「愛され女子」という時代遅れな呪い――SNS時代に蔓延する「自己承認欲求おばけ」
「愛され女子」「愛されメイク」「愛されファッション」など、世の中に溢れる愛され女子を盛り立てるムード。「丸の内にゃんにゃんOL」騒動や、安室奈美恵の引退ニュースにつく「女性の幸せ最優先」というタイトルからも未だに「愛されることこそが女性の幸せ」という世の圧力を感じます。
■可愛く目立てて「いいね!」がもらえればオールOK?
「愛され度No.1ニット」「可愛く目立てて『いいね!』がもらえる羨望ブランドバッグ」……。女性ファッション誌を埋め尽くす、“愛され女子原理主義”のワードたち。
愛されたいと自分自身で思うこと、可愛いと純粋に思うことは素敵なこと。
しかしメディア側が、購買意欲を煽る手段として
「女性は愛されることこそが幸せ」
「周りからどう見られるかを重要視しなくてはならない」
という流行をつくりだそうとする行為は、下世話な手段だとしか思えません。周りの人からの評価基準に沿った「可愛い」や「素敵」にどれほどの価値があるのでしょうか?
なぜ純粋に自分自身が「可愛い」「素敵」と思う気持ちを、メディアや世間は応援しないのでしょうか?
■SNS時代に蔓延する「自己承認欲求おばけ」
たしかに周りの人から「可愛い」「素敵」と思われたり、SNSで「いいね!」をもらえたりすることは、とても気持ちが良いもの。
とくに何かを成し遂げなくとも、SNSで「いいね!」をもらえることで、簡単に自己承認欲求を満たすことができます。
しかし、物事の物差しを他人に委ねる行為は麻薬のようなもの。自分の価値観ではなく“周りの人がどう思うか”に主軸を置いてしまうと、「周りの人からダサいと思われるんじゃないか」「変だと思われるんじゃないか」と過度に他人の目を気にしてしまい、自分自身をいたずらに苦しめることにもなりかねません。
「愛され女子こそがあるべき姿」そんな思想は、女性たちの感情をやみくもに押し殺し、じわじわと蝕んでいく呪いであるように思います。女性に「他人から愛されることこそ正義」という価値観を推奨している“愛され女子原理主義”なんていうものが蔓延した世の中なんて、むしろダサいとしか思えません。
■“愛され女子原理主義”からの解放を求めて
多くの人から「素敵」だと思われることや、好きな人から好かれたいと思うのは自然なこと。けれど、そのために世間でいう画一的な「愛され女子」を目指すことは、私たちが幸せになるために必要なことではないと思うのです。
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ製作による2013年公開の映画『アナと雪の女王』では白馬の王子様に愛される女性を目指すのではなく、自分自身を解き放ち、相手のことを心から愛することの大切さが描かれました。
他人に好かれること、愛されることに軸足を置いている時代はすでに終わっており、「愛され女子」という思想は時代遅れな呪いでしかありません。
どうかもっと多くの女性が自分の欲求に忠実に、そして能動的に幸せを掴んでいくことこそが素晴らしいという価値観が、世の中に浸透していくことを願います。