年齢なんて関係ない。“周りに毒をまく”他人の言葉に惑わされないで
2015年、信頼していた人に裏切られ、自身の会社や「佐伯チズ」の登録商標、商品、お客様情報など、積み上げてきたものすべてを失った佐伯チズさん。一度どん底に落ちましたが再起し、「世界中の女性をキレイにしたい」という一心で活動しています。
ふっくらとハリのあるキレイな肌。遠目に見てもツヤツヤと輝いていることがわかる、手を伸ばしたくなる美肌。
佐伯チズさん(75歳)と初対面したとき、潤いあふれる肌に、思わず目を奪われました。頬に触れさせてもらうと、もっちりとした弾力のある肌に驚きます。
ベストセラー本を数多く書き、メディアや講演への出演も多く、今でも自身のエステサロンでお客様に施術をする「現役」のチズさんは、挑戦し続ける人生を送っています。
一方で、華やかに見える生き様の裏には、つらい出来事も多くありました。
「なにくそ精神でいろいろな試練を乗り越えてきた」と話すチズさんに、幸せなこともあるけれど、つらいことも多い、この世の中を生き抜くヒントを教えていただきました。
■両親不在の家で、居候として育った
――高校生の頃、チズさんの本に出会い、スキンケアの勉強をしました。かれこれ14〜15年前なので、いまこうしてご本人を目の前にしていることに感動します。
まぁ、そんな昔から読んでくださっていたなんて、嬉しい!
――最新刊『まけないで 女は立ち上がるたびキレイになる』(講談社)も拝読しました。直近2〜3年に起きた試練(※1)には驚きましたが、幼いころにもいくつものご苦労を経験されているんですね。
中国で生まれて、1歳8カ月のときに、父親の故郷である大分に帰ってきたんです。父親不在の家庭で、割烹料理店を営んでいた叔母(母の姉)の家から、学校に通っていました。
大家族のなかに居候をしているものだから、肩身の狭い思いをしましたね。叔母からは「金食い虫」、いとこたちからは「居候」など、ひどいことを言われたものです。
私と弟が気を遣うからと、祖父母が母屋と離れたところに小さな小部屋を作ってくれて、そこで生活をしていました。牛小屋の隣にあったから、夜中に牛が壁をドーンと突くんですよ(笑)。
■自分の力で、人生を切り開きたかった
佐伯チズさん
――おじいちゃん、おばあちゃんの優しさはありがたいですが、「早く家を出たい」と思う気持ちにつながりそうな環境ですね。
そうなの。おかげで5歳くらいのころから、自立心を持っていたと思います。大人になってからは、自分の足で立って、自分の力で創意工夫をしながら働いて、自分の人生をつかみとるんだと。
自活する目的で、若いときから、お花やお茶、電話交換、運転免許など、いろいろな免許や資格を取りました。電話交換の免許を取ったあとは、ミノルタカメラに入社して、総務人事課で、電話交換手の仕事をしていたんです。
――美容とは関係のないところから、キャリアがスタートしていたんですね。
ただ、そのころ、「私は美容の道を進むんだ」と腹をくくる出来事がありました。当時は、電話を持っている人が少ないから、電話がなかなかつながらない。そうすると、仕事のやり取りがスムーズに進まずに上司から電話交換手が怒られるんです。
――電話がつながらないのは、電話交換手のせいじゃないですよね……。
理不尽ですよね。へとへとになって家に帰ると、割烹屋で働く仲居さんたちがヘアメイクをして着物を着て、オバサンから素敵なおねえさんに大変身する瞬間を目にするんです。それを毎日見ていると、人をキレイにする仕事に就きたい、と思うようになって。
だから当時は大阪にいたんですけど、周りに「美容学校は東京にしかない」と嘘を吐いて(笑)、20歳の年に上京して、学校に通いました。卒業後は銀座松屋内の美容室校長・牛山喜久子先生の下で働きたくて……、牛山先生から選ばれるために他の志願者とは違うことをしましたね。
■自分の人生は、自分の軸をぶらさずに生きたい
――具体的にはどんなことをしたんですか?
パーマやカット、着付け、メイクなど、自分が好きなものを選んで実践する「卒業コンテスト」で、優秀な成績を収めた人が選ばれるんですが、私は誰も手を挙げないシャンプーを課題にしたんです。先生が求めているのは、“即戦力”だとわかっていたので。
ヘアメイクのプロセスのなかで、人をキレイにする原点となるのがクレンジングです。シャンプーした相手が「気持ちいい」と言っていて、動きも良く、キレイな仕上がりだと評価され、選んでもらえたんですね。
――あえて人と違うことをする、言葉を変えると、自分だからできることをする、というチズさんの姿勢は、ディオールで働かれていた時代に左遷されたときも変わらなかったですよね。
ディオールのときね。左遷のきっかけは、自分たちの都合で、お客様に高額なセット商品や新商品を発売する会社の方針に疑問を感じ、上に楯突いたことでした。もちろん利益を求めるのは大事だけど「そのやり方は違うんじゃないですか」と持論をぶつけたんですね。
トレーニング・マネージャーとして600人の部下を持っていた私が、部下がひとりもいないフレグランス・アンバサダー(「香りの大使」として全国の店舗を回り、フレグランスの売り上げ比率のUPを担う役職)という役職になったから、周りは「あの人、左遷されたね」と噂するわけです。
昨日までは肘掛け椅子に座っていて、アシスタントもいたのに、今日からは部屋の隅に置かれた肘掛けのない椅子で、ひとりで仕事をする……でも、人がどう思おうといいんです。ただ、自分の信念だけは曲げたくないんですね。
「私、隅っこ大好きなの。肘掛けがあったときは楽だったけど、これは座り方を気をつけなさい、ってことね。ありがとう」って言ってやったんです(笑)。やってやろうじゃないの、とも思い、闘志に満ちあふれていました。
――腐ることなく。
当時、ディオールでは香水の売上が全商品の10%前後と低迷していて、それを23%以上にするのがミッションとして課せられました。
全国の店舗を回り、現場に立って美容部員を指導する機会を得たんです。その上教育したビューテイストが現場で正しく実践・実働しているか? というチェックもできるということで、やる気まんまんになりました。目標以上の数字を達成できて、とてもやりがいがありましたね。
■年齢なんて関係ない。いつでも再出発できる
――憂き目にあってもくじけることなく、立ち上がるチズさんの原動力は、どこから来るのでしょうか。
人に言われたことに影響を受けず、「私は私」と思って生きているんです。そこが大きいかなと思います。女性たちに美容を教えるときも、「つるむな」「愚痴は言わない」「島をつくるな」とよく言いますね。
他人から、「あなた、白髪増えたわね」「シミができてるよ」「シワが増えたね」なんて言われて、人を見て、自分と比較して「私、もう歳だから」と言う人がいる。そう言われる前までは、そんな風に思っていなかったのに、ですよ。
――誰かから言葉を受けると、急に他人と比べてしまうんですね。
「そういう相手には、『余計なこと言わなくていいわ』って言いなさい」と伝えます。周りに毒をまく人の言葉で落ち込む必要はないんですよ。人は人。自分は自分。鏡で自分を見て、いつまでも自分を育ててほしいと思います。歳なんて関係ないんだから。
――年齢は関係ない、というのはチズさんが到るところでおっしゃっている「肌は何歳からでも甦る」に通じることですね。それは人生にも当てはまりそうです。
そう、人生はいつからだってやり直せます。昔、祖父と畑で麦の芽を踏みつける農作業をしたことがあるんですね。幼い私はどうして麦を踏むのか、麦が可哀想じゃないかと思って、なんで踏むの? と質問したんです。
祖父は「麦は踏まれて強くなるんだよ。こうやって踏むと、土の中にしっかり根っこを張って、土の中の栄養分をもらって、もっと元気に育つんだ」と教えてくれました。これって、まさに人生そのもので、生きていると大変なこともあります。
麦みたいに潰されることもあるでしょう。でも、たとえ踏まれても、根っこをしっかり張っていれば、必ずまた芽が出て、人生を立て直せると思うんです。
――チズさんの生き様が、それを証明していますね。
これからも祖父母の教えや、今まで読んできたたくさんの本、雑誌、新聞、そして社会に出てお会いしてきたたくさんの人たちからいただいた知恵を胸に、仕事に励み、ひとりでも多くの方をキレイにしていきたい。
私は大学に通いませんでしたが、今も社会という学び舎「社会大学」に在学中だと思っています。自分も学びつつ、学んだことを社会に返していきたいんです。自分が亡くなるときが卒業。それまで精進し続けます。
(編集後記)
幼いころ、透き通るように色が白く、ぱっちりとした大きな目を持つオードリー・ヘップバーンに憧れてから、できるだけ紫外線を浴びない生活をし、目が二重になるようお風呂場で目元をマッサージしていたというチズさん。
自身の「キレイになりたい」というまっすぐな思いから、「女性をキレイにする」ことを天職にしました。「人は顔がキレイになると、心もキレイになり、そうなるとまた顔もキレイになります。キレイになったと喜ぶ女性たちの顔を見ると、この上ない幸せを感じる」といいます。
どんなに打ちのめされても、自分の「やりたい」「進みたい」思いを捨てるのではなく、踏ん張って進み続けると、必ず道は拓ける。勇気を出して。そんなメッセージを人生の大先輩、長年遠くから見ていた女性からいただいた取材でした。
※1:チズさんが10年ほどマネジメントを任せていた女性に会社を乗っ取られかけ、個人資金2億円、登録商標や顧客情報など、積み上げてきたすべてを失った事件。女性はチズさんに仕事が入ってきても、「佐伯は高齢ですから、その仕事はお受けできません」と独断でオファーを断ったり、勝手に新商品開発をしたりしていた。詳細は『まけないで 女は立ち上がるたびキレイになる』(講談社)に綴られている。
取材・Text/池田園子
編集・Photo/小林航平
佐伯チズプロフィール
1943年生まれ。外資系化粧品会社を定年退職後、エステティックサロン「サロン ドール マ・ボーテ」を開業。その後、美容理念と佐伯式美容理論を提供する場、「佐伯式美肌塾チャモロジースクール」を開校。現在では、スクールを卒業した教え子が“佐伯チズ認定ビューティシャン”を称号し全国でサロンを展開している。
これまでに出版した著書は累計500万部超。『美肌革命』(講談社)は、英語、フランス語、ロシア語、ポーランド語、スペイン語、ベトナム語に15冊以上翻訳され、海外からも注目と集め、近年では中国での人気も高い。講演、執筆活動、雑誌の他、テレビやラジオ出演を行いながら、現在も自身でお肌のお悩み相談やお手入れを続けている。
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