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母を手放す #3 母と私を比べない

母娘関係に苦しむ女性を楽にするシリーズ、第3回目はライターの波多野友子さんが寄稿。突きぬけるくらい奔放な生きかたをしてきた母との関係を振り返り、“自分らしい”生きかたとは何か考えます。

母を手放す #3 母と私を比べない

「ママになっても、“私らしく”生きたい」――女性向けメディアでは、最近このテーマがよく取り上げられる。結婚し子どもを産み、ライフステージが変化しても、自分の人生のハンドルは自分で握り続けたい。そう願う女性が増えているのだ。一人の妻として、私はこの風潮はすばらしいと感じている。でも一人の「子どもとして」はどうだろうか。心のどこかで反発を感じてしまうような気がするのだ。そしてそれは間違いなく、私と母の関係性に起因している。

■娘の世話は近所の主婦任せ 自由奔放すぎた母

母は大学を卒業後、銀座の画廊勤めを経て、20代前半で父と恋愛結婚をした。その後父の駐在について海外での生活を悠々と謳歌し(ニューヨークでは現地の美大に在学したという)、40歳目前で私を産んだ。妻から母になるまで、約20年も夫と蜜月を過ごしたというのは、当時としてはレアなケースではないだろうか。

私を産んだ後も、彼女は自分のスタイルを変えなかった。私の小学校入学と同時に、翻訳家としてのキャリアをスタート。業務委託ながらフルタイムで働き、バレエや水泳、登山など、趣味や稽古事にも熱中した。一方、一人っ子の私は、家に遊びにきた友人が驚くほど大量のバービードールや本に囲まれて、いつも取り残されたような気持ちで時間を持て余していた。

愛妻家の父をはじめ、奔放な母の生き方を咎める人は、当時いなかったように思う。持ち前の愛嬌でまわりを味方につけてしまうからだ。幼い私の世話はというと、母と親しい近所の主婦たちが交代で面倒を見てくれていた(今の時代ではとても考えられない!)。つくづくあのコミュニケーション力は並大抵ではないと、今でも感服してしまう。

■母の生きかたを賞賛して得た代償

中学にあがった頃、父方の叔父にふと「あなたは●●さん(母)の娘に生まれて、きっと大変なことだろうね」と言われたことがある。母がのびのびと生きる一方で、私は私らしい生き方がまったくわからなかった。母があまりにも眩しすぎて、その陰に隠れるしかなかったのだ。娘でありながら、気づいたときには周囲に合わせて、母の生きかたを賞賛していた。その反動か、私は母の不在に異常に怯えるようになってしまった。

母がいないとちょっとした遠出もできない。母がいないと食事が喉を通らない。母がいないと眠れない。それなのにいてほしいときに母はいなかった。巨大に膨らんだ不安の膜が私を包み、気づいたときには摂食障害を引き起こしていた。この障害は成人して仕事に就いても、結婚してからも、根本的には完治していない。不安と孤独を誰にもうまく伝えられないまま、大人になってしまった結果なのだろう。

私と母の関係に大きな転機が訪れたのは、2年前の春。結婚して家を出ていた私に母から連絡があり、友人とヒマラヤへ1ヶ月ほど登山旅行に行くという。昔から海外での危険な遠泳大会に参加したりもしていた。母はやりたいことをすべて遂行したい人間なのだ。いつものことだ、と諦めた気持ちで頷いた。

数日後見送りを兼ねて帰省し、両親と3人で他愛のない話をした。テンションの高い母と少し寂しげな父。玄関に詰まれた巨大なバックパックとスーツケース。喉がキュッと締め付けられる。ふと、声にならないほどのか細い声が出た。「どうしていつも私を置いていくの?」……口をついて出た子どものようなわがままに、我ながら驚いた。そしてそれは子どもの頃、言いたくて言えなかった言葉だった。

■“自分らしい”生きかたとは、他者の自由を奪うものではない

一度堰を切った言葉は止められない。驚く両親を前に、これまでの不安や苦しみを洗いざらい吐露した。涙が嗚咽に変わり、言葉は次第に強くなった。「私をこんなに追い込んでまで、それは“やる必要のあること”なの?」――結局母は、翌日からのヒマラヤ旅行をキャンセルした。生まれて初めて私が、母の自分らしさを貫きたいという欲望に勝った瞬間だった。この一件以降、母は少しだけ自分らしさを追求するスロットルを緩めるようになった。少なくとも、自分らしさを貫くことの正当性を主張することが、以前より減ったような気がする。そして私はあのシーンを思い返すたび「ざまあみろ」と爽快感をおぼえるくらいに、今は母離れができている。

今、私に子どもはいない。友人たちは次々と母になり、あっという間に職場へ復帰し、自分らしい生き方を模索しようと奮闘している。その姿は強く、美しく、賞賛に値するものだ。けれど、私はきっとその道を選ばない。私が考える“自分らしい”生きかたとは、少なくとも欲望と引き換えに身近な人から自由を奪うものではない。ようやく母を手放した今、私はあらためて私らしい生きかたを模索できるようになった。

波多野友子(はたの・ともこ)
某テーマパークのオフィシャルフォトグラファーを経て、現在フリーランスライター・フォトグラファー・編集者。女性系・サッカー系メディアで多く活動中。子ナシ主婦ライターとして自由に働きながら、出産や子育てにも興味を持つ。取材・執筆を通して、ライフステージとともに変化するさまざまな女性の生きかたを日々探求している。

DRESS編集部

いろいろな顔を持つ女性たちへ。人の多面性を大切にするウェブメディア「DRESS」公式アカウントです。インタビューや対談を配信。

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