薄情な女でいい。人間関係にこだわりを持たない方が生きやすいから
薄情という言葉に良い意味はないかもしれません。でも、人間関係に対するこだわりを持たない方が、私個人的としては生きやすい。少なくとも自分だけは、自己の内面を受け入れて生きていけばいいと思うのです。
■薄情な女
友人や知人に対して、「構わないよ」「別にいいよ」「好きにしなよ」といった言葉をよく口にします。対人関係では、自他共に実害が及ぶものでなければ好きなようにしたらよい、というのが私の基本的な考えです。
前述のように「別に何でもいい」ので、パーソナルな領域に対するこだわりが薄く、人の悪口を言えるほど対象に関心を寄せることがなく、些細な悩みに寄り添いづらい節があります(もちろん、人の悩みは些細か深刻かといった深度でくくるべきものではないと理解しています)。
細かな要素一つひとつに共通項を見出し・共感を示し・欲しているであろう最適解を汲み取り提示する。一連の流れの順を追い、寄り添っていけばいいのですが、結果として、「あなたの好きにしたらいいんじゃない?」と答えてしまう。
皆で歩幅を合わせて共感や答えを確かめるよりも、自分である程度決めてしまって、手早く進んでいきたい。だからなのか「薄情な女」と言われることがあるけれど、別に構わないのです。
◼︎自分のことを一番知っているのは自分
自分のすべての言動や行動は、最終的に自らに帰結します。きっかけが他者からもたらされたものでも、諸条件を判断し、選択し、実行するのは自分だからこそ、自分なりのポリシーを持つ姿勢が必要かな、と薄情なりに考えています。
悩みの発端は、そのときに抱えている不安や自信のなさ、最適解を求める気持ちがベースになることも往々にしてあります。そんなときは他者の見解を知り、問題解決の糸口にしようとするのだと思います。
とはいえ、結局のところ人は自分の価値観の中でしか物事を推し量れないので、例えば他者が「私だったら」と前置きして語るような内容は、その人にとってのベスト・あるいはベターなのであって、自分に当てはまるとは限りません。
もちろん、他者のサンプルがヒントになる場合もあるでしょう。統計学的な観点で見れば役立ったり、自分の視野も広がります。しかし、すべての人が異なるバックボーンを持つ以上、相応しい解は人の数だけ存在するのだと思います。
他者の正解をトレースしてみても、同じ人生は生きられません。自分のことを一番よく理解できるのは他の誰でもなく自分だからこそ、だからこそ、他者が私に悩みや不安を打ち明けてくれたとしても「あなたの好きなようにしたらいい」以外の言葉を持たないのです。
■自己受容して、生きていく
薄情という言葉に良い意味はないですが、人間関係に対するこだわりを持たない方が私個人的には生きやすい。少なくとも自分だけは、自己の内面を受け入れて生きていけばいいと思っています。
自分を受け入れることで、初めて他者にも寛容になれる気がしていて、あまり寄り添うことはないのだけれど、個性を否定せず、受け入れることはできる。
いろいろと書き記しましたが、結論はこれだけ。自分の好きなように生きればいいのです。
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