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「何者か」になるまでは

「書く仕事」に誇りを持ってやってきたし、どうしても叶えたいこともある。でも、これは「何者かになりたい」という中途半端な欲求にすぎないのだろうか――。エッセイスト中前結花さんがJ-POPにまつわるエピソードをつづる連載「そのとき、J-POPが流れた」、第3回はあいみょんの『愛を知るまでは』です。

「何者か」になるまでは

その日、大切な友人をわたしはひとり失った。

「会いたくない」
わたしにしてはあまりにもめずらしく、そんな言葉をはっきりと伝えてしまったのだ。後にも先にもこんなことは一度も覚えがない。

何かが千切れてしまうような、握っていた紐キレの端を「ああ……」と暗い海に落っことしてしまうような。そんな取り返しのつかない感触をゾクリと背中で感じてはいたけれど、その紐を割いたのも、この手から離したのも、他の誰でもないわたし自身だった。

彼は若い頃の職場の仲間で、これまでどんなときも気にかけ、さりげなくよく声をかけてくれる人だった。しばらく会えずにいると「どうしてる? お昼でも食べようか」と誘い、長々と近況を聞いてくれた。愚痴がたまれば、ビール片手にうんうんと頷いてもくれたし、わたしの様子を見て「会社を辞めてほしいなあ」といち早く伝えてくれていたのも彼だった。同僚として本当によく助けてくれたし、元・同僚としても長らくずっと見守ってくれた。

話が盛り上がれば朝までだってよく飲んだし、彼の運転する車に乗り込み、みんなで連れ立って千葉まで出かけたこともよく覚えている。この日、網で焼いた大きな甲羅のカニ味噌がなんとも言えずこっくりとおいしくて、わたしはこの上なく上機嫌だった。何かを口に含んで、「おいしい……」とほんの小さな声で息でも漏らすようにつぶやくと、彼はいつも、自分の会話を止めてでも「おいしいね」と返してくれた。

仕事ができて、注意深く懐深く仲間たちを想える。わたしの自慢は彼のような友人がいつもすぐ傍に居てくれることだったかもしれない。


けれど、数カ月前のことだ。
結局、彼の忠告を聞かずに仕事を続けたわたしは昨年、体を壊すこととなる。そして半年ほどの療養を経て、ついに独立をする決心をした。企業の編集部を辞め、執筆仕事で食べていくことを選んだのだ。もちろん自分なりによくよく考えた結果であったし、わたしにはやりたいことも、やってみたいこともたくさんあった。

近い業界で働いている彼だったから「こんなことがあって」という報告と、「ご一緒できる仕事があれば――」という軽いお願いをしたつもりだった。けれど、今振り返ればその相談の仕方が我ながらいかにもまずかったのだと思う。

「そういうことじゃないんじゃないかな」
「自分のマネジメントを自分でするの? 君にはできないんじゃないかな」

心配してくれていた友人に、倒れたことも長らく伝えず、すべてを決めてしまってから「何か仕事があればください」だなんて都合の良い連絡をする。心配をかけたくないという気持ちがあったとはいえ、そもそもわたしには礼儀というものが足りず、あまりにも図々しいのだ。

画面越しに反対され、もっともだとも思った。けれど仮にも胸の内で散々悩み、もう決めたことなのである。
「うん、もちろんわたしは自分の管理得意じゃないな。でもね、」
わたしをよく知るからこその忠告。それでも、彼にはわかって欲しかったし話せばわかって応援してくれるだろうと思っていた。ところが、そんな会話の中で、このあとの彼の口から出てきた言葉をわたしはどうしてもどうしても受け入れることができなかった。

「気持ちはわかるけどね。“自己実現”もいいけど、そろそろ環境を整えてちゃんと働くことを考えた方がいいんじゃないかな――」

自己実現……。ちゃんと働く……。わたしはペラペラと大慌てで辞書でもめくるように、思わず急いで画面で検索してしまう。
「“自己実現”とは」
それって、いったい何だったっけ。

調べるとそこには、

自分の目的、理想の実現に向けて努力し、成し遂げること。

とあった。

自己の内面的欲求を社会生活において実現すること。

ともあった。

たしかにどちらも、なにか大きく外れた言葉ではないように思える。けれど、どうしてだろうか。そこにはなんだか、
「仕事ではない戯言を、“何者か”になれるはずと信じていつまでも追いかけている」
そんな意味合いをわたしはひしひしと感じてしまって、そのあとの言葉が上手く耳に入ってこなかった。

「編集部でも……編集部でもね、ちゃんと働いてたんだよ」
「文章書いたり?」
「そう。もちろんそれだけじゃないけど……」
「たとえば、書くことは趣味じゃだめなの?」
「趣味……?」
「まあ画面越しだと、上手く伝わらないかもしれないから。また会って話そうよ。同じこと繰り返してほしくないからさ」

おそらくそんな、少し危うい余韻を残して、その会話は終わったように思う。思えば、こんなに近い存在だったけれど、彼はわたしの書いた記事を読んだことは一度もない。しばらくの間、真っ暗になった画面を眺めたあと、わたしはもう一度「自己実現」について調べていた。けれど何度調べても、言葉が指し示す意味はそれ以上でもそれ以下でもなかった。


そして数日後だ。
「会って話そう」と誘われたとき、わたしは「会いたくない」のだと。「価値感が違う人と話すと、今は混乱するだけだから、やっぱり仕事の話をするのはもうよそう」と。
そんなふうに伝えた。
「わかったよ。気が向いたらまた連絡ちょうだい」
彼は相変わらず落ちいついた様子でそう言ってくれたけど、最早何を連絡するべきなのか、わたしにはもうよくわからなかった。これまであまりにも多く、仕事の相談を重ねておきながら。

彼は――。
彼は、スーツで広告代理店を訪ね歩いていたわたしが会社を離れてからのこの10年弱を。同僚でなくなり、執筆や編集の仕事をしているこの期間を。
なにか趣味の延長のような、どこか甘えた戯言を続けていると思っていたのだろうか。
わたしは、何者かになりたいと夢を見続けているような友人に見えていたのだろうか。
そして何よりも「書く」ということは、その「自己実現」なるものでしかないのだろうか。

企業の採用強化のために書いたインタビュー記事も。伝統工芸の魅力や職人さんの横顔を伝え、「守りたい」と願いながら書いた記事も。どうかひとりでも多くの人が聞いてくれますようにと祈りながら書いたラジオの新番組の告知記事も。それをこんなふうに綴るエッセイも……。どれも、“自己の内面的欲求”という何やらを満たすために書いていて、「ああ、わたしを認めてほしい」という気持ちのままにやってきたことなのだろうか。

もちろん、ひとりでも多くの人に読んでほしい、役に立ちたい、そういう気持ちは常にあった。しかし、それが「自己実現」なのだと言われると、なんだかわたしは途端に悲しくなる。ただ言葉の意味を、身勝手にわたしが履き違えているだけなのかもしれない。けれど上手く飲み込むことがどうしてもできない。

実はその数日前にも、お世話になっていた先輩に「まずは結婚じゃないかな」「ずっと文章を書きたいの?」と電話越しで尋ねられ、なんだか本当に返事に窮してしまう場面があった。「いろんな生き方があるから」と、そのときは上手にゴクリとできたのに。

働くって……働くとはいったいなんなのだろうか。誰もがひとりでも多くの人の役に立ち、「またあの人にお願いしたい」と思ってほしい。思われたい。そんなふうに願いながら毎日を夢中で続けているのではなかったろうか。
わたしは、ただ自分の欲望のために文章を書いてきたのかなあ。

丁度、気になって読みかけた本にはこんな言葉があった。

全員が「大物にはなりたくないが、何者かにはなりたい」と願うようになった。
時代の気分としての、中途半端な欲望。それが「何者かになりたい」の正体だ。

「『何者』かになりたい 自分のストーリーを生きる」三浦崇宏著, 集英社, 2021年



「何者かになりたい」
たしかにわたしは、あと少しだけ名前が売れればなあ、と考えているところはあった。それは認める他ない。正確には、あと少しだけ読んでくれる人が増えればなあ、という願いだった。「知ってほしい」と感じた事実を、もっと多くの人に知ってほしいと思うし、そうすることでわたしはもっと役に立てる。
それに、わたしには「これまで書いてきた連載をまとめるような書籍を出したい」いう目標もあった。これは、長らくの切なる想いだ。

ではなぜ紙の「本」という形にこれほどまでにこだわっているのか。
ひとつは父の存在だと思う。たったひとりの家族である父にとっても、わたしは「何やら、よくわからないことを東京でしている娘」であり、そんな父の手に「あなたの娘はこういう仕事をしているのよ」とちゃんと渡してあげたかったのだ。
そしてもうひとつは、書店だ。いつの時もいちばん好きな場所だった。そこにわたしの仕事のカケラをどうしても並べたい……それが幼い頃からの夢だ。

そして――。
わたしは、いつか少し時間を取って、四国まで訪ねたり何人かの人に取材をお願いしたいと考えていた。喘息のために14歳で大阪の親元を離れ、たったひとり四国の一軒家で暮らしはじめた母。発作が出るたび遺書を書いていたという、そんな彼女の伝記を書きたいと考えていたのだ。大人になれば、大手の松下電器を辞め、突然と編み物の講師になり、大学生の父からのプロポーズを受けた。娘を亡くして、「もう一度だけ」と命をかけてわたしを産み、その出産が原因で長らく苦しむことになった。そんな、簡単に話すにはあまりにも脚注の多い人生を歩き、「せっかくおもしろそうな子なのに、この後が見られないのだけが残念」とわたしの手をにこにこと握り、59歳でこの世から去ってしまった母のことを書きたい。

けれど取材を申し込むにあたって、連絡先を調べるには手がかかりそうな年配の方も多く、また女優さんになってしまった人もあったし、そのためには個人的なわたしの活動ではなく、編集部の人と一緒に「本になります」とお願いするのが良かろうと考えていた。
そうして、母がこの世に居たことをわたしは残したい。なにが起きても「気丈に愛らしくいること」がどれだけ偉大なことなのかが伝わる本にしたい。そのためには、力をつけて、なんとか書籍を出せるような書き手になりたい、そんな想いを抱えてずっとずっと足掻いてきたのだった。
わたしには、そんな「人生で必ずやり遂げたいこと」がいくつかあったからだ。

では文章でなければいけないのか……それはどうだろう。
やはりわたしが目指すのは書店であるし、これだけが唯一、他の誰かよりも少しは得意かもしれないことだった。
特別に作文が好きだったわけではない。けれど学生時代、読書感想文だけはとにかくよく褒めてもらえた。何よりも、小学校から高校までクラスには毎日「日直」という役割があり、そのひとつに「日報」の「今日のひとこと」という欄を埋める仕事があったのだけれど、
「はい、中前。“今日のひとこと”書いといてな」
「うん。わかった」
といった具合に、いつからかその欄はよくわたしのコラム枠になった。そして先生が、その部分だけをコピーした紙をホッチキスで製本して、
「職員室で、回し読みしてます(笑)」
と三者面談で母を仰天させていた。わたしの夢は、いつまで経ってもあれだった。
「読みたい」と願ってくれる人がひとりでも多くいる、そんな本が作りたかったのだ。


そしてここまで綴って、はたと手が止まってしまう……。
頭から読み直して、言葉を失い、わたしはしばらく机を離れずにはいられなかった。


これは……、「自己実現」じゃないか。

これを「自己実現」の他になんと呼ぶのだろう。
なにが飲み込めない、なのか。なにがそんなに悲しかったのか。どんな仕事も、「役に立ちたい」「喜んでもらいたい」と願う傍で、その積み重ねの先にあるかもしれない、自分の欲望の達成をチラチラと見ていたんじゃないか。
「価値観が違うから」なものか。図星を言われて胸が痛んだりしただけだ。「夢を見続けているような友人」でなにが違うのか。寸分も違わず、その通りじゃないか。だから、悲しかったんだろう。何者でもない自分が。

だから、「ああ、仕事は……文章を書いたりそんな感じです」といつもヘラヘラ笑うのだろう。
だから、あいみょんの曲を聞いて泣いたりしたんだろう。

あー 誰にもないものを持っていたいのになぁ
無理矢理に抱きしめてた心を今解いて

あいみょん『愛を知るまでは』



壊れそうな心を、やさしい声が本当にただ素直に綴っていた。
自分を語るように、誰かを語るように、痛いところを突いてはやさしく生温かい風のように撫でてくれる。
ドラマのエンディングでも、街なかでも、ふと流れるといつも目元がジュッと熱くなった。

そうだ、同じだ。ずっとずっと「捨てきれない」のだ。

あー まだ咲ききれない花のような毎日だなぁ
無茶苦茶に走り続けた身体を今休めて

あいみょん『愛を知るまでは』




わたしは――。
わたしは、あなたの言う通り、「自己実現」のために「何者かになりたい」と中途半端な欲望を持って捨てきれずにいる友人なのです。


「でも、あのね。」

……便箋を手に取り手紙にしてみようと思った。もう一度届けてみたいと思ったのだ。

「でもあのね。
たとえば、こんなわたしのままじゃだめかな。
本当はわたしみたいに、『何者か』になりたくてなれなくて。だとか、『あの人みたい』になりたくてなれなくて。
それでも焦っていることを上手く隠して、上手くそんな隙間を繕って……毎日毎日を溺れそうに生きてる人はたくさんいるんじゃあないのかな。
今はそんな気がしてるんだよ。

だけどこのところは、毎月のように仕事が増えて、どれもすごく楽しくやれてるよ。
『役に立てている』と感じることができる仕事だってたくさんある。
わたしは、わたしを満たすためだけに、働いてるんじゃあない。
喜んでもらえると、役に立てると、本当にうれしいもの。
それは胸を張って言えることだし、
だから『ちゃんと働く』という言葉は、
どうか訂正してほしいと思う。どんな仕事だって、仕事なんだよ。

たしかに、わたしは細かいことが苦手ですごくすごく大雑把なの。
だけど苦手なことは、人に聞きながら、助けてもらいながら、頑張れているし、
もしかしたら、また『手伝ってほしい』って甘えてしまうことがあるかもしれないけど、
またいつか、そんなとき、手を借りることはできないかな。
もちろん逆の立場だって、どんな時も手を貸したいと本当に心から思うよ。
だけど本当はそんなことよりね、
わたしはただ、また会いたいって思うんだけど、だめかな?
会って、『おいしい』って言ったら『おいしいね』ってまた返してほしい。
それだけで、どれだけ救われた夜があったか。
だからやっぱり、嫌いになんかなれないんだよな。
あのとき嫌な言い方をしたけれど、ごめんなさい。
やっぱりずっと自慢の友達でいてほしいし、
わたしも自慢できる友達になれるように、絶対に頑張るから。
胸を張って、『書く仕事をしています』って言えるようになる。
一緒にできないかな? って勝手に考えてることもあるし、
あとね、こんなこと言うの初めてだけど、紹介したい人もできたんだよ。
まだ『何者』でもないけれど『あなたの友達』ではせめていたいと、
勝手だけど、ずっとずっと、本当はそう思っているんです。」

そこまで書いて、ペンを置いた。
「誰だってそうだよな」
と思いながら、外の灯りに目をやってみる。
空気は生温くて、なんだかもう秋の気配だ。

Photo/片渕ゆり(@yuriponzuu



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中前結花

ライター、エッセイスト。ものづくりに関わる、人や現場を取材するインタビュー記事と、これまでの人生や暮らしの「ちょっとしたこと」を振り返るエッセイを中心に執筆。兵庫県うまれ。https://twitter.com/@merum...

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