1. DRESS [ドレス]トップ
  2. ライフスタイル
  3. 『カードキャプターさくら』で育ったから、誰をどう愛しても私の自由

『カードキャプターさくら』で育ったから、誰をどう愛しても私の自由

少女漫画には、生き方や考え方など人生そのものを左右するほどの影響力があります。あなたは、「私もいつかこうなりたい」「こんな恋愛をしてみたい」――そう感じさせるほどのパワーが込められた物語に出会ったことはありますか? コラムニスト・生湯葉シホさんにとってのそんな”物語”は『カードキャプターさくら』でした。

『カードキャプターさくら』で育ったから、誰をどう愛しても私の自由

子どもの頃から緊張に弱い。


人前に立ったり、話し慣れない人と喋ったりする機会があると、比喩でなく頭の中が真っ白になってしまう。


中学生のとき、通っていたバイオリン教室の発表会(区民会館のいちばん小さいホールを借りるごく小規模な)の前夜、あまりの緊張で眠れず、ヤフー知恵袋で「大切な日に緊張しないためにはどうすればいいですか?」という主旨のスレを立てて集まる回答を明け方まで追っていたことがある。

ぽつぽつと寄せられる「貴女のためにハッキリ申し上げますが、緊張などという状態は有り得ません!  緊張するのは練習が足りないからです(喝!!)」などというコメントにいちいちクソッ、クソッと悪態をつきつつ、布団のなかで震えながら朝を待った。


翌日の本番前、舞台袖で自分の出番がくるのを待っていたとき、ふと、ある言葉を思い出した。

それはもちろん知恵袋の回答でも、「もし間違えても伴奏のピアノがリードしてくれるからね」という先生のやさしい言葉でもなく、「絶対だいじょうぶだよ」という“無敵の呪文”だった。

なぜ、その言葉がそのタイミングで急に湧いてきたのかは思い出せない。けれど、それを頭のなかで繰り返して唱えた瞬間、たしかに“だいじょうぶ”だと救われたような気持ちになった。

汗でべとべとになったバイオリンの弓に松脂を塗り直し、舞台に出ていったのを覚えている。

■さくらが自分で自分にかけた無敵の呪文、「絶対だいじょうぶだよ」

「絶対だいじょうぶだよ」というのは、少女マンガ誌「なかよし」に1996年から2000年まで掲載されていたCLAMPによる漫画作品、『カードキャプターさくら』の主人公・木之本桜(さくら)の台詞だ。

“すべての封印が解かれるとき、この世に災いをもたらす”というクロウカードを集めるため、小学4年生のさくらが“カードキャプターさくら”としてカード探しに奮闘するというこの作品のなかで、主人公のさくらはいくつかの大きな試練に直面する。

それらの試練はどれも真の“カードキャプター”としての資格がさくらにあるかどうかを問うためのもので、彼女が特に重要な試練に立ち向かうときは必ず、誰の手も借りずにたったひとりで闘うことを余儀なくされる。そんな場面でさくらが決まって声に出す“無敵の呪文”が、この「絶対だいじょうぶだよ」だ。

この呪文は誰かがさくらに贈ったり教えたりした言葉ではなく、さくらがひとりで……、言ってしまえば勝手につくった、自分のためだけのお守りのような言葉だ。

「“前にもできたから”だいじょうぶ」とか、「“仲間がいるから”だいじょうぶ」ではなく、なんの理由も根拠もなく「絶対だいじょうぶ」と彼女は言い切る。さくらは「ほえ~」が口癖のおっとりとした少女だが、たったひとりで闘うシーンにおいては、その対象の前で驚くほど粘り強く芯の強い姿を見せる。

私が初めて『カードキャプターさくら』に出会ったのは小学1年生で、当時放映されていたアニメ版がきっかけだった。アニメをすこし見てすぐに原作にも夢中になり、自分のお小遣いで生まれて初めて全巻を揃えた漫画が『さくら』だったと記憶している。

それほどまでにこの作品に夢中になった理由は、さくらが朗らかさや優しさと同時に、たったひとりで世界に対峙する“覚悟”を持ち合わせている女の子で、その姿に憧れたからだ。

「絶対だいじょうぶだよ」という呪文は、発表会の一件以来、折にふれて私の頭をよぎるようになった。

大人になってからも──というか大人になってからはなおさら、演劇の脚本のオーディションや好きな作家への取材という、どうしようもなく緊張する局面を乗り切らなければいけないことがあると、その直前に手帳を開いて「絶対だいじょうぶ」と走り書きするのが癖になっている。

そして、それを書くと一瞬だけでも本当に「絶対だいじょうぶ」な気分になれる自分がいることを知ってからは、緊張も(ほんのすこしだけれど)和らぐようになった。

■“愛してはいけない人”がひとりもいない世界

私は自分のことを“カードキャプターさくらに育てられた”と自負しているのだけれど、「絶対だいじょうぶだよ」という言葉のほかにもうひとつ、『さくら』に大きな影響を受けたことがある。それは、愛のかたちをひとつに規定しない、ということだ。

『カードキャプターさくら』のなかで、主人公のさくらははじめ、高校生の兄の同級生・雪兎に思いを寄せる。さくらの同級生である男の子・小狼(シャオラン)も、同じく雪兎に思いを寄せている。

さくらの親友である知世はさくらのことが(おそらくただの友情とはちょっと違ったかたちで)好きだし、さくらの同級生である利佳は小学校の教師である寺田とこっそり交際をしている。ほかにも、さくらが“カードキャプター”として捕まえるカードの中にはさくらの兄・桃矢に淡い恋心を抱いている者がいる──など、キャラクター同士の関係はあまりにも複雑で多種多様だ。

同性も立場の違う相手も、ときには大きく年の離れた人や人間以外でさえも、誰かにとっては大切な恋愛対象になるということを、この作品は一切の偏見や皮肉を交えずさらりと描く。

それに、好きな人にまつわる背景やそれが誰であるかということも、皆、相手が話したがらない限り無理に聞き出そうとしないのが心地いい。

■小狼が小狼であるかぎり、さくらは小狼を選んだ

『カードキャプターさくら』のストーリーを担当するCLAMPの大川七瀬氏は、12巻にわたる作品(クロウカード編・さくらカード編)の完結後、ファン向けのメモリアルブックのなかで、“世間一般で言われるところの健全な家族構成とか、健全な恋愛とか言われるものと違うところで生きている人たちに対して、優しい主人公であってほしい”という思いから『さくら』が生まれたと語っている。

そして、(これは大きなネタバレになってしまうのだけれど)さくらが最終的には同世代の男の子である小狼と結ばれることについては、こんな風に語る。

「たとえ小狼が女の子でも、年齢がずっと離れていたとしても、小狼が小狼であるかぎり、さくらは小狼を選んだと思うんです」


『カードキャプターさくら』の世界の登場人物たちは皆深い愛情を持っていて、友人や家族に惜しみなくそれを与える一方、誰かがふられてしまう場面では、「いちばん好きな人は僕ではないよね」「私の欲しい『好き』じゃなかった」といった残酷な台詞が飛び出すこともある。それは、どのキャラクターにも共通して“たったひとりの、なによりも大切な相手”がいるからだ。

その“たったひとり”は多くの場合、結ばれるためには大きな障害を乗り越えなければいけないような相手だ。それでも登場人物たちは皆、ときには自分の持ちうるすべてを相手に与えることで、またあるときには相手に自分の全重心を預けることで、懸命に愛そうとする。

■ばらばらな“好き”を、ひとつの言葉で定義しようとする無意味さ

私は10代後半から数年のあいだ、“愛”を定義することに躍起になっていた。

いま思い返すと青臭くて笑ってしまうのだけれど、その頃は、自分にとって愛とはなにかと問われたときに明確な言葉を返せることが、好きな人や自分に対する誠実さなのだと思っていた。

たとえばケーキを等分したときにすこし大きいほうをあげたくなる気持ちだとか。

相手が死ぬときに自分がそばにいたいと思う気持ちだとか。

さまざまな愛の定義を模索してようやくわかったのは、どんな愛にも例外があるということだった。


ひとりの相手に対してこの人のすべてを独占したいと思うこともあれば、この人が幸せになるのなら自分にはなにもいらないと思うこともあって、そのどちらを向いても、これこそが愛だと言い切ることはできなかった。

成人してから『カードキャプターさくら』を読み返したとき、登場人物の愛のかたちの多様さにあらためて驚かされ、既存の言葉で人と人との関係を定義しようとすることの無意味さを思い知った。そこにあったのは「同性同士の共依存のような恋」や「教師と生徒の許されざる恋」などといったステレオタイプではなく、すべてばらばらで切実な「好き」という気持ちだけだった。

いまは、『カードキャプターさくら』の作品世界に貫かれている“たったひとりの、なによりも大切な相手”という考え方さえも、無数にある愛のバリエーションのひとつに過ぎないと私は考えている。

複数の人と同時に恋愛をする人だっているし、恋愛感情ではないかたちで人を愛する人だっている。

作中では描かれていないけれど、『さくら』の登場人物たちはそういったかたちの関係も、きっと否定しないはずだ。

「だいじょうぶ」となかなか思えないときや自分の“好き”がわからなくなったとき、決まって『カードキャプターさくら』のページをめくる。

『さくら』はもしかすると、読み手の背中を力強く押すような作品ではないかもしれない。けれどいつも、誰をどう愛しても私の自由なのだ、というしずかな勇気をくれる。

生湯葉 シホ

1992年生まれ、ライター。室内が好き。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』(PAPER PAPER)。

関連記事

Latest Article