国レベルで女をちやほやしてよ、日本が本気で少子化対策したいなら【小野美由紀】
日本が少子化対策を本気でやりたいなら、国レベルで女をちやほやしてよ、とは作家の小野美由紀さんの見解。その理由をたっぷり綴っていただきました。小野さんの連載【オンナの抜け道】#1では子供を産む・産まないをテーマに書いていただきました。
■女に気分良く動いてもらうことが、今日本がやるべき少子化対策なんじゃないの?
少子化問題について「女の社会進出が悪い」「子供を産まないと国が衰退する」などとしかつめらしく発言をしている偉そうなおじさんたちをテレビで見る度にいつも思う。
この人たち、いい歳して、なんでこんなに「人の動かし方」をさっぱり知らないんだろう? って。
仮にあなたが、どうしても他人に何かをしてもらわなきゃいけないとする。
さて、どうする?
・金積んで動かす
・なぜそれをやってほしいのかを説明し、相手がパフォーマンスを発揮するのに必要な環境を精一杯お膳立てした上で、その能力を最大限に褒めちぎり、良い気分にさせてどうにか動いてもらう
このどちらか以外に方法はない。
(脅す、不安にさせて動かす、はなし。相手のパフォーマンスを著しく低下させるから)
人に動いてもらうには、2通りの方法しかなく、そのうち最もコストの低い方法は、「相手の気分を良くする」ことである。
「あなたは素晴らしい、あなたは最高だ、これはあなたにしかできない重要なミッションだ、だからお願いします動いてください」って、平身低頭してお願いすれば、どんなに渋っている人間でも「そこまで言うなら……」と、しまいには重い腰を上げざるを得なくなる。少しは、なる。
そんなこと、小学生だって知っていることだ。にもかかわらず国のお偉いおじさんたちは、不思議なことに、なぜだかちっともその方向を目指そうとしやしないのだ。
未だにセクハラマタハラ横行しまくり、産まなきゃ蔑み、孕んだら迷惑扱い、「女は機械」だなんて人間ですらない扱いでは、産む気になんてなるわけがないよねぇ。
■私は子供を産みたくありません
私自身、有機物を育成したいという欲望が1ミリもないので子供を産みたいと思わない。そう言うと皆、一様にヘンな顔をするか「あなたもいつかは産みたくなるわよ」という優越感を滲ませた目で私を見る。
どうやら「子供を産みたくない」という女に対し、世間はああだこうだ言いたくなるみたいだ。
昨年、NHKのニュース番組『あさイチ』内の「どう思う? 子供のいない生き方」という特集で、視聴者からの「子供を産まないワガママ女がこれ以上増えないことを望みます」というコメントが読み上げられ、「産まない(産まなかった)」側としてそれまで発言していたアナウンサーの有働さんが渋い顔をする、という光景が流れた。
こういう「ワガママを許さない」態度こそが、却って都会の女たちの「厭妊感」を駆り立てる根本原因だよなあ、と思う。
ワガママを知らない世代って可哀想だ。ワガママする楽しさを知らず、自分よりわがままに生きている人間を叩くことしかストレスの解消の方法がないんだから。ワガママに生きて何が悪い、(子宮も膣も)私の内臓なんだから、私の好きにしていいに決まってんじゃないか。また「産めるんだから産まなきゃもったいない」なんて言うのも、ケツの穴が小さい。「可能だけど、それは私のROLE(役割)じゃない」ってことだって、世の中にはたくさんあるのだよ。
(というか、産む・産まないの選択は、そもそもワガママじゃない。単なる人生の選択肢の1つであって、そんなことでその人の価値が揺らぐことは1ミリもない)
いい加減「子供を産むか、産まないか」のは個人の選択であって、良い・悪いじゃない、そういうジャッジから離れないと、いちいち他人の基準に照らし合わせてビクビクしながら行うようでは、たとえ「産む・育てる」と決めた方の人間だって、その後もビクビク「私、間違ってる?」ってストレスだらけで、産後の肥立ちもおっぱいの出も、児の育ちも悪くなるのではあるまいか。
と、ここまで書いて、私がなぜこんなにツンツンしているかというと、やっぱりなんだか、無言の重圧に責められている気になるから、なんだろうなあ。
「とにかく産め、産まないと悪いことが起きるぞ、しかし産んだ後は自己責任でね」という無言のプレッシャーが息苦しい。
■必要なのは、脅しじゃなくて「ちやほや」
私ばかりではない。周りを見渡しても、子供を生むことに尻込みする女性たちばかりである。
「産みたいけど、東京のこの環境で生み育てられる気がしない」「金銭的な不安」「仕事の不安」「義母の”産んで当然”ってプレッシャーに負けて生む形になるのは嫌だ」……。
今の日本に蔓延するのは、女を不快にさせ、脅して、萎縮させるニュースばかりなんだもの。
「ベビーカーを電車で開いていたら怒られた」「保育園落ちた」「職場で面倒扱いされた」……ただでさえ将来に不安を抱えている女性たちが、そんな「無理ゲー」なら、はなから参加しないよって思ってしまうのも、仕方がないことだよなぁ、と思う。
先にも書いたけど、人に快く動いてもらおうと思ったら、気分良くさせるのが一番だ。脅しじゃない。
保育園・幼稚園も無料化し「これでいつ産んでも大丈夫です、金銭面での不安は解消しますから、さあ、どうぞ」とやるか、「あなた(女性)は素晴らしい存在で、子供を産むというのはあなたたち女性にしかできない超重要ミッションなんです、だから我々のために産んでください」 とお願いするか。どっちかくらいはせめてやんなきゃ、もはや妊娠出産が「自然の行為」でなくなってしまった都会の女たちが重い腰を上げて動くには、どう考えても足りない。
金が積めないのはこの際、仕方がないよ。だったら、せめて「産むも産まないも自由だけど、産んだら歓迎するし、そのために私たちは全力でちやほや(=相手の能力を認め、それを活かせる最高の環境を整備)します」ってムードを社会全体で作ってほしい。
私みたいに有機物を生成することにさっぱり興味のない女ですら「あら、そんないい気分にさせてもらえるなら、産んでみよっかしら!」と思わず産んでしまうような、そういう方向に誘導してほしい。
日本人は真面目だから、ついついしかつめらしい顔して「国民としての義務」「社会の利益を考えたら◯◯して当然」とか言うのが好きだけど、「義務」で産んだって、何も楽しいことはないもんね。気分良く能動的に行うことぐらい、その行為の費用対効果を上げるモノってないと、私は思う。
■「気分が良くって、何が悪い?」
「気分が良くって何が悪い?」はデレク・ハートフィールドの名言だけど、どうせなら、産むか産まないか迷ってる女が「あら、そんないい気分にさせてもらえるなら、産んでみよっかしら」と思えるような、そういう方向に誘導するように社会全体が変わってほしい。
バッシングで折れる人間はいても、動く人間はいない。人を能動的に動かすのはやっぱり、脅しじゃなく、楽しさなのだ。
世の中にそういう動きがまったくないわけじゃない。たとえばウーマンエキサイトが始めた「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」 は、電車の中で泣いている赤ちゃんを暖かく見守る気持ちを可視化するプロジェクトで、ただでさえギスギスしているママたちの気分を少しでも和らげる好例だ。こういう動きこそ、国レベルで広がってほしいと切に願う。
本気で少子化を改善したいのであれば、企業のお偉いさんやお上の偉い人々は、まず、重い腰を上げて、女性をちやほやするところから始めてほしい。もちろん自分たちが気分良く働けるような労働環境の改革も忘れずに。
「気分の良い未来」を作るには、まず今の気分を良くするところからしか始まんないんだからさ。
Text/小野美由紀