書道家「海老原露巌」の今日の一文字「観」
今回の漢字は「観」。文化庁文化交流使にも選ばれた、墨アーティストで書道家の海老原露巌(えびはらろげん)先生に、漢字「一文字」を書いていただき、『DRESS』の読者の方にその漢字の意味やメッセージをいただくコーナー。
■「観」とイメージしてみよう
今回のテーマを「観」にした理由には、私の深い思いがあります。
皆さんは「観」と聞いて、何をイメージするでしょうか。
インスピレーションは「能舞台の鏡松」から
能舞台における「松」の意味を、皆さんはご存知ですか?
演舞者は松に向かって踊るのが本来で、舞台上の松は鏡に映った松を意味しています。「鏡松」つまり演舞者は鏡に映った松を背に、観客に自分を観せることになるのです。
ある日、20年ぶりに能を鑑賞していたときに、突然「観」と一瞬のインスピレーションを受けました。
それをベースに王義之の「蘭亭序」の「観」「仰ぎ観る」という一節がミート。私は鏡に「映る姿」と実際に「観る姿」とを対比させて、自分のしてきた書の世界観を確認することができたのです。
こうしてできた作品が「観」です。
映すとは
鏡に映ったもの。そのままの形を映す。つまり「書く」こと。日々の映し書く練習の蓄積。
観るとは
単に形を映すものではなく、そこにインスピレーションが加わること。つまり発想したものを「描く」こと。
この相対するふたつがうまく重なり合うときに作品が生まれます。
■「仰観宇宙之大府察品類之盛」
(仰ぎて宇宙の極まりなきを観て、府しては満類の数多きを察する)
上を向いては宇宙の広大さを観て、下を向いては万物の豊かさを察する。「観察」するということです。この文は王羲之の蘭亭序のあまりにも有名な一節です。
■王羲之「蘭亭序」
王羲之の書をことごとく収集していた唐の太宗皇帝は、「蘭亭序」だけは入手することができませんでした。
そこで智永の弟子の弁才が所有していると聞いた太宗皇帝は、臣下に命じて弁才に近づき、蘭亭序を盗み出させました。
こうして太宗皇帝は蘭亭序を手に入れましたが、あまりにも素晴らしい書に惚れ込み、遺言で自分の墓の昭陵に副葬させてしまい、王羲之の最高傑作の蘭亭序はこの世から姿を消すことになったのでした。
このようなエピソードがまた蘭亭序の価値をさらに高め、後世に言い伝えられています。
■「観」と書いてみよう
前回の王羲之の「集字聖教序」と同じです。
空間の造形美を考え、構成することが大事です。
臨書とは
お手本を見て書くこと。映すことを何回も重ね、練習を蓄積させていくことが大事。
追い求めては答えが逃げていき、くじけそうでもまた追い求め、何回も練習すること。そしてあるときに、ふとインスピレーションが下りてきて、今までの蓄積とひらめきがミートする瞬間がやってきます。
私が能舞台を観て感じた瞬間のようなひらめきです。
臨書の意味は、そこにあると確信しています。
練習の蓄積と自分の発想の重なり合った瞬間に、ただ単に「映る」ことから「観る」瞬間になるのです。
臨書は蓄積と発想の宝庫です。心を入れ込み、「書く」ことから「描く」ことに、臨書の目的があると思います。
太宗皇帝の墓で王義之を揮毫して
唐の太宗が愛し、墓にまで一緒に埋葬した王羲之の蘭亭序を追い求め、私は中国に渡りました。そして、太宗皇帝の墓の上で「仰観宇宙之大府察品類之盛」と揮毫(きごう、筆で字や絵を書くこと)しました。自分の今までしてきたことは正しかったとはっきりと確信しました。
皆さんも臨書することで心の鍛錬をしてみませんか。
ひとつ磨きがかかり、ステップアップしますよ。