顔の歴史

生放送出演の前に8時間寝た顔になるパックがほしい42歳。顔の歴史を振り返ってみます。

顔の歴史

今、私はこの原稿を大阪のホテルで書いている。現在、1:06。5:10にはロビーに集合してテレビ局に行かなきゃならない。いつ寝ればいいんだ!!!

徹夜は肌が急速に加齢すると言うけど、それで言ったら私の肌年齢はゆうに600歳を超えていると思う。そらシワも増えますわな。

先日、取材で若い頃の写真を貸してくれというのでいろいろ見返してみたら、肌が全然違って感慨深かった。夫と出会った25歳の頃は、顔がパンパンに張っているのがすごいコンプレックスだったけれど、今見ると驚異の反重力。

結婚した28歳の頃は多少垢抜けてはいるけれどやたら気が強そうで「同じ職場になりたくないな」という感じ。幸せいっぱいで確かに女ぶりがましてはいるし、実際あの頃は全能感に溢れていた。でも今見るとただただ「自信満々できっつい女だなあ」という印象だ。

最初の子どもを産んだ30歳の頃が一番女らしく輝いていて、我ながら眩しい。すっぴんなのにしわ一つなくきめ細やかな肌は、まさに妊娠出産で女性ホルモンが全開になったせいか。くうー、戻りてえ!と一瞬思ったものの、あの体力と気力を使い果たす新生児育児を思い出すと、今の方がよほど楽だ。同じ寝られないのなら、泣き止まない赤ちゃんを抱っこして絶望しているより、こうしてなにがしか書いているほうがいい。

二人目を生んだ33歳の頃は、ひどい顔をしている。出産後の疲労がくっきり現れていて、左頬に大きなシミも浮いている。不安障害を発症してからの笑顔は、今見ると何かに怯えているような切羽詰まった顔で、痛々しい。そうだった、あの頃は本当にしんどかったなあ。

子ども達がまだ小さかった36歳頃の写真では、不安障害もおさまったせいかまた生気が戻ってきている。着物姿の写真は、ちょっと迫力がある。なんというか、中年期独特の押し出しの強さが漂い始めているのだ。おお、この辺りで20代の余韻は完全にゼロになった。青年期と中年期の境目は、たぶん35歳くらいだったのだろう。レーザーでシミは取れたものの、顔の肉はそげ、法令線も深くなっている。ただ、目が落ち窪んで眼光が弱まったせいか、視線が柔らかくなった気もする。

そして会社を辞めたあとの39歳くらいの写真は、何やら開放感に溢れている。一気にしわが増えたので寝不足が如実に肌に出たのは明らかだけど、表情は明るい。そうか、私はコラーゲンと引き換えに自由を手にしたのだな、としみじみする。じゃあまあ、しわは幸せの足跡と前向きに考えることにしようか……

で、現在42歳。こうしてほぼ徹夜した朝はまぶたが垂れ下がり、死神みたいな顔になる。でもってメイクさんが必死になんとかしてくれるのだけれど、限界はある。私は明日も、ひどい顔で朝から生放送に出なくちゃならない。あーあ。十分に寝て、最高の笑顔で映りたい。2時間だけでいいから、8時間寝た顔になるパックとか、ないかな。誰か作って下さい。

最後は愚痴みたいになったけど、顔との付き合いはこれからも続く。不思議なもので、そのとき鏡を見ていても気がつかないのに、あとになって写真や映像で見ると、その時々の人生の変化や心境の変化がしっかり表情や肌色に出ているものなのだ。

5年後、今日の放送を見返したら私はなんて言うのかな。「この翌年、ついにボトックスに踏み切った」とか言っているかもしれない。それなりに充実した顔だと言えたら、いいんだけど。

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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