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家出する猫、エサ食う女

コミックエッセイ『ただいまみいちゃん』では、ひとりの女性と1匹の猫のささやかな日常をお楽しみいただけます。 第5話となる今回では、ある日みいちゃんが家出をしてしまった話を描きます。

家出する猫、エサ食う女

ただいまみいちゃん
ただいまみいちゃん

頭が真っ白になった後、沈殿するように闇がだんだんと視界を埋めた。
目が回って、その場から一歩も動けなくなる。目の前が真っ暗になってはじめて、当たり前だった存在の光を強さを知る。

みいちゃんを間違って逃がしてしまったと同居人から連絡を受けたのは飲みの席だった。電話を受けた私は「そうなんだ」と平然を装って、身体の内側で荒れ狂う波をグッと飲み込んでいた。同居人を責める気持ち、もしも私がいたならと自分を責める気持ち、仕方ないと心を落ち着けようとする気持ちが順繰りにやってきて、最後はみいちゃんの行方について考える。

今どこで何をしているんだろう。寒かったり心細かったりお腹が空いていたりしないだろうか。もしかして事故に遭ってはいないだろうかと最悪のケースについても考える。

そんなことになるくらいなら、誰かに拾ってもらったほうがマシかもしれない。そもそも、私だってみいちゃんを拾ったのだし。はじめて会ったときから愛嬌があったから、誰かに見つかったらきっとみんな家に迎え入れたくなるだろうな。大切に育ててもらえるなら、それはそれでいいかなというところまで考えたら、川が氾濫を起こしたように目から涙が止まらなくなっていた。

「ごめんなさい、猫が逃げて、帰ります」

絞り出すようにそう言って、私は家路を急いだ。

家に帰ると、同居人が申し訳なさそうに頭を垂れていて、当たりどころを見つけたとばかりに怒りがふつふつと湧いてきた。どうして逃がしたの、私が大事にしているの知っていたのに、どうして窓を開けっぱなしにしたの、みいちゃんが帰ってこなかったら同居解消だ、今のうちに荷物をまとめておいて、などとまくしたてて、うわんうわん泣いた。

責めてもどうしようもないということが身体でもわかると、私はみいちゃんの好きだったキャットフードを引っ張り出してきて、食べた。同居人はびっくりして目を丸くしたあとに一段と悲しそうな顔をした。私も自分でもどうしてそうしたのか、そのときはわからなかったけれど、きっとみいちゃんの気持ちを味わいたかったのかもしれない。そのくらい我を忘れて、その日は一晩中泣いた。

腫れたまぶたの裏側でもみいちゃんの夢を見た。寝て起きたら、何ごともなかったかのようにみいちゃんは布団にいた。あたたかくて、やわらかいお腹をしていて、毛はふわふわで。ほんのり香る獣独特のにおいが懐かしくて、わたしはみいちゃんに顔をうずめた。そういう夢だった。

■猫がいる日常

翌日も鬱々としていた私を見て、同居人はPCとアプリを駆使して監視カメラを設置してくれた。私もビラをつくり、近所の家のインターフォンを押して「見つけたら教えてください」と頭を下げて回る。私の住んでいる地域はお金持ちの犬飼い猫飼いおばさんたち(わたしは親しみを込めて「世田谷金持ちワンニャンババア」と呼んでいる)がたくさんいるので、みんな自分事のようにみいちゃんがいなくなったことを悲しみ、みいちゃんをおびき寄せるために家の前にエサを置いてくれた。みいちゃん包囲網の完成だ。まだあまり遠くに行っていないことを祈った。

やるべきことをやって後は待つだけ、というときになると、また憂鬱でいっぱいになる。私はベッドに寝たきりになって、時間をただただ浪費していた。

「ののかちゃん、みいちゃんが戻ってきたよ」

夢の中で同居人の声を聞いた。また夢かもしれないと思って「夢?」と聞いたけれど、夢ではないみたいだった。

「監視しておくからエサを持って迎えに行って」と同居人は言う。私は夢と現実の間を揺蕩いながら、庭のほうに静かに、しかし小さくかけていった。

「みいちゃん」

小さい声で呼びかけると、ニャアと聞き馴染みのある声がする。みいちゃんだった。でも、みいちゃんは身体を小さくこわばらせたまま、こちらをじいっと見ている。油断すると逃げてしまうかもしれないと思った。

みいちゃんの好きなキャットフードを乗せた手のひらを伸ばしながら、小さく歩みを進めていく。指がみいちゃんの鼻先に触れ、みいちゃんが手のひらのキャットフードを食べ始めたとき、私はえいっとみいちゃんを抱き寄せる。

みいちゃんは何事もなかったかのようにバリバリとエサをかみ砕いている。私はへなへなとその場に座り込む。みいちゃんはもっとエサをくれという感じで鳴く。私の日常に血が通い直した瞬間だった。

後日、近所の人にあいさつ回りをしたら、各家の軒先に置いたエサはすべてまっさらになくなっていたということだった。スタンプラリーのように各家のエサを食べて回るみいちゃんを想像したら、何だか笑えた。確かに心なしか前よりも太った気もする。飼い主に似て図太くて現金な猫だ。

光をなくしてはじめて、それが光だったと気づくことがある。私にとってみいちゃんは光というよりも、日常そのものだった。

Text/佐々木ののか(@sasakinonoka
Comic・Illust/ぱの(@panoramango

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