やりたいことを、やれる人になった日『ぼくを変えた離婚』#2
離婚経験のある男性が寄稿するシリーズ。第2回目では8年前に、13年の結婚生活に終止符を打った、プロブロガーの立花岳志さんがつらい離婚経験からの“拾いもの”について綴ります。
最初にした「やりたいこと」が「離婚」だった。
2008年12月8日というのは、僕にとって、生涯忘れることができない日となった。
僕はその日の朝、勤めていた会社を午前半休し、自宅近くの区役所に離婚届を提出後、カフェに移動して、自分のブログを開設した。
ブログのタイトルは、「No Second Life」。タイトルは僕と別れた妻で一緒に考えた。彼女が「No Second Chance」といい、僕が「Chance」を「Life」に書き換えた。
このブログが後に大ブレイクして、僕は17年勤めた会社を辞めて独立し、本を6冊出版するなど、僕の人生を劇的に変えることになるのだが、そのことは別の機会に。
■自分がなにをしたいのかわからない
僕にとって「離婚」と「ブログ」は、人生において、「自分がやりたいこと」を生まれて初めて行動に移すという意味で、画期的なことだった。
小学生時代に両親が離婚し、長男のぼくと4歳下の弟を、母がひとりで育ててくれた。母からは「しっかりしなさい」と言われることが多かった。学校でもアルバイト先でも、いつも「ちゃんとしなきゃ」ばかり考えてきた僕は、いつからか、周囲を優先し、自分を後回しにする人間になってしまっていた。
そしてそれが社会人になって悪い方にエスカレートして、いつの日か、自分が何をやりたいのか、さっぱりわからない人間になってしまった。仕事も、プライベートも、何もかも、「周囲に何を求められているか」「どう振る舞うことを期待されているか」、それしか考えない状態。
■やりたいことを封印してきた人生
村上春樹さんの『ノルウェイの森』に、永沢さんという東大に通う先輩が出てくる。この先輩の言葉が僕の支えだった。永沢さんの座右の銘は「男は紳士であれ」というものだった。「紳士とは何か?」を問われた永沢さんは、きっぱりこう言うのだ。
「やりたいことよりも、やるべきことをやるのが紳士だ」と。
僕も永沢さんと同じように、「やりたいこと」を全然やらずに、「やるべきこと」ばかりをやってきていた。フリーランスで仕事をしたいと思いつつ、親に「早くサラリーマンになって家に給料を入れてほしい」と請われて会社に入ったり、付き合っていた彼女(後に結婚して離婚)に「もうそろそろ結婚しようよ」と言われて、結婚を決めたりしていた。
「イヤだったらイヤと言えばいいのに」
あなたはそう思われるかもしれない。だが、違うのだ。あまりにも長い期間「やりたいこと」を封印して生きてきた僕は、もはや、自分の「やりたいこと」がなんなのか、さっぱりわからなくなってしまっていたのだ。
■38歳で人生終わった、と感じた
当時の僕は、いつも「自分はやりたいことができない運命に生まれた人間だ」と呪いのように言い続けていた。すでに自分で「やりたいことができない人間だ」と定義してしまっているのだから、やりたいことなんか、できるわけがない。できるわけがないことを望んでも、どうせできないんだから、見ないでおこう。そんなメンタリティーが働いていた。
そしてその奥底には、「やりたいことをやって失敗したら怖い」「チャレンジしなければ失敗もない」というような、臆病者の心理が働いていた。でも、そんな日々には限界が訪れた。当時肥満体だった僕は体調が非常に悪くなり、成人病の疑いが出た。また、祖母が作った借金を母が返済していたのだが、この返済が厳しくなり、僕が借金を肩代わりすることになった。
まだ38歳なのに、借金と病気で、もう自分の人生が終わったように感じた。
自分の墓碑銘に「やりたいことがなにもやれない人生を生きた男」と刻まれるのは、イヤだ。逃げ回り、蓋をして見ないできた自分に対する怒りが猛烈に沸いてきた。そしてそのときに、「やりたいことを、やろう」と僕は決めた。
■離婚から立ち直って得た自己効力感が、いまの僕をつくってくれた
それが、「離婚」と「ブログ」だった。思いきって駆け抜けた。ブログはともかく、離婚は大変だった。「大それたことをやってしまった」と、彼女と暮らした13年間の自分自身の存在すべてを否定する日々が約1年続いた。その間は絶望のトンネルの中を歩いているように感じた。
僕は自分を癒すためにブログを書き続けた。ブログを「人生を劇的に変えるためのツールにする」と決め、自分の変化を記録し続けた。ダイエットのために日々ランニングをしてはその記録をブログに書き、読書をしては書評を書き、新しいデバイスやアプリを試してはブログに書いた。
ブログを書くことで、自分の存在を確認し、ブログをたくさんの人に読んでもらえるようになるにつれて、僕は「ここにいてもいいんだ」と、承認されたように感じるようになった。そして、それらのリハビリ行為の甲斐もあって傷が癒えてきたとき、僕は大人になってから初めて「自己効力感」を感じることができた。
「僕は自分がやりたいことをやっていい」「自分が好きなことをやっても罰せられない」
この自己効力感が、僕の人生を変えるふたつ目の大きな転機、プロブロガーとしての独立を、強力に後押ししてくれたことは、言うまでもない。
Text/立花岳志
立花岳志さんプロフィール
作家/プロフェッショナル・ブロガー/人材開発トレーナー/イベントプロデューサー/セミナー講師/情報発信コンサルタント/心理カウンセラーなど、複数の肩書きを持ち、多面的に活動するノマドワーカー。
1969年東京都生まれ。人気ブログ No Second Life(http://www.ttcbn.net/no_second_life/)主宰。
会社員の傍ら始めたブログが人気を博し41歳で「ブロガー」として独立し、フリーとなる。ブログを中核とした個人の情報発信により、広告、セミナー・講座運営、イベントプロデュース、個人コンサルティングなど幅広い分野で活躍。
2014年6月には株式会社ツナゲルを設立し、代表取締役兼CEOに就任。著書に『サラリーマンだけが知らない 好きなことだけして食っていくための29の方法』、『ノマドワーカーという生き方』、『クラウド版デッドライン仕事術』(吉越浩一郎氏との共著)などがある。
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