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嫌いな親の死に目には会わなくてもいい。介護を外注することだって立派な選択

いつか経験するかもしれない親の介護。親との関係が良好な人にとっても重荷になる介護ですが、「親が嫌い」「できれば縁を切りたい」と思っている人にとっては、特に頭を悩ます問題のはずです。かつて親子関係で深く悩んだ経験を持つ菊池真理子さんと五十嵐大さんに、「複雑な親子関係と介護」をテーマに対談していただきました。

嫌いな親の死に目には会わなくてもいい。介護を外注することだって立派な選択

「まだ先のこと……」と思っていても、その“先”が今日、明日でないとは、決して言いきることのできない親の介護問題。時間、体力、金銭といった負担に加え、介護の対象となる親との関係が良好ではない場合は、また違ったしんどさが生じる可能性があります。「この先の人生で、あまり関わりたくない」と考えていた親が要介護状態になった場合はどうすればいいのか――。

そこで今回は、“毒親”に振り回されてきた体験を描いた『酔うと化け物になる父がつらい』(秋田書店)や、良好ではない親子関係に悩む多くの方の体験談をまとめた『毒親サバイバル』(KADOKAWA)などの著書を持つ作家の菊池真理子さんと、耳の聴こえない父母、宗教に傾倒する祖母、暴力的な祖父との複雑な家族関係を描いた著書『しくじり家族』を2020年10月に刊行したばかりのライター・五十嵐大さん、かつて親子関係で深く悩んだご経験を持つおふたりをお招きし、お話をお聞かせいただきました。

■家族に介護を押しつける風潮のおかしさ

嫌いな親の介護どうする?

菊池真理子さん

──菊池さんはお父様をご自宅で介護した経験があるということですが、著書『酔うと化け物になる父がつらい』の中でも、お父様の酒癖の悪さに小さい頃から振り回されてきたと書かれていますよね。なぜ折り合いの悪いお父様を介護することになったのでしょうか。

菊池:なんででしょう……家で介護する必要は本来ないんだけど、このくらいならできるってたぶん思っちゃったんですよね。父はお酒をずっと飲んでいたので、酔って倒れたのを着替えさせるとか、そういう世話は昔からやってきたんです。父はがんで、亡くなる半年ほど前から体の自由が徐々にきかなくなっていったんですが、病気になってなにもできなくなっていく過程が、酔っ払って倒れていく過程とそんなに変わらないように見えて。だからできるって思っちゃったのかもしれない。

五十嵐:介護するとなると、自分の時間を使うことになるわけじゃないですか。大好きな親だったら自分の時間を使ってでもケアしようって思うかもしれないけど、菊池さんの場合は複雑な関係で、それでも自宅で介護するというのは僕からするとすごく不思議というか……。

菊池:いま振り返ると、私も不思議です(笑)。でも、父は昔からそんなふうだったから。普通に生活をしていても、父に突然時間をとられるということに慣れきっていて、その延長でできてしまったんだなあと。

五十嵐:僕の祖母はとある宗教に傾倒していて、祖父も大酒飲みで酔うと暴力をふるう人だったので、菊池さんのご両親が自分の祖父母にほぼ重なると思いながら、『酔うと化け物になる父がつらい』を読みました。

──五十嵐さんはご両親の介護は未経験とのことですが、お祖父様とお祖母様の介護はどなたがされていたんでしょう。

五十嵐:祖父母とも最後は寝たきりになっちゃったんですが、聴こえない僕の母が自宅で介護したんです。僕はもうその頃上京していたので実家にはいなかったのですが、祖母は認知症がひどくなっちゃって、深夜徘徊もするしおしっこも漏らしてしまう、ということを伯母たちから伝え聞いていました。

「あんたは東京で楽しそうに暮らして。いますぐ帰ってきて介護しなさいよ」とも言われたんですけど、仕事もあるし、それを言うならまず、子どもであるあなたたち(伯母たち)がやるべきじゃないかって。けれどお母さんに関しては、「ごめん」ってずっと思ってました。

菊池:日本では、「介護は家族が担うべき」という考え方がすごく根強い気がしていて。それは本当におかしいなと思っているんです。

五十嵐:僕もまったくそうだと思います。昔に比べたら減ってはいるのかもしれないけど、子どもが介護をしないと言うと「親を見捨てるのか」「親不孝者」と言ってくるような、同調圧力をかけてくる人ってまだまだ多いんじゃないかなと思うんです。

菊池:これは雨宮処凛さんの『14歳からわかる生命倫理』(河出書房新社)という本で読んだんですが、全身が動かないほど重度の障害を持っていながらも事業をいくつも起こされている方がいて、その人の考えの根底には「自分が働くことで、介護という需要を生み出している」という思いがあるんですって。
障害者や病気になった人はなにもできない人じゃなくて、雇用を生み出している人だと。その人をケアする人に対してお給料が生まれて経済を回しているんだから、決して“弱者”ではないし、社会を構成するひとりの人間として生活しているんだと……。

けれど一方で、その介護を家族がやるとなるとおそらく無償じゃないですか。本来は雇用が生まれる機会なのにそれをわざわざ無償でしなくてもいい、外注しましょうっていうことが書かれていて。

五十嵐:ああ、たしかに。

菊池:だから「関係ない人に任せるなんて申し訳ない」とか「子どもの自分が介護しなきゃ」と背負い込んでしまうんじゃなくて、「経済回すぞ」くらいの気持ちで介護のプロの方にお任せしちゃうほうが、全員のためにいいんじゃないかって私は思います。介護未経験者の人よりも、当然プロのほうが上手ですし。

──親との関係が良好ではない場合は特に、フラットな気持ちで接することができる人のほうが、ケアしやすい気もします。

菊池:うん。最初は私も介護中、父に触るのにとても抵抗があったんです。あるとき、倒れた父が回復したことがあったんですが、看護師さんが寄ってきて、父の手を持って「わあよかった、よかった」と言ったときに「すごいな……」って思ったくらい、私は父の体に触れられなかったんですよ。

父が認知症になってしまってからは、逆に触れられるようになって、看護師さんと同じように介護できるようになったんです。けど、まるでモノのように父に触れるようになったことで欠落した感情は確実にあるとも感じるので、「子どもが親の介護をする義務はない」っていまなら思うんです。子どもは親の世話をするために生まれたわけじゃないし、親にとってもそのほうがラクかもしれないな、とも思います。

■「親が嫌いな人は、親の死に目に会わなくていいと思う」

親の介護をしたくないと思ったときに考えたいこと

五十嵐大さん

──五十嵐さんのご両親は、いまは遠方にお住まいとのことですが、もしも介護が必要になったら、どうするかって考えてらっしゃいますか。

五十嵐:僕は大人になってから、悪かった親子関係がすごく改善されたんですね。思春期の頃は周囲と違うことへのコンプレックスが強かったので、「自分が苦労しているのはぜんぶ耳が聴こえない親のせいだ」という歪んだ意識があって……。けれど、どんなに反抗的な態度をとっても一度も怒らず、僕を大切にしてくれた親にいまは感謝しているので、親の介護はしたいなって僕は思っているんです。そのときは両親を東京に呼ぼうと思って。だからいまは仕事しまくって、両親のためのマンションを買うお金をがんばって貯めてます。

菊池:すごいですね! マンションを買うということは、同居ではなく別居ですか?

五十嵐:そうですね、同居じゃないほうがいいのかなと。本当に寝たきりでなにもできないとなったら同居も考えるかもしれないですが、やっぱり仕事もあるから自分の時間もほしいし……と思うと、基本的にはプロにお願いして定期的に自分も顔を出す、というのがいいのかなと思っています。だから「東京に呼ぶまでは元気でいてね」という話をいまはしています。

──将来についての考えを、もうご両親にもお話ししてあるんですね。

五十嵐:話しました。母は「東京に来たい!」って喜んでましたね。東京でやりたいことがたくさんあるって言うんです。でも父はまだ地元で働いていて、「俺はずっと仕事したいんだよ」と言っているので、その生きがいを奪っちゃうのは違うかな、と思っています。急になにもすることがなくなると認知症になりやすいとも聞くし、それなら当分は定期的に親のところに帰って様子を見て、「危ないかも」と思ったときに話を進めるくらいでいいのかなと。

──将来的に介護をするつもりならば、そうやって事前に将来のことを話し合って、共通認識を持っておくのが大切かもしれませんね。一方で「介護をしない」と決めた場合には、どういう準備が必要なのでしょうか。

菊池:これは作家の菅野久美子さんの『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(角川新書)という本にあったのですが、親と極力関わりを持ちたくない人のために、親が倒れてからの葬式に至るまでのすべての連絡を、代わりに引き受けてくれる業者もいるんだそうです。

親がまだ元気なうちからその業者と契約すると、病院からの連絡もその業者を介してもらえるようになったり、葬式に行きたくない場合に行かないで済ますかどうかという判断も、こちらが伝えたとおりにしてくれると。そういったことをだいたい30万円くらいでやってくれるそうなんです。

五十嵐:親と直接関わりたくない人が一切関わらなくて済むと思うと、意外と安いですね。

菊池:私もそう思いました。私の場合、父が死ぬ前にかなりの額の借金を残してたんですよ。それでひっきりなしに取り立ての電話がかかってくるものだから、着信音を聞くのが怖くなって、電話をとれなくなっちゃったんです。そういう場合、電話が自分にかかってこないというだけでストレスがすごく軽減される。そういったサービスはまだ全国にはないかもしれないですが、徐々に増えてきていると聞きます。だから、親の面倒を見たくない人は、見ないで済ませられる方法もいくつかあるんです。

五十嵐:僕は正直、暴力的なふるまいで家族を散々苦しめた祖父に対しては「さっさとくたばれ、葬式も行かないから」って思ってました。けど、いざ倒れたという連絡がくるとびっくりしたし、病院でチューブまみれになった祖父を見たらすごく複雑な気持ちになったんですよね。最初は顔だけ見たら帰ろうと思ってたんですが、一応看取ったほうがいいのかなとか考えてしまって……その流れで葬式の喪主までやらされて。なんで好きでもない人の葬儀の喪主をやらなきゃいけないんだ、と思いましたが……。

菊池:自分も経験したからわかるんですが、人が死んでいく過程って、すごくダイナミックなんですよ。これまでに体験したことのないような気持ちを呼び起こしてくる。だからこそ、親が嫌いな人は親の死に目に会わないほうがいいと思う。あれを見たら、つい「なんかしなきゃ」って感じてしまうと思うんです。変な言い方ですが、とにかく吸引力がある。毒親育ちの人は、最後にあんな体験はしなくていいんじゃないでしょうか。逃げちゃえ逃げちゃえ、と私は思います。

■子どもが親に対して、義務感や罪悪感を持つ必要はない

──しかし、プロに介護をお願いしようとすればするほど、やっぱりお金がかかるという問題は出てきますよね。

菊池:病院には最初に一括でお金を払わなきゃいけないケースも多いんですが、医療費の自己負担額が一定額を上回ると、役所に申請することであとからちゃんとお金が戻ってくる「高額療養費制度」という制度があるんですよ。だから私の場合は、そこまでの金銭的な負担はかからなかったです。

自宅で介護する場合にも、病院の人が「まずはここに連絡してみてください」と公的サービスを紹介してくれると思います。たとえば「あなたのお父様の介護度であれば、訪問看護のサービスが週に2回使えますよ」とか教えてくれるわけです。介護用ベッドとかも全部レンタルで借りることができたので、うちの場合、買わなきゃいけないのは簡易用のトイレだけでしたね。

もちろん負担はゼロではなく、多少のお金はかかるんですが、私の場合は保険金がすぐにおりたので、それも助かりました。もちろん保険の種類や闘病期間にもよりますが、保険金でプラスになるという人も多いそうです。だから、介護サービスを毎日利用したいと思っても、破産するほどの金額にはならないはず……と思います。そのあたりは、日本の保険制度がしっかりしていてよかったところですよね。

──なるほど。介護に必要なのはすこしのお金と、公的補助についての情報、と言えそうですね。けれどもたとえば五十嵐さんの場合、ご両親の介護をされる際には、おふたりともろう者ということで、ちょっと特殊な部分が出てくるかもしれないと思います。そのあたりの不安はありますか。

五十嵐:まったくわからないですね、どうなるか……。仮に両親が歳を重ねて白内障や緑内障といった目の病気を患ってしまったら、盲ろう者に近い状態になるわけですよね。そうなったら介護がかなり大変なのではないか、という気持ちはすごくあります。

菊池:そうですよね……。取材で以前、ギャンブル依存症の方の家族会に行ったことがあるんですが、その会の参加者の方を見ていてすごくいいなと思ったのは、情報が集まってくることで。たとえば「借金取りから、こんなハガキが届いた」という人がいたら「どれどれ、このハガキはね……」と、どう対応すればよいかの解答を持っている人が必ずいるんです。情報の宝庫だと思いましたね。「闇金から連絡がきたらここに逃げて」といったことまで知っている方がいて、頼もしいなと感じました。ひとりでは解答を出すことが難しい問題に、集団で挑むことができる。

五十嵐:なるほど。それで言うと、僕も最近CODA(ろう者の親を持つ聴者)が集まる会に入ったんです。そこで相談すればいいのかと、いま気がつきました。……あ、そう思うとちょっとホッとしました。

菊池:介護はある意味、どのサービスを利用すればよいか、どんな公的補助が受けられるのか……といった情報戦です。だから、いずれやってくる親の介護に怯えすぎることはないと思うんですが、介護が始まる前にどんな選択肢があるのかということだけは、うっすらとでもいいので知っておくと安心かもしれません。そして、いざその局面になったらきちんと検索したり、周囲を頼ってみたりする。そうなる前に、いくつかの引き出しを用意しておくというのはいいかもしれないですね。

五十嵐:今回菊池さんとお話しして、選択肢が増えたなと思います。自分にできることをしつつ、プロにきちんとお金をお支払いしてサポートしていただくということもしたいなと。

やっぱり、介護で自分の時間が奪われてしまったり本当にやりたいことができなくなるのはつらいと思うんです。いまは親のことがとても好きな僕でもそう思うので、かつての僕や菊池さんのように親との関係性が悪い人だと、きっとなおさらそうじゃないですか。人に頼ることも全然悪いことではないですよね。

──五十嵐さんのように、かつて親との関係が悪かったことや親に辛く当たってしまったことをいま後悔している、という人もいらっしゃるかと思います。そういう人だと、「昔自分がしてしまったことを後悔しているから、罪滅ぼしをしたい」という気持ちで親の介護を過剰に背負い込んでしまうというケースもあるのかもしれないな、とふと思いました。

菊池:罪悪感を持ってしまうこと自体は仕方がないと思うんですが、「子どもは3歳までに親にすべての恩を返している」という言葉があるように、本来は子どもが親に対して義務感や罪悪感を持つ必要は一切ないと私は思うんです。

「子どもは親の面倒を見るべき」と叫ばれがちなのは、結局、そうしたほうが税金を使わずに社会が回るから、という都合でしかないんじゃないでしょうか。それに、思春期にある程度の反抗をすることは、全然不思議じゃない。それだけじゃ済まないくらい悪いことしちゃったんだよね、という気持ちを背負っている人もいるかもしれないけど、だからといって親への罪滅ぼしをしなくちゃ、と思いすぎる必要はないと感じます。

取材・Text/大泉りか

出演者プロフィール

・菊池真理子
マンガ家。1972年東京生まれ、埼玉在住。著書に、アルコール依存症の父親との生活を描いた『酔うと化け物になる父がつらい』(秋田書店)、毒親から生き延びた10人に取材をした『毒親サバイバル』(KADOKAWA)、コミックエッセイ『生きやすい』『生きやすい2』秋田書店)がある。

・五十嵐大
ライター/エッセイスト。社会的マイノリティに関する取材、執筆を中心に活動し、エッセイ『しくじり家族』にてデビュー。2021年冬には2冊目のエッセイ『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(仮)を刊行予定。

@igarashidai0729

11・12月特集「親の介護と自分の人生」ページはこちら

DRESS編集部

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