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「マジで楽しく生きる」渋谷のスーパーギャル・寿蘭になりたかった

あのころ抱いていたギャルへの憧れは今もこれからも消えそうにない。“真のギャル”とは何かを教えてくれた『GALS!』の寿蘭ちゃんの言葉とともに、エッセイスト・生湯葉シホが理想としていたギャルへの想いを綴ります。

「マジで楽しく生きる」渋谷のスーパーギャル・寿蘭になりたかった

この話をしても誰も信じてくれないのだけど、小学校の体育の授業で指名されて先生の前でパラパラを踊らされたことがある。曲はミッキーマウス・マーチのユーロビートバージョン で、たしか2002年の夏だった。

私は10歳で、漫画雑誌「なかよし」を卒業して「りぼん」を読み始めたばかりだった。昔から現実と虚構の区別がつけられない子どもで、新しい漫画に夢中になるたびに(この主人公、私だ……)と本気で思い込んでしまう悪癖があり、当時「りぼん」で連載を終えたばかりだった『GALS!』を読んだときにもその癖は例外なく発動した。

私は『GALS!』の主人公、スーパーギャルの寿蘭ちゃんを自分の将来の姿だと思い込んで疑わなかった。だから、クラスメイトとしていた交換日記のなかで、後ろの席だった直子ちゃんが「あしたの体育パラパラなんだって!!! やば! 踊れるかなあ?」と不安げなメッセージを書いていても、(フーン、スーパーギャルのあたしにパラパラで勝てる子がいるのかな……?)と闘いの前の興奮のようなものを静かに感じただけだった。

いちども踊ったことのないパラパラを前に根拠のない自信が持てたのは、アニメ版『GALS!』のオープニングでテーマソング「ア☆イ☆ツ」に合わせてパラパラを踊る蘭ちゃんの映像を何度も見てイメトレしていたからに他ならない。

そのあとのできごとを簡潔に書くと、私は翌日の体育の授業で自信満々な顔をしていたことを理由に「お手本として踊ってほしい」と教師に指名され、瀕死の反復横跳びのような謎ダンスを40人の前で披露し、爆笑の的となった。それから2週間ほど、直子ちゃんには無視された。

■「あたしGALS! 読んでない女とは口きかないって決めてんだ……」

そんな苦い経験を経てもなお、自分の中のギャルへの憧れが消えることはなかった。「ギャル」というと、人によってヤマンバギャルを思い浮かべたり、浜崎あゆみを思い浮かべたり、age嬢を思い浮かべたりすると思うのだけど、ここでいうギャルとはイコール寿蘭ちゃんとさせてほしい。

「あたしGALS! 読んでない女とは口きかないって決めてんだ……」とはいま私のネイルを担当してくれている高校時代の友人(現ネイリスト)の言葉だが、もしかすると『GALS!』を読んだことのない奇特な方もいるかもしれないので、簡単に説明する。『GALS!』は寿蘭(ことぶきらん)という渋谷最強の高校生ギャルを主人公とする藤井みほな先生による漫画で、熱血漢な蘭と個性豊かな友人・美由と綾の友情を描いた物語だ。

主人公である蘭ちゃんは、とにかく正義感が強く情に厚い。たとえば第1話では、優等生であることの重圧に耐えきれず隠れて援助交際をしていた綾に対し、こんな台詞を言い放っている。

ⓒ藤井みほな/集英社

ⓒ藤井みほな/集英社

“おまえが痛みを感じないんなら心も死んだと同然だからな
自分で肉を切り取って売ってみろ
それができないならエラソーな口たたくな!!
『GALS!』(藤井みほな,集英社)第1巻 45Pより

実はこのシーンの前に蘭ちゃんは綾の頬を殴っており、いま考えるとちょっとやりすぎな感じもするのだけれど、 この熱血ぶりはそれまで『カードキャプターさくら』のやさしい作品世界の中で育ってきた私にとって衝撃以外の何物でもなかった(それはそれとしてカードキャプターさくらへの愛も変わらなかったが)。

ときに渋谷の街を駆け抜けてひったくり犯を捕まえ、ときに池袋のギャル・マミリンと東京最強ギャルの名をかけてタイマンを張り、忠犬ハチ公の現主人は自分だと言い張って聞かない蘭ちゃんのカリスマ性に惚れ込んでしまった私は、小学4年生から6年生までの丸2年間、スーパーギャルになろうとあらぬ方向への努力を続けた(具体的には担任の先生を「クボセン」と呼んだり、所属していた赤羽の小学校の文芸部を「渋谷部」と改称しようとしたり、飼っている亀の水槽にハイビスカス柄の布を掛けたりしていた)。

同級生たちがこぞってミニモニ。に入りたがっていたころの話だ。繰り返すけれど、私は本気だった。

■「あたし超酔うとめちゃくちゃ自撮りしてメイク落とさないで寝ちゃうんすよ」

どうやら自分は寿蘭ちゃんではなく陰気なオタクであり、どう頑張っても蘭ちゃんのようなスーパーギャルには近づけないのだということが少しずつわかり始めてきたころ、中学の同級生に誘われて渋谷にプリクラを撮りにいったことがある。

それまでプリクラといえば地元・板橋のサティ(現イオン)か、背伸びして池袋でしか撮ったことのなかった私にとって、“渋谷でプリクラを撮る”という行為はギャルの象徴のようで恐ろしく緊張した。109の中のWEGOを覗き、同級生とお揃いのミサンガかなにかを買い、足を震わせながらプリクラ機専用フロアまで歩いた。

機種は雪月花3だった。「ぅちら一生ぉともらちダカンネ」と慣れた様子で落書きをこなしていく友人を横目に、当時、ギャル文字どころか小文字も使いこなせずノートに「Love from rainy day」という名の自作の恋愛小説 を書いてばかりいた私は、プリクラのフレームの種類を選び続けているフリをすることしかできなかった。

このときたしかに覚えた“自分は非ギャル側の人間である”という劣等感 は、その後の人生において何度も形を変えて私の前に出現することになる。

エミネムを聴いていた年上の友人に生まれて初めてクラブに誘われたとき。社会人3年目の春、新卒の女の子に「あたし馬鹿なんで超酔うとめちゃくちゃ自撮りしてメイク落とさないで寝ちゃうんすよ」と言われたとき。

私の思うギャルにどうやってもなれなかった私の前で、私の思うギャルを軽やかに体現している女の子たちはいつも楽しそうだった。何度も言うが、私がここで言及しているギャルとはすなわち寿蘭なので、蘭ちゃんを彷彿とさせるようなふるまいへの一方的な憧れだ。彼女たちのカラッとした言動とスキニーデニムやレオパード柄のミニスカートに憧れながら、私は「ちくしょう……ちくしょう……」といつまでも心の中でつぶやいていた。

■真のギャルっつーもの「本気(マジ)で楽しく生きる」

もっと大人になり、自分がかつて「あのころのギャル」に憧れていたということさえも忘れかけていた最近、藤井みほな先生がTwitterを始めたことを知った。

タイムラインを追ううちに、あのころの蘭ちゃんのスクエアネイルやメッシュの入った金髪や厚底ブーツのこと、そしてそれら全てに強く憧れながらもひとつも真似をする度胸とセンスがなかった自分のことを思い出して、なんとも甘酸っぱい気持ちになってしまった。

当時小学生だった私にはそこまで実感がなかったのだけれど、90年代後半~ゼロ年代の「ギャル」に対する社会のイメージは、決してよいものではなかったという。貞操観念がなく、金に困ればオヤジ狩りをし、人の迷惑も顧みずどこでも騒ぎまくる──というような。

いわゆるゼロ年代のギャル服にはキャミソールやミニスカートなど肌の露出度の高いものも多かったが、そういったファッションをしていることと街の風紀を乱すことが、いま以上にイコールで捉えられがちな時代だったのだと想像する(実際に蘭ちゃんは「ギャルってすぐに体売るんだろ?」と作中で男性に聞かれるたび、「なめんじゃねえ! あたしはバージンだ!」とブチ切れている)。

久しぶりに『GALS!』を読み返していたら、10代のころ、背中の空いたキャミソールだとか虎柄のスカートだとかを身につけようとするたびに自分がどこかで感じていた後ろめたさのようなものが、スッと消えていく感覚があった。

いまの私はただ着たいからという理由でギャル服も平気で着られるようになったのだけれど、それは間違いなく、“ギャル”という存在への偏見に満ちた言葉に「なめんじゃねえ!」と啖呵を切り続けてくれた蘭ちゃんが自分の心の中にいるからだ。

最後に、蘭ちゃんの台詞の中でいちばん好きな言葉を引用させてほしい。

ⓒ藤井みほな/集英社

ⓒ藤井みほな/集英社

“真のギャルっつーもの
「本気(マジ)で楽しく生きる」!
これ鉄則!!
『GALS!』(藤井みほな,集英社)第8巻 20Pより

ひたすらオシャレ!
ひたすらアソビ!
ひたすらスマイル!”
『GALS!』(藤井みほな,集英社)第8巻 20Pより

ひたすらオシャレ、ひたすらアソビ、ひたすらスマイル。テン年代の語彙で言い換えればLove,Dream&Happinessだろうか。最高だ。

私はたぶん、あのころのギャルにこれからもずっと憧れ続けてしまう。だから蘭ちゃんの言う“真のギャル”を目指して、これからもできるだけ楽しく、マジで生きたい。

『偏屈女のやっかいな日々』の連載一覧はこちらから

生湯葉 シホ

1992年生まれ、ライター。室内が好き。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』(PAPER PAPER)。

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