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すべての道を勘で歩いている

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不文律、暗黙の了解というものが世の中にはある(らしい)。口に出さずとも、文字にしなくとも、人々の間に横たわっている「こういうものだよね」というルールに時々、いやけっこうな頻度でついていけなくなることありませんか?

すべての道を勘で歩いている

コンビニを出て駅に向かおうと歩き出したところで、友人に肩をつかまれた。「待って? 駅だよね?」と聞かれてはっとする。私は左折しようとしていたけれど、たぶん逆だったのだ。ごめん間違えた、と動揺を隠しながら右に曲がろうとすると、「反対の入り口から入ってきたの覚えてる?」と彼女が言う。は、反対の入り口?

友人いわく、彼女と私はコンビニの北側の入り口(駅に近い)から店内に入ったのだが、私が当然のように南側のドアから店を出たから混乱したのだそうだ。これはつい最近の出来事なのだけれど、妙に強烈なデジャヴを感じたから同じような会話を人生でたぶん200回はしてきている。

■「方向」というものがまるでわからない

私には方向というものがまるでわからなくて、家のごくごく近所を除くすべての道を勘で歩いている。入ってきたのと違うドアからコンビニを出たとき、「さっきと別の道だなって思わなかった……?」と友人に聞かれたのだけれど、思わなかった。北側の入り口の前にミニチュアシュナウザーが繋がれていたのは覚えていたのだけれど、店を出たときには見当たらなかったから、もう帰ったんだなと思っただけだった(正しい入り口に戻ったらちゃんといた)。

本屋、居酒屋、人の家など、あらゆる部屋にいちどログインすると、外の情報が頭のなかから自動的に消去され、目に見えている景色以外のことが一切わからなくなってしまう。どのドアから入ってきたかもわからないし、窓から見えている景色がどの通りなのかもわからないし、駅やランドマークがどの方向にあるかなんてもう当然わからない。

横軸(左右)の移動だけで混乱するのだから、そこに縦軸(上下)がかけ合わさるとなおパニックになる。いちど、雑居ビルの4階にあるバーでお酒を飲んでいて「ここ、地下なのに電波すごい入りますよね」と言って場を凍らせたこともある。さっきエレベーター乗って上がってきたじゃんと言われても、エレベーターの4のボタンを押した瞬間に脳のなかの空間知覚を司る部署が仕事を終えてしまっているから、そこから上下とか左右とか北とか南とか言われても一切わからない。地下っぽい店なんだから地下であってくれよ、といらだちすら覚える。

■「暗黙の法則」を見抜けない

そんなわけで自分のことを極度の方向音痴だと長年思っていたのだけれど、ちょっと違うのではないか、とすこし前に人に指摘された。きっかけは、左側通行というシステムを私がわりと最近知ったと打ち明けたことだった。

私は車の免許を持っていないので、移動は徒歩が基本になる。歩行者用道路を歩いていると、自分から見て右側の道路にいるときにだけ車とよくすれ違うな、左の道路にいるときはそうでもないのに……とずっと思っていた。その話を母親にしたのがたしか20歳を超えてからだったのだけれど、母親は私の話を聞くと比喩ではなく顔面を蒼白にして「あんた車は左側通行ってずっと知らないで生きてきたの?」と言った。

エッ、知らなかった、習わなかったし……と言うと「人前で一生その話はしないで生きていきなさい」と忠告された(エッセイに書いちゃったよ、お母さんごめんなさい) 。ググってみて日本にはどうやらそういう交通ルールがあるということを理解したのだけれど、どうしてみんな……いつの間にそんなルール知ったの? なんで言ってくれなかったの? という気持ちになってちょっと泣いてしまった。

その話を飲み友だちにしたとき、「生湯葉さんは『法則性』を見抜く力が弱いんだと思う」と言われた。

ああそうかもしれない、と腑に落ちる。方向にしても交通ルールにしても人の行動にしても、私はたしかに「場に暗黙のうちに存在している法則」を見抜く力が極端にないという自覚があった。昔から法事における焼香が苦手だったし(前の人のやり方を見ていないのでなにをすればいいかわからなくなってしまう)、高校の卒業式の賞状授与も、ひとりだけ変なルートを通って壇上に行こうとしてしまい恥をかいた。

個人個人のふるまいはわりと見ているほうだと思うのだけれど、焼香のやり方とか賞状の受け取り方とか、複数の人間によって反復されている動きにどうしても気づけない。飛んでいる蝿の軌道とか人の手とかをぼんやり見ているうちに自分の番がきてしまい、いつも「アッ」と思う。

■すべての行き先が未知

できることなら自分のそういう性質を早くなんとかしたい、と思っていたのだけれど、ある友人は私を羨ましいと言った。彼女は空間認識能力がとても高い人で、知らない街を歩いていても駅やランドマークの方向がおおよそわかるから、めったに道に迷うことがない。

道とか街の法則が全然わからないと散歩が楽しそうと彼女に言われて、たしかに、と感じた。ぶらぶらと散歩をしているとき、私はどの道がどこに通じているかを一切予測できないし、人の流れも見ていないので、自然とすべての行き先が未知のものになる。駅前をぶらついていたはずなのに、気がついたら謎の森のなかを歩いている、みたいなこともわりとある。

ここまでくると勘で歩いているというか勘で生きているレベルなので、いままで無事でいられただけでも上々だったな、と神様に感謝したい。けれど、すべてが未知なので歩いているだけで楽しいし、世界ってすごく広いなと毎日思う。

友人は、「妖精とかに会えるのはそういう人だけなのかも」と言った。それは関係なさそうと一瞬思ったけど、でもありがとう、と伝えた。私はけっこうポジティブなので、これからも彼女のその言葉を思い返して生きていこうと思う。

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生湯葉 シホ

1992年生まれ、ライター。室内が好き。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』(PAPER PAPER)。

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