『いとも優雅な意地悪の教本』で知る“品のいい意地悪”術
『いとも優雅な意地悪の教本』という書籍をご存知ですか。SNSで見知らぬ誰かから投げかけられる、心ないコメントや意地の悪い反応――SNSを使っている人の中には、そんな負の感情をぶつけられたことがある方もいるのでは? 意地悪するのもやり返すのも、どうせなら優雅にやってみる、というのはいかがでしょうか。
■『いとも優雅な意地悪の教本』を読んでみた
下世話なものが好きなので、こんなタイトルの本はつい手に取ってしまいます。『いとも優雅な意地悪の教本』。
皆さんあまり目にすることのない本でしょうし、タイトルも変わっていて面白いから、と思い、インスタで紹介したところ、あれよあれよという間に、私の投稿の中で最も閲覧数の多いものになりました。
■SNSの単純・下品な意地悪が嫌になったから
こんなに反響があったのは、もしかしたらタイトル以上に、「上質な意地悪が足りないから、日本人は下品になった」という帯に、思うところがあった人が多かったからかもしれません。
たしかによくよく考えてみると、最近の意地悪というのは、昔のそれと比べて、より直接的だったり、より悪質だったり、より攻撃的なものが多いような気がします。
それが顕著に現れているのがネットやSNSで、本人を直接目の前にしたら絶対に言わないようなこと、しないようなことも、平然と行われているのが実情。
SNSを使って不特定多数の人に発信をしている人の中には、少なからず嫌な思いをしたことがあって、だからこそ、この本に反応した人もいらっしゃるのかもしれませんね。
本の中では、負の感情の表現のしかたには、「暴力」と「意地悪」のふたつの側面がある、と書かれています。
「バカ」「アホ」のような2文字言葉は、衝撃度が大きく暴力的な表現であり、それを人に言うことは、そのまま憎悪をぶつけること、すなわち暴力。
反対に、言葉の数が多くてセンテンスが長くなると、何を言われているのかわからなくなって、衝撃が伝わる速度が遅くなり、ショックは緩和される、これが意地悪。
そう言われて、ふと思い出したのがTwitter。もしかしたら、Twitterが炎上しやすいのは、文字数制限があることで、暴力的な表現になりやすかったり、ならざるを得ないからなのでは?
また、受け取る側も、短い言葉であるがゆえに真意がくみ取れなくて、暴力的に受け取ってしまうことで、余計に誤解が生まれやすいのかもしれません。
■単純な負の言葉ではなく、別の表現を使ってみる
だから、そうそう簡単に「憎悪」的な負の感情とは縁を切れないけれど、でもそれを「いやだな」と思う人間としては、手軽でぶつけやすく、そのことによって負の感情を増幅しやすい単純な言葉を使うより、その感情を融和して発散しやすい別の表現を使うべきなのです。
(16ページより引用)
自分が意地悪を言う側でも、意地悪を言われてやり返してやろうと思う側でも、直接的な負の感情の表現に辟易している方は、遠まわしな表現方法を考えてみるのはいかがでしょう?
この別の表現というのは、語彙力を鍛えて、笑点の大喜利並みに面白い表現ができるようになったら、それこそ上質な意地悪になるのかもしれません。
ここまで読んで、この本を読みたくなった方がいるかもしれませんが、正直おすすめ致しかねます。
この本、冒頭で、著者が「私が書いたものの中でも最も内容のないものになる可能性は大」と書いているだけあって、かなり読む人を選ぶ内容なので。
全編を通して、まわりくどかったり、なかなか話が進まなかったり、あの手この手で意地悪が繰り広げられているので、本をを読むことに慣れている方でも、嫌になってくるかもしれません(笑)。
ただ、「意地悪」学ともいえる、意地悪について考えるきっかけとなるユニークな本。興味のある方は手にとってみてください。