※ 五流派ある能楽シテ方のひとつ、宝生流の公式団体。毎月の定期公演をはじめとする多様な公演を主催するほか、能楽の普及活動を行っている。
「今の時代に能楽は絶対に必要」観るのは“舞台”ではなく、“自分の人生”だ
7月28日にDRESS観劇部で能楽鑑賞イベントを開催します。今回はそれに先駆けて、主宰であるシテ方宝生流第二十世宗家(家元)の宝生和英さんにお話を伺いました。
「伝統芸能」そして「能楽」──それは人生を円熟させた一部の教養人のためだけにあるのでしょうか。
実は能楽の舞台へ足を運ぶ人の中には、上演にはまったく目を向けず、仕事のアイデアや自分の人生について考えたことを紙に書いている方もいるんです。
「忙しい日々を過ごす人ほど、自分に向き合う場として能楽を利用してほしい」
そう話すのは、現役の能楽師である宝生和英(ほうしょう・かずふさ)さん。
宝生流という流派の宗家に生まれ育ち、幼い頃から能楽に慣れ親しんできた彼に、現代における能楽の存在意義とはいったい何なのか、お話を伺いました。
宝生流の第二十世宗家である宝生和英さん。22歳のときに家元を継ぎ、現在32歳の若き能楽師(能役者)だ。
■エンターテインメントにはない能楽の魅力
──宝生さんは「和の会」という自演会を主宰していらっしゃいますね。その「和の会」が今年10年を迎えられるということですが、発足のきっかけは何だったのでしょうか。
10年前はちょうど私が家元となった初年度でした。そのきっかけとして、何か今までとは違うことをしたいという思いがあったんです。
これまで宝生会(※)で行っていた定期公演とはまた別に、能楽の公演自体がひとつのビジネスとして成立するのか。そして、これまで能楽を観ていない人たちにどのような社会的価値を提供できるのか、という挑戦でもありました。
昨年の『能楽カフェ』では参加者からの質問に応える場面も
──昨年の企画「能楽カフェ」では「能は心を鎮める作用がある」という新しい楽しみかたを紹介されていました。
「能楽カフェ」は、ブランディングのための試みでした。といいますのも、そもそも能楽が「伝統芸能」というジャンルにまとめられているということに対して懸念があったからです。
たとえば歌舞伎と能楽では、お客様に与えるものがまるで違う。それなのに、その違いがまるで理解されていないのではないか、と。
エンターテインメントは、驚きや楽しみなど、大きな感情の揺れ動きを与えるものです。それに対して、能楽は拍手の是非が問われるほど心を落ち着けて観るもので、主役はお客様一人ひとりです。どちらかと言えば、神社仏閣に行く感覚に近いものがあります。
私は情報過多な現代だからこそ、能楽のように心を鎮めて自分と向き合う場が必要だと考えています。
■今の時代に、能楽は絶対に必要
──宝生さんは、いとうせいこうさんとタッグを組んで舞台に映像を投影したり、スカイツリーでVJ(ビジュアルジョッキー)とコラボレーションした公演を行うなど、多方面で普及活動をされていますよね。最先端技術を積極的に取り入れている背景にはどのようなお考えがありますか。
まず大前提として、能楽が今の社会に絶対的に必要であるという確信があります。
先ほど「心を鎮める」という表現をしましたが、能楽を観ていると、自分と向き合う時間が自然と生まれます。
今の自分が本当に正しいのか、状況を捉え直す機会が作られ、自分の身に起きた良いこと・悪いことに対して一喜一憂する必要なんてないと教えてくれる場所にもなるんです。
こういった能楽の魅力を幅広い層に伝えていくために、あえてエンターテインメントに寄せたコンテンツを上演したり、能楽の持つ言葉を生かす取り組みにチャレンジしたりしています。
僕が一貫してやりたいのは、本来の能楽の良さ──アンビエントな、つまり、環境に溶け込める芸能であるという魅力を伝えていくことなんです。
東京スカイツリーで行われた「能×VJ LIVE」では最新のサウンド・ビジュアルエフェクトを利用し、能『小鍛冶』をダイジェストで上演
──アンビエントな芸能というのはどういうことでしょうか。
もともと能楽は屋外で上演されていたこともあって、自然の力による演出が得意な芸能でした。決まったセットや人間の手によって演出されるのではなく、太陽の光や、そこに生える草花の香りなどによって、人間の五感を奮い立たせていた。
ところが現代になって、能楽堂という建物の中に入ってしまった。これは能楽にとって、ひとつの悲劇なんです。どのようにしてそれを取り戻していくかということが、僕にとっての課題のひとつです。
──でも、宝生さんは最新の技術をどんどん能楽に取り入れていますよね。能楽の魅力が「自然の力による演出」なら、むしろ反対のことをしているような気がするのですが……。
そんなことはないんですよ。
技術が急速に進化している現代だからこそ、失ったものを科学技術で補っても良いと思っています。
実は、能楽は最先端技術ととても相性が良いんです。まわりの環境に溶け込むことが得意なので、それを彩るものがなんであれ、本来の味は失われない。技術に頼りきるのではなく、心を鎮めるための芸能である能楽を演出する要素のひとつとして溶け込ませていくことが大切だと考えています。
昔どういうやり方をしていたか、というだけではなく、これからどのように社会に提供していくか。それを考えるのが自分の仕事だと感じています。そのために、どういう手段があるか、その手段を使って能楽の魅力をどう表現していくか、ということを常々探求しています。
■最初はボーっとするだけでもいい。能楽を楽しむ3ステップ
──まだ能楽に触れたことのない人はどうやって能楽に親しんだらいいのでしょうか? ぜひおすすめの見方など教えてください。
あくまでも自分で実践してみて一番すんなりいった方法になりますが、3つのステップを提唱したいと思います。
ステップ1は、メモとペンを持って行ってください。前半、舞台の内容に連動させないで、自分の悩みをただメモ帳に書き出してみます。能楽堂は暗転しないのでぜひメモしていただきたいですね。後半ではその悩みに対して、解決法を考えてみてください。
続くステップ2では、メモ帳を取りはらって、ステップ1で行ったのと同じことを、今度はご自身の頭の中でやってみてください。
――あれ、舞台を観ていないですね(笑)
はい(笑)。最初はそれでもいいと思っています。
実際に公演に通ってくださっている方で、デザイナーの方がいます。その方は上演中ずっとラフを描いたりしているそうなんです。曰く、「能楽堂に来るとどんどんアイデアが浮かんでくる」そうで。それを言われたとき、僕はすごく嬉しかったんです。
ボーっと音を聞き、能を観ながら、浮かんでくるアイデアって、何にも代えがたかったりします。そういう贅沢な時間を過ごすのも良いのではないかと。
まずは能楽堂の空間を楽しむことが大事
──なるほど。まずは能楽堂での時間の過ごし方を知るわけですね。ステップ3では何をすればいいのでしょうか?
ステップ3が一番大事です。
まず予習をしてきてください。そして舞台が始まったら、その中に自分の人生を投影してみましょう。
物語に出てくる登場人物の立場になったとき、自分だったらどう考えて、どう行動するのか。正義が対立する話であれば、善と悪とは何なのか。そこまで考えたら、観ることがもっともっと楽しくなります。
可能であれば、謡(台詞)の意味まで理解してみると、詠まれた歌の情景まで想像を広げることができるし、自分の身近な世界や記憶とつなげていくこともできる。そうなると、もっといろいろな曲を観たくなっていくと思います。
──演目の予習は学びたくなってからで良いということでしょうか?
最初からステップ3に行かなくても良いんです。なぜならば、先ほどお話したように、能楽というもの自体が、エンターテインメントのセオリーから外れているからです。
「面白い」の基準がそもそも違うのです。興味深いということを「面白い」と感じられるかどうかが、問題になってきます。
たとえば、「面白いよ」と人から勧められて見にきたときに、エンターテインメントの基準で見てしまうと、きっと期待外れだと思われてしまうんです。ちょっとお茶しに来ただけだったのに、がっつりステーキが出てきて、なんだか胃もたれしちゃったな……というような(笑)。
まずはエンターテインメントの概念から外れて、能楽の楽しみ方とはステップをひとつずつ踏み固めていくようなものなのだと、知っていただけたらと思っています。
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■7/28開催「和の会」公演のテーマは「祝祭」
──「和の会」は今年でグランドフィナーレを迎えられるとか。今回の演目『七人猩々(しちにんしょうじょう)』の見どころについてぜひお聞かせください。
毎年「和の会」の公演では、テーマがシンプルで、一言で表せるような曲を上演していまして、今年の『七人猩々』でいえば「祝祭」です。
「猩々(しょうじょう)」という水の精霊が出てきて舞うという、メッセージ性はほとんどない曲です。
ただ、お祝いがだんだんと形式的になってきている現代で、「祝う」ことのひとつの在り方が提示されています。相手の幸せを自分の幸せのように感じて、祝うなかで自分も一緒に楽しんでしまう。まだコミュニティが小さかった古代のお祭りに近い感覚があると思いますね。
水の上を歩いていることを表す独特な足遣いもしますので、ぜひそちらも注目してみてください。
──シテ(主役・猩々)が7人いるそうですが……舞台上で狭くはないんですか?
狭いです(笑)。
シテ(主役)が7人もいると、演者にとってはやはり狭いらしい
──7人もいると舞を合わせるのも大変そうです。
これがまた能楽の独特なところなのですが、ショーと違って完璧にシンクロするということは求めていないんです。
能楽は身体のリズムに合わせてやっていますが、人の心拍数は人それぞれなので、自然とずれてくるところがあるわけです。ここを100%合わせてしまうとかえって面白くなくなってしまいます。輪唱のように、そのときの互いの空気で、あえて外すということをしたりします。
あえて外す人間臭さというか、「気持ちのいい違和感」を創りたいと思っていますので、お客様にもぜひ遊び心をもって見ていただければ。
──最後にDRESS読者に向けてメッセージをお願いします。
現代は生き方の多様性が認められている一方、逆に「こうあるべき」という意見も多すぎる時代だと思います。ひとつの枠組みにはめてしまうのはあまりにもったいないですし、なにか「理想像」があったとしても、それは自分でしか作れません。だからこそ一旦立ち止まって、自分を大切にする時間を持つことが必要なのだと思います。
これは自分自身の経験からなのですが、自分のペースをつかむというのは、30代になってからできることのように思います。そこで生まれたゆとりを、忘れたり上書きしたりするのに使うのではなく、あえて立ち止まって向き合う時間に使うということは、僕自身とても大事にしていることです。
さまざまな情報の中から自分に必要なものを取捨選択するために、能楽堂で過ごす時間、能楽を観る時間を利用していただけたら、こんなに嬉しいことはありません。
宝生和英氏が主宰する「和の会」グランドフィナーレ公演は7月28日(土)開催。
DRESS観劇部でも参加者を募集しています。
まだ能楽を観たことがないという方、ぜひ能楽デビューしてみませんか?
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