プリクラと自撮りが教えてくれた“かわいい”わたし【平成女子のインターネット回想録 #4】
プリクラにインカメラ、セルフィー。そこに写るわたしは、いつもよりちょっとだけかわいい。
自分の顔を「かわいい」と感じることがある。
目つきが悪いし、めちゃくちゃ顔が丸くて、鼻も低く、眉毛はほっとくとすぐゲジゲジになるし、女優さんやアイドルと比べたらなんにもいいところがない。
でもなぜか、プリクラと自撮りなら「今日のわたし、めっちゃかわいいじゃん」と思えるのだ。
■思いのほかかわいく撮れてしまったプリクラ
初めての「自撮り」的な経験は、小学4年生までさかのぼる。
休みの日、クラスのちょっとオシャレな女の子たちに誘われて、3駅くらい離れたイオンに行った。「プリクラ撮りに行こう」と誘われたのだ。
「プリクラ撮りに行ってくるわ」
と言ったら、
「え、わざわざそのために行くようなものなの? プリクラって」
と母親。
「撮るだけじゃなくて、上から字とか絵描いたりできるんだって」
と言ってその場はしのいだけど、まだ体験したことがないわたしは実際乗り気じゃなかった。1回400円もするらしいし。400円あればラメペンが3本くらい買えるのに。
でも、やってみたらめちゃくちゃ楽しかったのだ。
友だちと狭いフォトブースできゃーきゃー言いながらポーズを取って撮るのも、落書きをするのも楽しかった。でも
「え、こんなにかわいく撮れるんだ!」
という気持ちが一番強かった。
親族や友だちに「かわいいね」と言われたとしても、それはそういうもんだと子どもながらドライに切り捨てていた。結局自分がブサイクだと感じるなら意味がないと思っていた。
でもプリクラがかわいいってことは、(ある程度)本当にかわいいってことだ!
そう思い込めることがうれしかった。
プリクラを通じて自分の顔を再発見したわたしは、隠れプリクラジャンキーになった。
これは完全に黒歴史だが、小学生の間に1回だけひとりで撮りに行ったこともある。
広いプリクラブースにひとりだとポーズをどうしていいかわからなくて、まったくひどい写りだった。落書きでごまかしきれなかった。
■インカメラに映る自分の顔がちょっとかわいい
高校2年生くらいで親から譲り受けたMacBookには、テレビ電話用に自分の顔が映るインカメラがついていた。
これが思いのほかかわいく映ってしまう。初めてSkypeで自分の顔を映したとき、ちょっと変な気分になった。
「あれ、鏡で見るよりかわいいのでは……?」
インカメラで写真が撮れるアプリケーションも入っていたので、それで何枚か撮ってみるが、やっぱり思ったより良く撮れるのだ。プリクラ以来の発見だった。
そして「下宿でひとりでパシャパシャやってる自分、痛いな〜」と思いながら、結構な枚数を撮った。黒歴史だ。当時のデータはもう見たくない。
iPhoneを手に入れるともっと捗った。遠距離恋愛していた頃は、近況報告と言いつつ自撮りしていた。
「他の人が見てもかわいいと思うんだろうか?」と思ってTwitterのプライベートアカウントにも上げた。お世辞かもしれないが、好評でうれしかった。
■ハッシュタグ #selfie が教えてくれたこと
少なくともわたしにとって、自分のことをかわいいと思うのはちょっと後ろめたいことだ。
「わたしなんかが、こんないい服着たって痛いだけだろう」と思って、服を買うのを諦めたことも何度もある。試着室で店員さんや友だちに褒められても、自信が持てなかった。
だからプリクラや自撮りの自分をかわいいと感じていることにも、後ろめたさがある。
ただ、インスタグラムが広まってきた後、「selfie(セルフィー)」という言葉を知ってから、少しだけ考えが変わった。
英語で「自撮り」という意味の 「#selfie」がついている写真を検索すると、ものすごい量が出てくる。いろんな国籍の、いろんな肌の色の人が、思い思いの状況で撮った自撮りを上げている。
自撮りしてる人は、人から撮ってもらった写真よりちょっとアンニュイな素の表情をしていることが多い。わたしもその傾向があるので共感できる。
写真用の笑顔にピースをしていなくても、できるだけ素の顔の自分をかわいいと思いたい。
彼女たちもわたしと同じ気持ちで写真を撮っているのかもしれない。おおっぴらに「自分かわいい」と言えなくても、せめて自分を「かわいい」と思うことに後ろめたさは感じないようにしたい。
だからよく晴れた土曜日の朝、予定もないのにめいっぱいお化粧して自撮りする自分を悪く思わないことにしている。
プリクラで自分を再発見した小学生のときと、気持ちは何も変わらない。
うまくメイクできたら、また「かわいいね」と言ってあげたい。
平成の大部分の時間はインターネットに溶かしました