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絶望も不安も諦めた――観念した先に待つのは、弱さではなく世界の広がり

自分の手で未来を切り拓き、いまここに灯る希望を見せてくれる人を紹介する連載。第二回の話し手は、オーダーメイドの結婚式「CRAZY WEDDING」の創設者・山川咲さんです。暗いニュースが続き、明日が信じられなくなりそうなときにこそ、太陽のように未来を明るく照らす言葉を。

絶望も不安も諦めた――観念した先に待つのは、弱さではなく世界の広がり



<山川咲プロフィール>
1983年東京生まれ。 幼少期にワゴンカーでの日本1周・自然との共生を経て、ビジネスの世界を志す。2006年人材教育のベンチャー企業へ入社し、2012年に株式会社CRAZYを創業。不可能だと言われた完全オーダーメイド結婚式を生み出す、CRAZY WEDDINGを立ち上げ、業界の革命児と呼ばれる。4年後の16年には毎日放送「情熱大陸」に出演。2020年にCRAZYから独立。

■自分で立ち上げた、大好きな会社を退職した理由

28歳で、完全オーダーメイドのウエディングブランド「CRAZY WEDDING」を立ち上げ。夫とともに夫婦経営を続けてきましたが、創業8年目となる昨年3月に、会社を離れて独立しました。

そもそも、辞める気なんてなかった。株式会社CRAZYのアイデンティティは私の中にこそあると思ってたし、大好きな会社に大好きな仲間たちがいて、大好きな仕事があったから。

写真提供:山川咲

だけど、世界を変えたいというエネルギーがあふれ出して起業したはずなのに、いつのまにか私の中からあふれ出すものが少なくなっていて……。それでも代表としてメンバーを鼓舞しながら、力強く旗を振り続けていかなければならないことに、無理が生じてきていたんです。いま振り返ってみれば、夫婦で会社を経営するという仕組みも、子育てをしながら続けることも難しかったのかなと思います。

もうひとつ大きかったのは、経営者は思うように“変化”しにくいポジションだ、ということ。成長できる機会はたくさんある。でも、独立した今、トップだからこそ相手が変わってくれるポジションでもあったのだと、反省しています。とにかく、自分が進化し続けることが過渡期にあった、というのがあのときの感覚的な心情でした。

そんな折、メンバーとご飯を食べているときに「会社辞めたら?」と言われて! 驚きながらも「いや、辞めないよ? 辞めないけど……もし辞めたらさぁ……」なんて想像を膨らませてみると「あれもしたい! これもしたい!」となった。辞めるべきではないと頭では思っていたけれど、独立に対してわくわくしている自分がいたんですよね。そこで、すでに答えは決まっていたんでしょう。

そうとなったら、去り際は潔いタイプ。男の人と別れるときもスパッとしているし、切り替えて次に進めるのが私、おとめ座の性格なんだそうです(笑)。そう、最近の私、星占いにハマっております。でも占いだけでなく、今までの人生で「自分のポジティブな直感は当たる」という経験則ができているから、自分の進みたい道に進めるのかもしれません。

■「満天の星空」「目の前に浮かぶ太陽」圧倒的な自然を前にして感じたこと

CRAZYを退職した後は、しばらく奄美大島で過ごしました。奄美での日々には、「私たちは大きな自然に包まれて生きているんだ」と、思い知らされる瞬間がたくさんありました。

たとえば、深夜にトイレで目覚めて空を見上げたら、満天の星。
たとえば、夜明けの海にちゃぽんと浸かっていたら、目の前からせりあがってくる太陽。

自然があまりに偉大すぎて怖いのと、美しいのとで、何度も涙を流しました。自然がなくても生きていけるわ、なんて思っていた時期もあったけれど、圧倒的な光景を前にすると、どうしようもなくて。自然とともにある実感が私を追いかけて、包んでいった。そうなるともう、認めてひざまずくしかないんですよね。自分のルーツはやっぱり「自然の中」にあったんです。

写真提供:山川咲

ただ、私はそれでも「社会の中」で、何かを成していきたいと感じていました。父が環境活動家だったこともあり、環境問題への関心は強いほう。だからこそ、自然を優先してばかりいたら、小さく終わっちゃうような危機感もあって……。私は私のやり方で、ビジネスの世界でこの社会を前に進めなくちゃいけないと考えていたのです。

そんな流れの中で、昨年末から始めたのが、人と自然の共生を目指すライフスタイルブランド「SANU」の仕事でした。Creative Boardメンバーに誘ってもらい、取締役としても参戦して、自然の中で暮らすサブスクリプションサービス「SANU 2nd Home」などの企画を進めています。

私たちにとって自然がどれだけ大切な存在でも、真っ向から対峙するのは難しい。だけど、自然に溶け込んで時を過ごすセカンドホームが持てれば、いまよりはずっと対等に、自然と向き合えるんじゃないだろうか。私にとってSANUは、そんな仮説を証明するための実験でもあるんです。

■変化し続けたいから、いつも「怖いほう」を選ぶ

就活を始める前からずっと、「働くからには人の人生に影響を与えたい」と考えていました。でも、もっとも興味があるのは、自分自身が変わること。自分が変わることで溢れ出すものが、誰かに伝わり、世界を変えていけたらいいなと思っているんです。

だからこそ、変化することへの意欲はすごく強いし、変わることだけが正しいと考えているきらいがあります。いま正解を手にしていることより、居心地のいい場所にいることより、これからも変われる人間であることが一番の希望じゃん、と思うんです。

CRAZYを辞めたのも、いってしまえば変化を選んだから。大好きな仲間と大好きな仕事ができて幸せだったのに、その時間を続けられなくなってしまったことは、絶望でもありました。だけど、そんなにも私を満たしてくれるものすら手放して、自分の人生を生きようと考えられることは、やっぱり希望だったんです。変化はつねに自分で選べるものだし、内容がどうであれ、変わっていくことって楽しいから。

私は何か決断を迫られたとき、いつも「怖いほう」を選びます。「なんで怖いんだろう」「怖いのになんでやりたいんだろう?」と自分自身を深く洞察していくと……おとめ座って、そういうタイプらしいんですけど(笑)。最終的には「怖いと思うってことは、私はそっちの道に行きたいってことなんだな」という結論に達します。

だって、興味がないことに向き合うときには「怖い」とは思わない。怖いと感じるのは、やりたいから。やることはもうどこかで決まっていて、「やってどうなるかわからない」から不安なんだなって。
30代前半くらいまでは、うじうじ迷うこともあったけれど。いまは「怖いと思うってことは、これ、私やりたいんだな」「あー、これ正解のやつじゃん!」と、前向きに選び取れるようになってきました。

私は仕事が大好きで、仕事に賭けている人間です。それでもあまりに自分のことで悩む時間が多いから「この時間さえなければ、もっと仕事の効率が上がるのに……」と思う瞬間もある。でも、悩むことはある種、仕事をすることよりも大切なことだとも思っています。人生という大きな私の関心ごとにおいて、自分についていろいろ考えたり悩んだりすることは決して悪いことではないんだと。

仕事はもちろん大事。だけど、しなくたって死ぬわけじゃありません。今日のタスクを消化できなくても、すべてが終わるわけではないはず。でも、自分に抱いた違和感や人生を変えるべきサインは、指のあいだをすり抜けてしまったら、その瞬間にもう終わり。二度と戻ってこないのです。

だからこそ、どんなに悩もうと、自分自身を粘り強く観察し捉える努力がなにより大切なのだと思います。私の人生において最大の目的は「悩むことも含めて、人生を探求することそのもの」なのかもしれません。

■自分で選ぶことに向き合って、その先にあるドラマを味わい尽くしたい

何かを選んだ結果、苦しいことに出会う可能性だって当然あります。そのとき、自分の選択を後悔してしまう人もいるでしょう。

でも私は、つらいことも苦しいことも楽しいことも面白いことも全部、人生の彩りだと思うんです。楽しいことだけをすくいあげたとしても、楽しい人生にはなりません。

CRAZY WEDDINGで働いていたときの、24時を過ぎても仕事が終わらなくて、オフィスの床にみんな転がって仮眠をとるしかないくらい忙しくて大変だったあの時間は、私の人生にとって忘れられない体験です。きっと正解だけを求めて生きていたら、楽しいことだけを選んでいたら出会えなかった瞬間でしょう。

自分がこれだと思ったものを選び、その先にあるドラマをただただ味わい尽くしたい。それが、私の人生観なんだと思います。しょうもない出来事だって、飲みのネタにすればいいんです(笑)。

だから、何かを選んで後悔したことはありません。失敗したことはあるけれど、後悔はしない。こう言い切れるのは、「自分で選んできた」と胸を張って言えるから。誰かに選ばされてきたり、ほかの選択肢がない道だったとしたら、こんなふうには言えないんじゃないかな。

私たちはいま、自分で道を選べる時代に生きています。ほんの少しさかのぼって、私のおばあちゃんたちの時代には、結婚も仕事も自由に選べない女性がたくさんいました。社会の情勢が暗く感じるときもあるけれど、いまは自分の意志や活動によって、世界や生き方をいくらでも変えていける。

だからこそ、自分が選ぶことに対して向き合いたい。「自分で選べるんだ」という自覚と「自分で選ぶしかないんだ」という諦めを持つことができれば、もっと楽になれる気がしています。

だって人は全員、死ぬじゃないですか。誰もが自分だけの絶対的な時計を平等に持っていて、ほかの誰とも違う時間軸を生きています。どれだけ大切な家族がいたって、結局、自分は自分の人生を生きるしかありません。「自分の人生を生きるしかない」「自分の人生しか生きられないよね」という諦めを持つことが、自分を強くしてくれる。人生で起きるさまざまなトラブルでさえ、自分を拡張してくれる機会のように思えたりするんです。

もちろん、めっちゃ不安ですよ。明るいし、底なしのエネルギーは持っているほうだけど……(笑)、だけど、毎日めちゃくちゃ不安です。

「あの人がこう思うかも」「こんなふうに見えたらやだな」と、周りの目や声を気にしてしまうことばっかり。ノリノリで仕事を進めていても「これがうまくいかなかったら、私は社会に対して嘘をつくことになっちゃう」「あの人は私のことを理解してくれていない気がするからもう無理だ!」なんて、毎日軽く2回は絶望してるかな(笑)。でも、そのたびに「こんなに不安になってまで、人生の一部の時間を使ってまで、私はこれをやりたいの?」と自分自身に尋ねて、「やっぱりやりたい」と思えるものだけを選んで前に進んできました。

自分に自信がないことも、もう諦めています。自信がないことを悩んでも、自信が持てるようにはなりません。それよりも、ないままで物事をうまくいかせる方法を考えて、ギリギリでもやっていけるようになればいいんです。

ナチュラルボーン前向きで、自信があって、周りに惑わされず、心が安定している人間だったら。きっと私はこんなに物事を考えなかったと思います。自然体でそうはいられないし、不安定だからこそ、よく考える。考えた結果、新しいものが生まれるんだから、不安定はクリエイティブの源泉ともいえます。悩むことも、自分を観察することも、私にとっては趣味のようなもの……なのかもしれませんね。

そう考えると結局、私を邪魔できるのは私しかいない。ネガティブなインスピレーションにとらわれるのも、ポジティブなインスピレーションを信じられるのも、自分自身なんですよね。

不安も絶望も、ある種それが人間なのだとまるごと諦めて受け止めて、変化し続けられることが私にとっての希望。誰にも邪魔できない聖域としての人生を、各々が生きているのだと思います。私もそんなふうに、ぽんと始まった人生を精一杯生きる代表格のひとり。自分だけの人生を、これからも一生懸命作っていこうと思います。

取材・文:菅原さくら
写真  :Nanami Miyamoto
編集  :小林航平

菅原 さくら

1987年の早生まれ。ライター/編集者/雑誌「走るひと」副編集長。 パーソナルなインタビューや対談が得意です。ライフスタイル誌や女性誌、Webメディアいろいろ、 タイアップ記事、企業PR支援、キャッチコピーなど、さまざま...

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