ピアノ講師の本棚は音楽とつながる箱【本棚百景#3】
本棚の中身は、持ち主の脳内や心の中を映し出していることがあります。他人の本棚や読書スタイルというものは、意外に知らないものですが、読む本の変遷は時にその人の生き方さえもあらわしています。連載【本棚百景】3回目は、神奈川在住チナミさん(仮名)の本棚をご紹介します。
思い思いのスタイルで過ごす読書の時間。本棚の中身は、そのときどきの持ち主の脳内や心の中を映し出していることさえあります。
だからこそ読書とは、もしかすると生きることそのものといえるのかもしれません。連載【本棚百景】3回目は、神奈川在住チナミさん(仮名)の本棚をご紹介します。
■本棚の持ち主 プロフィール
音楽関係の本が圧倒的にボリュームを占めている本棚。
自分用と生徒用の譜面。外国の譜面は、装丁が美しくて見惚れてしまう。
“商売道具”であり、心からの相棒であるピアノ。
個人事業主(ピアノ講師)
チナミさん(仮名)
神奈川在住・女性・41歳・独身・母と妹と3人暮らし
音楽との最初の出会いは、幼児期にまで遡るが、自分の記憶にその片鱗はない。家族によると、自分から音楽教室に通いたいと、ある日突然言い出したのだという。
やがて中学生になり、親やピアノの先生だけではなく、中学校の部活の顧問からも、専門家への道を提示されるようになってきた。それは、当然の流れではあるものの、多感な時期に疑問がじんわりとわいてきた。
音楽は特別なモノではなく、他の好きなモノと同列の存在だった。ピアノの先生から言われた「専門の道は、生活すべてが音楽だらけになる」の言葉にもひっかかった。絶対飽きる……気になることがたくさんあるのに、音楽1本でいく進路に迷いを感じていた。
自分の目で確認せずにはいられないのは性分だ。音楽は続けつつも興味を感じたものには広く浅く、見てまわった。じっくり、適性を探るうちに、いつしか迷いは消えていた。「やっぱり音楽だ」という結論に至ったのだ。
そのわりには練習は嫌いだった。「そんなに練習しないなら、レッスンに来なくていい」と、先生から言われたことさえも。たしかに練習は嫌いだけれど、音楽から離れるのはもっと嫌。必要最低限の練習をするように努力した。
高校に入ってからの進路調査で「音楽をやっていきたい」と明言した。「遅い! だから、あれほど聞いたじゃない!」と、先生からものすごく怒られた。果たして間に合うかどうか……と告げられ、腹を決めて練習に励んだ。
結果、行きたかった大学には入れなかったものの、音楽大学に進学。実力主義の世界は、想像通り厳しかったけれど、そこに迷いはなかった。人との良き出会いにも恵まれて、充実した学生生活を送ることができた。
進路を決める時期になり、学校教員と音楽講師との二択を迫られたが、自ら演奏活動もできる音楽講師の道を選んだ。自宅ではなく、楽器店の音楽教室でピアノを教える個人事業主のスタイルは、几帳面だが自由を好む自分の性格に合っていると考えたからだ。
個人レッスンの生徒は、幼児から社会人、シニア層まで年代はさまざまだ。そして、その目的はもっと振り幅が大きい。趣味の範囲にはじまり、リハビリ目的、現役保育士さんがお遊戯の勉強のためにと。はたまた、音大進学を目指す本気のレッスンまで、その熱量は違うどころの騒ぎではない。
各自に合わせた指導法が臨機応変に求められるが、いずれにせよその人生に伴奏するイメージで、相対すれば、間違いはないと思っている。その人の思い、人生、そして音楽に寄り添った、いい仕事をしていこうと、今は心に決めている。
■幼い頃や学生時代に読んだ本
中学時代に部活でたしなんだお箏の楽譜。当然のことながらすべて漢字だ。
中高時代に読んだマンガ。何回かの引っ越し断捨離を通過してきた。
子供の頃から、自治会の文庫や市立図書館、学校の図書室によく通っていた。日本や世界の童話・絵本、児童書、マンガの偉人伝など幅広く目を通した。
ギリシャ神話とシャーロックホームズに始まり、次第に史実に入っていった。想像の世界から、現実世界へと興味が変遷していったのだと考えている。
そういえば、マンガや雑誌については、藤子不二雄以外は親から禁止されていた時期があった。だから、中学高校になって、いよいよ解禁されたマンガ本には夢中になったものだ。
大人になって住まいを数回変え、そのたびに断捨離した。それでも、そのうち数冊は当時の思い出として、本棚に入れている。
大学生になってからは、音楽の道に進むことを心にきめたからと専門書の読破に勤しんだ。遅いスタートだった分、もっと以前に触れてこなければならなかった知識を埋めようと努力した。読書が好きだからこそ、他のジャンルは意識的に、あえて触れないように、広げないようにしていたのだ。
■大人になってから読むようになった本
料理本は別の棚に。見ながら料理することも。
社会人になってからは、学生時代とは違った意味で、落ち着いて本を読む時間がとれないでいる。単純に、本当に……忙しいのだ。
それでも、根が読書好きなので、休日は少しでも本に触れたいと感じる。小説やマンガは未だに好きだが、頭が疲れているせいか、ジャンル問わず情景をイメージしやすい、シンプルな作品を手にとることが多くなった。
月内で完全オフ日はほとんどないが、奇跡的に訪れたそんな1日は読書三昧で過ごすことにしている。本、そしてお気に入りの紅茶とオヤツ。そこにアロマディフューザーがあれば、ご機嫌だ。
たとえば、風景の写真集。時間ごとに移り変わる美しい風景を眺めていると、文字通り時が過ぎるのを忘れてしまう。そして、心からの癒しを感じる。何も考えずに美しいものに触れられる時間が、文句なしに愛おしい。
考えなくていい……という意味では、料理の時間もはずせない。見慣れた料理本を眺めながら、料理を作る時間もまた、貴重な癒しの時間といえる。
音楽三昧の毎日だからこそ、触れたくなる別世界がある。それはまったく違うジャンルのようでいて、ふと音楽に紐づくから不思議だ。
五感で感じる癒しや気づきというものは、結局のところ、醸成されて、自分の音楽に生きてくる。……やっぱり、軸が音楽にあるのだ。
■本を読むことは、音楽に帰結する時間
現在、母と妹との3人暮らし。かつてひとり暮らしを経験したこともあったが、家族の状況を鑑みて、再び合流することに決めた。
周りから「3姉妹」と言われるくらい、関係はしごく良好。この場所は居心地がいい。だからこそ、甘んじてはいけないと、結婚も視野に入れつつ、いつでも家を出られるスタンスでいるつもりだ。とはいえ、忙しさの中に毎日があっという間に過ぎ去っている。
振り返ればこれまでの人生、そこにはいつも音楽があった。悩みながらも、自らその道を決断し、少しずつ前に進んできた。そこに、後悔は1ミリもない。胸を張って、そう言えることは誇らしいことだと思うようになった。
そして、その本棚は、想像以上に音楽と強い絆でつながっている。寄り道も含めて、本棚と音楽はイコール。今までも、たぶんこれからも。