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「今年もケロッと桜は咲くんだろうね」

東京でひきこもるように生活をしていると四季の移り変わりに気づきにくい。それはそれで特に支障もなかったりするのだけれど、あるときふいに、(小さな)季節の変化に、勝手に救われたりする。生湯葉シホによる花と季節にまつわるお話です。

「今年もケロッと桜は咲くんだろうね」

高校のとき、なんど席替えをしても1列目のど真ん中の席になってしまう時期があった。1列目ど真ん中というのはつまり先生の目の前で、黒板がありえないほど近いくせに、教卓が邪魔をして逆に板書が見にくいという変な席だ。席替えのたびにやっと後ろの方に行ける、と期待するのだけど結局その位置になってしまうので、変なくじ運だなあと思い込んでいた。余談だけれど、私はそのころガリガリ君を食べるたびに当たりが出てしまうループにはまっていて、おかしなできごとを普段より飲み込みやすかった。

だから当時は席替えに関しても同様のなにかが起きていると信じきっていたのだけれど、あとから聞けばなんということはなく、授業中によく眠る私を見張るために担任が毎回その席にさせていたらしいのだった。

私はほんとうによく寝た。特に春がだめで、怒らない先生の授業が続く日は、3限目ごろから昼休みを超えて午後まで眠ってしまうこともあった。大人になったいまふり返ってみると、どうしてあんなにずっと眠かったのかわからない……というのはうそで、私はいまでも気温が高くなってくると眠くて眠くてたまらなくなる。


***


春、17歳だったころ、部活を終えて家に帰ってくると、玄関にいつも違った花が違う花器で飾られていた。レタスとキャベツの見分けもつかない、物をまったく知らない子どもだった私は「これなんの花?」と母に尋ねては、「どう見ても菊でしょう?」「どう見ても椿でしょう?」と律儀にばかにされた。百合のときだけは、玄関の扉を開けた瞬間に部屋じゅうがその香りになっているのですぐにわかり、キッチンまで歩いていって「さては百合だね 」と得意げに言った。

花を活けるのは母の一番の趣味だった。母は毎年クリスマスと春になると近所の花屋から業者みたいな量の花を仕入れてきて、クリスマスにはリースを、春にはブーケのようなものを作っては家に飾ったりひとに差し上げたりしていた。私はチャキチャキと花の手入れをする母を見るのがけっこう好きだったのだけど、居間のソファに座ってその様子を見ていると眠気がやってくるので、いつも途中で気絶するように寝てしまった。

実家にいるうちに花の活け方を習っておけばよかった、と後悔したのは20歳を過ぎてからだ。家を出ていちばん困ったのは、家事の大変さや煩わしさ以上に、季節がすっかりわからなくなってしまったことだった。東京近郊でひきこもるように暮らしていると、四季の小さな移り変わりに気づくきっかけがほとんどなく、なんとなく外から蝉の声がしなくなったな、どこ行ったのかな、と思っていたらあっけなく夏が終わっていたりする。 夜中に原稿を書いて昼間に眠る生活を半年ほど続けていたら体から四季という感覚が完全に抜け落ちて、むかし、友達が「東京には広告しか季節を知らせてくれるものがないね」と言ったのはほんとのことだったんだ、と思った。

知人とお酒を飲んだ日の帰り道、深夜まで開いている新宿の花屋さんで白いチューリップを見かけ、あ、春、と思わず口に出したことがある。春、と感じたことが無性にうれしく誰かと再会したような気持ちになり、そのチューリップが自分の家のために自分で買った最初の花になった。


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見よう見まねで部屋に花を飾るようになってずいぶん経つ。さいきんは、朝方に仕事を終えるとカーテンの隙間から陽が差しはじめるので、花の水を換えて日光を当てる。人間である私はそれから眠るのだけど、花は私の代わりに健康的な生活をしているので、夕方ごろにのそのそ起きてくると花弁がすこし開いていたりする。さすが、ありがとう、と思ってカーテンを閉める。

花のいいところはたくさんあるけれど、格好いいしありがたいなと思うのは、人間の情緒に一切関与しないところだ。ジュール・シュペルヴィエル の「場所を与える」という詩がずっと好きなのだけど、そのなかに“人間がいなくなれば、さぼてんはまた植物に戻るだろう”というフレーズがある。詩はこう続く。



“君を逃れようとする根方に、何も見てはいけない。眼も閉じたまえ。草を君の夢の外に生えさせたまえ。それから君はどうなったか見に戻ればいい。”
--『シュペルヴィエル詩集』(中村真一郎訳)より

あたたかい春の日、家じゅうの窓を開けてベッドの上でぼんやりとしていると、部屋全体がひとつの風の通り道だという気がする。そのなかでテーブルに置かれた花を見るとき、よくこの詩のことを思い出す。


***


東日本大震災の直後、同じバスに乗り合わせた南相馬市出身だというおじいさんに話しかけられて、終点で降りるまでのあいだ短い会話をしたことがある。同居している家族は幸い無事だったけれど従兄弟は亡くなってしまった、いまは親戚を頼って東京で避難生活を送っている、という境遇を言葉少なに語ったあと、彼は「でも今年もケロッと桜は咲くんだろうね」と言った。

バスを降りると募金の呼びかけをしているひとたちがそこかしこにいて、しばらくそれを聞いていたら急に涙が止まらなくなり 、生まれて初めて募金をした。その何週間かあと、おじいさんが言ったとおり桜はケロッと咲いて散って、私はそのことにずいぶん救われた 。東京ではたぶん、もうすぐまた桜の季節がくるし、すべての草や花は私たちの夢の外でひとりでに生え続けるんだろう。

Photo/Nanami Miyamoto(@miyamo1073

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生湯葉 シホ

1992年生まれ、ライター。室内が好き。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』(PAPER PAPER)。

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