裏切りの素顔

「はっきりと物を言う」印象を与えているようだけど、私はかなりの小心者。「そんな人だと思わなかった」と驚かれたら、どんな人と思っていたのか気をつけたい。

裏切りの素顔

「そんな人だと思わなかった」と言われたことはあるだろうか。私はしょっちゅうだ。と言っても、別に友人と絶交したり、仕事仲間とトラブったりしたわけではない。インタビューに訪れた記者さんに「テレビで見た印象と随分違いますね」と言われることがあるのだ。そうとははっきり言わないが、もっと怖い人かと思っていました、ということらしい。

ほほう、私は怖そうに見えるのだな、とその度に新鮮に思う。テレビに出ているときの私は基本、極めて機嫌がいい。なぜって仕事が楽しいから。だけど、顔つきとか声の出し方なんかが小動物系より猛禽類に近いから、怖そうだなあと思われるのだろう。多くの人が「はっきりと物を言う」という印象を抱いているようなので、おそらくそういう風に見えるような発言が多いのだろう。

しかし私はかなりの小心者であり、随分と思い切りが悪いので、我ながら中途半端だなあと思うことの方が多い。印象というのは総合的なものなので、話しているときの髪型や衣装などでも変わってくるだろう。最近はひっつめ髪から前髪ありのボブに変えたので、多少は軽やかな印象を抱いてくれる人も増えるといいなあなどと思っている。

しかしタレントに限らず、よく知っているはずの人でも、実はそれほど深刻な話をしたことがないとか、長い時間一緒にいたことがないとかいう場合がほとんどだろうから、結局は自分が見たいように相手を見ているだけなのかもしれない。それに立場が変わると、全然違う顔が見えたりもするものだ。

以前、卒業生として、母校の高校を訪れたときのこと。高校3年のときの現代文の先生は9歳年上で、若いけれども先生は先生だった。ところが40歳と49歳ではお互いに同じ40代。元教え子とはいえ、こちらも社会人を長くやっているので、恩師というよりは同志という感覚に近かった。先生の方ではどう思ったかわからないが、私からすると「お互い中年だけど、頑張って働きましょう!」という感覚だった。

担任だったベテランの先生はすっかり偉くなられていたが、生徒ではなく卒業生として接してみると、かつてのクールな喋り方が一転してリラックスした口調。あれ? 先生、意外とおしゃべりで口が悪いんだな……という愉快な発見をしたのだった。

さらに大好きだった理科の先生は、口調こそ変わらないものの「実は担任の先生と俺は〇〇先生が嫌いだったから、あの先生とケンカした小島を俺たちは密かに応援していた」などと衝撃の告白。先生も人間なんだなあ、という当たり前のことに気づいて、それを話してくれたのもなんだか大人として認めてもらえたようで嬉しかった。

先生も仕事では一生懸命に教師を演じているんだな、大変だなあーと、他人事とは思えなかったのである。どんな仕事もお仕事コスプレをしないとやっていけないものだが、こと先生となると生徒に対してある程度権威を保たなくてはならないので大変だろう。

演じるといえば、タレントはさぞ二面性があるだろうと思われがちなのだが、基本的に人見知りが多い。仕事場で顔を合わすことがあっても個人的な友人関係にまでなることはそう多くはないし、当然仕事がうまくいくように、みんな気持ち良く接することを心がけている。スタジオに入る前の顔合わせでもおとなしくしていることが多い。

画面と違って嫌なやつであってほしいという視聴者の期待を裏切る、礼儀正しくごく普通に喋る人々、という地味な絵面である。そりゃ仕事だもの、人としてありえない言動をしたらやっていけない。

スタジオでのノリのいい掛け合いや大げさなやりとりは仕事だからこそできることで、何も考えずに好き勝手にしゃべっているわけではない。それぞれに緊張して工夫を凝らして、汗をかきながら喋っている。笑顔が売りのアイドルが超絶イヤなやつとか、善人で売っている司会者がセクハラクソ野郎なんてことは、長い芸能界の歴史でゼロとは言えないだろうが、日常の風景ではない。

少なくとも私は仕事で「芸能人こええ!」と思ったことはほとんどない。ま、ドラマでもないのにカメラが回った途端に女王様キャラに豹変した女優さんに度肝を抜かれたことはあるけど、それも女優さんだから仕事の一部だろう。

それより、かつて親しかった友人が久々にくれたメールが逆ギレ脅迫メールだったり、優しいお母さんがお受験ヒステリーママに大変身したりしたのを見ているので、人の二面性なんて身近にいくらでもあるものだと思っている。余裕がないとか、付き合う人が変わったとか、いろんな理由でそういうことは起きるだろう。

だいたいあんなに好きだった人のことも「なんであんな男と付き合ったのだろう」などと言ってしまうことがあるのだから、誰だっていつまでも同じ自分ではいられないのだ。

自分がどんな時も寸分たがわぬ単一の人格ですという人はいないだろう。お姑さんといるときと友達といるときでは違うだろうし、どちらもその場では最も適切な振る舞いをしているにすぎない。それが端から見て「そんな人だと思わなかった!」というくらい印象が違っても、相手が違うのだから当然だろう。

むしろそう言って驚いた相手が、自分のことをどんな人だと思っていたのか、どんな人であってほしいと望んでいるのかに注目したほうがいい。案外、警戒するべき相手かもしれないし、意外と人のいい一面が発見できるかもしれない。だからあなたも用心したほうがいい。気軽に口にする「意外ですね!」は、うっかり自分の本音を露呈する、危うい発言かもしれないのだ。

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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