怒鳴る。

それも家の外に無理やり追い出され、ドア越しに一方的な怒鳴り説教が数時間続くのだ。ギャン泣きしながら数時間耐えたら家に入れてもらえると思ったら大間違い。そのまま次は閉め出しの刑が続く。

我が家は郊外の住宅街だったから逃亡計画も思いつかなかったが、自宅が田舎にあったなら、そのまま1人旅という名の逃亡行為に走っていた可能性はある。ちなみにこのとき、私は北海道男児とほぼ同じ年頃である。

だから小さく逃亡した彼の生きる強さと抵抗を選んだ決断力は、すごいとしか思えない(それも生きて保護されたからこそいえる話であるが)。

■怒鳴り説教、鉄拳制裁……父親から受けた「しつけ」

そもそも私が頻繁に激しく怒られるのは、やんちゃな性格だった自分のせいも大きくある。一応弁解すると、ヤンキーではなかった。と、思う。
なぜかいくら怒られても怒鳴られても反省はするのだが、行動や生活態度は1ミリも直らなかったし、なぜか直せなかった。それどころか、中学時代に反抗期という名のピークを迎える。
門限を破り、さらに言うことをきかなくなる娘。この頃から父親からたびたび、鉄拳制裁を食らうようになった。これももしかしたら“虐待”という部類に入るのかもしれないが、私も全力で歯向かっていたから違うかもしれない。が、柔道黒帯の漢に女子中学生が対抗できるハズもなく、常に完敗。体ではなく心をいつも折られていた。
1番印象的だったのは、原因は忘れたが、リビングで1時間説教をされた後、私が怒って殴りかかって、軽く肉弾戦。そのあとさらに45分無言のにらみ合いののち(プロレスの試合開始のような感じをイメージしてください)、父から思いっきり左頬にグーパンを食らって試合終了したことだ。もう1回言うが、私はヤンキーではない。多分。ただ、鉄拳制裁が必要なくらい、面倒な子だったのは間違いない。

■しつけの裏に愛情があるかは、瞬時に判断するのは難しい

そうして父とはイマイチわかりあえないまま「こんな家出て行ってやる!」と決意して、大学時代から一人暮らしを始めてそのまま就職、結婚、離婚と早足で人生のイベントをこなしていくのだが、“親の愛情”がわかってきたのは、恥ずかしくも30歳近くになってからであった。

そもそも大学まで行かせてもらっている時点で、そこには父の愛が間違いなくあったのだけど、自分の希望を満たすことに必死な子どもは、愛情の大きさやカタチに、気づこうとしなかった。
気づいたときには、あの体育会系教育から20年以上も経っていた。

自分の自立心のなさと、思考の浅さを露呈するだけなので恥ずかしい限りなのだが、ひとまず両親が生きているうちにソレに気づけたのはよかったと思う。

だから今でこそ、「虐待じゃなくてしつけだったよね」とウチの場合は思えるのだが、当時を見かけた人からすると、虐待に見えたこともあったと思う。

今の時代、手が出ると虐待、大声を出すと虐待と、家族に限らず学校内でも即言われてしまうことが多い。ただ、その裏側に愛情があるのか、大人のエゴがあるのかは、すぐには判断がつかない場合も多いし、当人にだって瞬時に判断できないこともあると思う。もちろんこの話は“ウチの場合”でしかないわけで、北海道の件もそれ以外の件とも、同じと言い切るつもりはない。

ただ虐待としつけの問題に敏感になるのは、時代として良い面もあるけど、何かを窮屈にした面もあるんじゃないかなと思うこともある。

北海道のあの家族が、今はきちんと家族の愛情を築けていることを、体育会系しつけ教育の末に育った娘は、思ってしまうのです。

おおしまりえ
雑食系恋愛ジャーナリスト・イラストレーター
10代より水商売やプロ雀士など人気商売に身を投じ、のべ1万人の男性を接客。20代で結婚と離婚を経験後、現在鋭い観察眼と、男女のコミュニケーションの違いを研究し、各種エッセイを執筆中。
ブログ:http://oshimarie.com
YouTube:http://ur0.mobi/uDP2

おおしま りえ

10代より水商売やプロ雀士、素人モデルなど人気商売に身を投じ、のべ1万人の男性を接客。20代で結婚と離婚を経験し、本音を見抜く鋭い観察眼と分析力を体得。現在、恋愛ジャーナリストとして芸能人の恋愛分析やマッチングアプリの攻略法...

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