「いつまでも女性」があたりまえの国と、女としての寿命が短い国
チェコ女性はいつまでも女性である。チェコに住んでそう思います。一方、日本は女としての寿命が短い国であるような気がします。それはもしかしたら子供の頃に植えつけられた固定観念からくるものなのかもしれません。
3月、日本ではお別れシーズンでしょうね。私が娘たちとチェコに来たのも3月でした。上は2年生、下は1年生を終えた頃でした。
チェコは9月からが新学期で、小学校に上がる子供の年齢もいろいろです。うちの子供たちはチェコ語がまったくできなかったので、しばらくは2人とも1年生のクラスに入りました。
その小学校は、日本でいう分校のような規模だったため、1年生と2年生が同じ教室で勉強をしていました。幸い我が子2人も机を並べて勉強できて、お互いに助け合えていたように思います。
日本と違って、チェコでは早い時期から留年制度があります。まず、幼稚園から小学校へ上がるときに、医師の許可が必要になりますが、これは学力的なことだけではなく、子供の精神的な面や行動、落ち着きがないといったところなども見られます。
私からすると、その基準は多少厳しいのではと感じるときもあります。あら、この男の子少しやんちゃだったけれど、来年も幼稚園に残るのねと、驚いたこともありました。本人も友達と一緒に小学校へ上がれないのは残念そうです。
ですが、子供1人ひとり個別にじっくり成長を見守れると考えるなら、こんな留年制度もアリなのかもしれません。
■「若さ」こそ価値なのだと、女を焦らす日本
日本の場合は学齢制度が適用され、満6歳になると自動的に小学校へ入学します。能力や個性に関係なくどんどん進級していきます。3月生まれのうちの子供は、入学当初はずいぶんと頼りなく見えたものです。
そして、女の子は急がないと「良い時期」を通りすぎてしまう。そんな馬鹿馬鹿しい考え方すら、うっすらと存在します。
その昔私は、なぜかとても急いでいたのを覚えています。ゆっくり学んでゆっくり経験していく、といったことをあまり考えることができませんでした。
早く就職して、早く結婚して、早く子供を産まなければ、急がないとすぐおばさんになってしまう。年をとると何もなくなる。そう思い込んでいた時期がありました。
実際、求人欄に「25歳まで」と条件を掲げている会社もあったくらいですから、あながち勘違いではないと思います。
ただ、現在チェコに住んでいると、自分が当時あまりにも急いでいたことが、不思議に思えてきます。チェコでは年齢というものに、そんなに重きを置いていないからです。
逆に、若年者は「ただの若い人」でしかありません。年を重ねていくにつれて、人として成長していく美しさの方が価値の高いことだと考えられています。
■チェコで価値があるのは「かわいい」よりも「セクシー」
日本では「おばさん」というとマイナスなイメージを持つ人もいますが、チェコでは、おばさん=teta(テタ)といって、その言葉以上の意味はありません。
よその子供から「テタ!」と呼ばれると、嬉しくも感じますし、親族間で若くしてテタになる女の子でも、その呼び名は心地よく響いているようです。この年でもうおばさんだよーっ、と落胆するようなこともゼロ。
年をとること、それはむしろ良いことであり、女性は成熟してセクシーで素敵な人になっていく――そう認識されているのです。
日本とは異なり「かわいい」より「セクシー」の方が憧れの対象です。いくつになっても、胸元を強調した服や脚のラインをきれいに見せるスカートを身に着けている女性が多いのも、そんな文化からくるのでしょうか。
夏にはせっせと日焼けをし、こんがり焼けた素足を見せる。それはとびきりセクシーなんだとか。
だからといって、チェコの全女性が美容に関心が高く、いつまでもセクシーであり続けたいと思っているのかというと、そうでもないのですが(笑)。
■チェコ女性がいつまでも女である理由
フランス女性のように「永遠に女」であり、心構えもしっかりしていて、お手入れも行き届いているかというと、そういうわけでもない。
日本女性のように「若くあり続けたい」と思う人が多いかというと、それとも違います。
チェコの女性は、たとえシワやシミができようと、それを「単なる外面的老化である」と捉えています。子供を産み、体型が崩れたとしても、それを「子供を産んだ勲章だ」と受け入れています。
それよりも人生を楽しむことの方が大事で、だからこそ美しく、また女としてあり続けたいと思っている。だから、おばあちゃんになっても、いつまでも女であるわけです。
その発想は、やはり子供の頃からの年齢や決まりに縛られない制度なども影響しているのではないかなと思います。私は私という個性を大事にする。自分を愛す、というところから。
生きやすくなる、シンプルで素敵な考え方ではないでしょうか。