ラッキーな人になるためにすべきこと【カツセマサヒコ 連載 #4】
ラッキーな人を見ると法則があるような気がする。たとえば、やりたいことに素直で、アンラッキーなときのやり過ごし方を心得ていて、とびきりポジティブシンキング。ラッキーな人は大抵そうだ。ライターのカツセマサヒコさんが、生きていくうえで訪れるたくさんの喜びや悲しみにそっと寄り添うエッセイ、第4回。
「何をやっても、うまくいかないなあ」
「何をやっても、つまらないなあ」
と落ち込むときがある。
「あの人ばっかりうまくいってるなあ」
「アイツ、ラッキー続きすぎでしょ」
と嫉妬してしまうときすらある。
一般的には、ラッキーに個人差はそこまでないと思っている。
ミスチルだって歌っている。
“僕らの現状に取り立てた変化はない
いいこと「49」 やなこと「51」の比率”
それでも、ラッキーが続いて見える人がたまにいる。
夢をバシバシ叶えていけるタイプの人が稀にいる。
あの人たちと僕らは、何が違うのだろう?
ひとつは、ラッキーが起きるように、言葉にしているのだと思う。
「わたし、〇〇が好きなんだよね」
「おれ、◆◆がほしいんだ」
「××みたくなれたらいいな」
夢や趣味嗜好を語るのは、恥ずかしい。
とくに大人になればなるほど、否定されるのが怖くなって言葉にしなくなる。
自分の内側にひっそりと押し留めておきたくなる。
でも、ラッキーな人たちは違う。
子供のように無邪気に、好きなものを好きと言えて、やりたいことをやりたいと言える人が多い気がする。
願わないと、叶わない。
そのことを本能的に、直感的に、わかっている人が多い気がする。
もうひとつは、アンラッキーのやり過ごし方を、心得ているのだと思う。
朝見たニュース番組の占いで、自分の星座が2位だったのに、
電車が人身事故で止まり、
手配しておいた資料が届かず、
幹事として予約した居酒屋のエアコンが切れているような日があったとする。
普通、これだけの厄日だったら、占いなんてウソっぱちだと思う。
でも、僕の友人はこういうとき、「2位だったから、これで済んだ」と思うらしい。
2位じゃなかったらきっと死んでいた。2位だったから生きられたと。
大袈裟なまでのポジティブシンキングが、彼自身を救っているのだと思う。
「どうしたら、そんな前向きになれるの?」
根からネガティブな人たちは、
気持ちを前に向ける方法がわからなくなることが多い。
ポジティブな人間を羨ましいと思いつつ、どこか揶揄したくなる気すら持ってしまう。
そんな卑屈な自分をさらに嫌いになる、ネガティブなループにハマっている人も見かける。
そんなときは、自分との約束を守ることに専念してみたらいいと思う。
「明日は絶対に7時に起きる」
「後回しにしていた仕事を絶対にやる」
「報告できていなかったミスを上司に伝える」
些細なことでもいい。
自分の嫌いな部分を改善する約束をして、それを達成する。
そうすると、少しだけ自分のことを好きになれる。
そのときの安心感、自分を取り戻した感覚を、ラッキーにつなげる。
「やればできんじゃん」
自分に言い聞かせることで、ポジティブな自分に少しずつ方向修正していく。
またすぐネガティブになっても、繰り返し、繰り返し、自分との約束を守っていく。
それが気持ちを前に向けるための、「好きなものを好きと言える自分」になる方法だと思う。
ラッキーな人は、多くのことを願っている。
願わなければ叶わないことを、知っている。
ラッキーじゃない人は、願いすら持っていないことがある。
「イヤなことが起きなければいいな」くらいに思って毎日を生きているから、些細なイヤなことに目が向いてしまう。
だからまずは、願いを持ってみたらいい。
そして願いを持つために、自分を好きになる努力をしてみればいい。
その努力すら諦めてしまったら、きっと運は自分に回ってこないから。
下北沢のライター・編集者。書く・話す・企画することを中心に活動中。
趣味はツイッターとスマホの充電。