いやだなあ、確定申告
確定申告がつらい。親に嘘をついた、恋人との電話越しに泣いた。やっぱり確定申告は進まない。
また2月がきた。確定申告の季節だ。正確には、ことしの確定申告は4月15日までに済ませればいいらしいのだけど、えらい人はだいたい2月中に確定申告を終わらせて「もう終わった?」とニヤニヤしながら聞いてくる。終わっているわけがない。仮に2月に終わっていたら、こんなことをわざわざエッセイにしているはずがないのだ。
■書類が書けないばっかりに
思い返してみれば、「書類に向かう」という作業が学生時代から心底にがてだった。マークシート式の試験やアンケートに臨もうとすれば、ボタンをかけ違えるように必ず記入欄をひとつずつずらして塗りつぶしてしまい、最後に大慌てする。「自分の住所を書くように」と言われていたはずの郵便物をどういうわけか高校の住所宛てにしてしまって、事務課から困惑気味に電話がかかってきたこともある。大学生のころは自分の学籍番号がいつまで経っても覚えられず、出席票に学籍番号を記載するたびにいちいち学生証を確認しているものだから、教授が「なぜか私が覚えてしまいましたよ」と番号を机のそばで復唱してくれていたことまであった。とにかく数字や言いつけられたルールが覚えられないし、なにかを「書き写す」という作業もまるでできない。
一時期、某テーマパークのインフォメーションセンターのアルバイトをしていたことがある。そこでは、年間パスポートを作りたいお客さんが私の窓口に来たら、速やかに入園ゲート付近にいる同僚を呼んで作業を交代しなければいけない、という暗黙の決まりごとがあった。言うまでもないが、お客様対応における私の記入ミスが多すぎたせいだ。
年間パスポートを作りたいお客さんはたいていパークのことが大好きなので、そこで働いている私たちにもやさしい。チケット売り場のガラス越しにニコニコと近づいてきて「すみません、年間パスポートを作りたいのですが」と丁寧な口調で言ってくれるのだが、私は「ねんか」くらいのタイミングで手元の黒いボタンをスッと押し、「恐れ入ります別の者が」とその声をさえぎって窓口から颯爽と去る。
代わりに来てくれたスタッフが年間パスポートの申し込み用紙の記入方法をお客さんに説明しているあいだ、私は入園ゲートの前で、「写真をお撮りしましょうか」と親子連れに声をかけてまわっていた。撮ってくださいと言われたら、「ハ~イ、3、2、1、ナンジャラ~!」と大声で叫びながらシャッターを押す。当時いたパークにはそういうかけ声で写真を撮るルールがあったのだ。「ナンジャラ~だって、おかしいね」とお客さんたちが笑顔になった瞬間を見逃さず、「いい笑顔で~す! ハ~イもう1枚、ナンジャラ~」と追い打ちをかける。お客さんはさらに笑う。アルバイト自体は楽しかったが、自分はいま書類が書けないせいでナンジャラ~の係になっているのだと思うと胸が痛んだ。カメラのシャッターを押すたび、そうだ、社会人になったら書類に向き合わなくていい仕事に就こう……と祈るように思ったものだ。
■そんな仕事はない
けれど、社会人のみなさんならおわかりかと思うが、そんな仕事はなかった。経理や事務の仕事さえ選ばなければ書類に向き合うことなんてそうそうないだろう、フリーランスならその機会はより少ないはずだ、などという私の浅はかな読みは完全に外れた。
フリーランスのライターとして働きはじめると、国民健康保険やら国民年金やらのお知らせは毎月のように送られてくるし、取引先の会社には自分から請求書を送らなければいけないし、なにより確定申告があった。「会社員の人より書類に向き合う機会多いじゃんかよ」とすぐに気づいたものの、人といっしょに働く集中力と協調性のない自分にはこの仕事しかできないだろうという気持ちも大きく、私はけっきょく、自宅でマイペースに働く代わりに、行政と直接書類のやりとりをするという大きすぎる代償を払い続ける道を選んでいまに至る。
行政から送られてくる手紙は例外なく怖い。こんな書き方をしたら市役所や税務署で働いている方に失礼なのは百も承知だけれど(本当にごめんなさい)、なんというかもう、開封する前から「そうです、市役所の手紙でございますよ」というオーラがすごいのだ。
毎年、年度が変わると、国民年金やら国民健康保険やらの払い込み用紙がまとめて送られてくる。それらの分厚い封筒を見た瞬間、私は数カ月後に払い込みを忘れるであろう自分、用紙を紛失している自分、確定申告の際にどこまで支払い済みだかわからなくなって呆然とする自分を走馬灯のように思い描き、もうだめだ、と笑う。なにひとつはじまっていないのに、心は終わりを予感してしまう。
去年の春は特にひどかった。年金やら保険の支払いといった“レギュラーメンバー”に、住所変更、給付金申請、そして確定申告が加わり、手続きのオールスター感謝祭の様相を呈していた。なにをどうしていいかさっぱりわからず、怖い手紙の束を机の上に並べてしばし放心していたのだが、そのうちの1通を恐る恐る開けてみると、「パスポートもしくは運転免許証を持って◯◯区役所の◯号館までお越しください」と書いてある。私はパスポートも運転免許証も持っていない。その場合はこちらまでお電話を、という文言が見え、で、電話……と血の気が引く。他のやつから片付けよう、と近くにあった別の封筒を開けると、「警告」という大きな文字が見える。アアッ、と思う。私は知っている、行政がこのフォントを使うのは、なにかのライフラインが止まる直前のときだけなのだ。
やばい、とその手紙を読んでみると、支払ったと思い込んでいた保険の支払いが済んでいなかったことがわかる。あれ、でも4月分はたしかに払ったはず……と記憶をたどってみると、どうやら私は他の公共料金を保険と勘違いし、二重に支払いを済ませてしまっていたようだった。
けっきょく、これらの手続きをすべて済ませるには6日もの時間がかかった。6日間。神だったら天地を創造し終えている日数だ。神は7日目に休んだと聞いているけれど、私は7日目に38度5分の熱を出して寝込んだ。布団に横たわってぼんやりと天井を見ているとき、「今年はちゃんとひと月ごとに手続きを済ませよう、そうすれば確定申告もつらくないはずだから……」と自分に誓った。
■親に嘘をついてまで
繰り返すようだけれど、そんなことができていたらこんなエッセイを書いていない。
先月、しばらく開けていなかった家のポストに手を突っ込むと、A4の茶封筒が指先に触れる気配がした。オーラでわかる、これは税務署からのもの、と確信を持って引き抜くと、「確定申告書用紙在中」と書いてある。来てしまった。ついに今年も確定申告書が家に届いてしまった。
どうしていいかわからないので、ひとまずダイニングテーブルの端にそれを置いてみた。届いてから2週間ほどが経つと、確定申告書にはうっすらと埃が積もりはじめた。このまますべてなかったことにならないかな、と思いながらぼんやりとテーブルを眺めていると、実家の母から電話がかかってきた。母はひとしきり父の病状や自分の近況について話したあと、「あんた、確定申告は済ませたんでしょうね」と聞いてくる。
私はウッ、と言葉に詰まり、あろうことか、「す、済ませた」と言った。
母は驚きながらも「偉い」と喜んでいる。私はといえば、自分がまったく信じられなかった。20代後半にもなって、こんなくだらないことで親に嘘をつく子どもがいるだろうか。
ほんとうに終わらせないと大変なことになる、と思った。実家は近所なので、母はカジュアルに私の家を訪れる。母が家に来たときにレシートの山と無記入の確定申告書を見られたら、「あんた、親に嘘をついてまで……」と絶望されるのはまちがいないはずだ。
さしあたって、去年1年分の領収証を床に広げてみた。けれどもう、その時点で途方に暮れてしまう。多すぎる。あまりにも多すぎるのだ。「今年はひと月ごとに手続きを済ませよう」という自分の声の幻聴がかすかに聞こえ、床に倒れ込んだ。
そのままの姿勢で2時間ほどぼんやりしていた。夜、恋人から電話がかかってきて、しばらく雑談をする。しかしうつ伏せになっている自分のまわりには領収証の山があり、体勢を変えるたびにカサッと音を立てるので、それに気づくたびに無口になってしまう。「なんか冷静じゃない?」と聞かれ、確定申告が、と打ち明けようか迷ったが、声に出すのがはずかしくてなにも言えない。
やがて、恋人は電話の途中で眠ってしまった。私はしばらく寝息を聞きながら領収証のなかでじっとしていたが、だんだんと悲しさが募ってきて、泣き出してしまう。どうしてこんなことで、と思うとなおさら涙が止まらなくなって、くしゃみをこらえるときのように「ウグッ」という音を立てながらしずかに泣いた。すると、電話の向こうから「……なんか泣いてない?」と声がした。
「がぐでいじんごぐのごどを」と私は言った。泣きすぎて鼻が詰まり、まともにしゃべれなかった。「がぐでいじんごぐのごどを考えでいだら、つ、つらぐで」
恋人は私の話を聞き、あきらかに戸惑っていた。やさしいので態度にこそ出さないものの、確定申告ごときで泣く人間がいるなんて、と驚いてもいるようだった。彼はしばらく相槌を打ち続けたあと、そうだね、と前置きをして、「忘れな」とひと言言った。
「……え?」
「忘れな。確定申告のことなんてぜんぶ忘れちまいな」
いいの? と繰り返しても、恋人はもう「忘れな」しか言わなかった。格好いい。歌詞みたいだ、と思った。
だから私は確定申告のことを忘れることにした。領収証はふたたびベッドの下の引き出しにしまい、同じところに確定申告書も入れ、ぐっすりと眠った。
***
そういうわけで、あとのことはなにもわからない。たぶん、4月13日ごろの私がどうにかしてくれるはずだと思うけれど、ちょっともう、そのことについていまはなにも考えられない。 担当編集者が心配して「去年も一昨年もなんだかんだで済ませられてはいるんですよね……?」と尋ねてきた。そうなのだ。昨年も一昨年もなんだかんだで済ませられてはいるのだ。フフ、そう聞いてちょっと安心したでしょう。
こんな原稿を書きながらも、私はどこか晴れやかな気持ちでいる。もうすこし暖かくなったら家の近くの公園の桜がきれいだろうな、と思う。Twitterは「確定申告」「e-Tax」でワードミュートをかけた。だから大丈夫。春が来ても、桜が散っても、もう私は大丈夫だ。税務署から、あの怖い大きいフォントで「警告」と書かれた手紙が届かない限り。
1992年生まれ、ライター。室内が好き。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』(PAPER PAPER)。